裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

31日

水曜日

ボルジア家30年の圧政はあまたのやおい、アニパロ、ボーイズラブを生んだ。

『第三の男』ホモ版。朝、7時20分起床。全身が痛む感じ。ことに両腕の前膊部分が痛む。これは昨日、コミケで次々にお客さんにハイ、ハイと同人誌を手渡していたためか? とか思う。コーヒー沸かして、中村屋の肉まん。昨日はフカヒレ肉まん、 今日のは普通の肉まんだが、やはり旨し。

 新聞にチャールズ・バーリッツ死去の報。89歳。新聞ではベルリッツ名義になっていたが、日本での翻訳物のほとんどはバーリッツ名義だったはず。ベルリッツで名前が出たのは、報道にあるようにベルリッツ語学学校創立者の孫、という血筋を重視しての報道だったろう。記事は申し訳程度に『バミューダ・トライアングルの謎』を著作の代表として挙げていたが、そればかりではない、われわれトンデモ本愛好者にとり、アトランティス大陸ものをはじめとして、ロズウェルUFO墜落事件、フィラディルフィア・エクスペリメント事件、ノアの箱船は実在した等、無節操なまでに手を広げまくるトンデモプロパー作家として記憶に深く刻み込まれていた名前である。アトランティスものの翻訳者は、北朝鮮擁護で最近悪名を馳せた、あの吉田康彦氏で ありましたな。

 メールチェック、読んでますメール、昨日コミケで来てくれたお客さんなどからも来ていた。『花菜』の大将、金ちゃんの友人という人からも来ていて、大将の近況を教えてくれたのがありがたかった(また近く、どこかで蕎麦屋をやりたいとのこと。楽しみである)。いつぞやのコミケで隣同士になった早稲田の落研の人からもいただいて、上野文庫主人死去のことについて情報をくれる。古書店関係者からいろいろ聞いてはいたが、あそこの後始末は大変だろう。もっと頻繁に足を向けておけばよかったという思いの他に、あそこはどうもゴロを招き寄せやすい体質をもった店だったので(OやMの他に、オカルト業界ゴロのAも、一時入り浸っていた)、あまりいかなくて正解だったような気もする。Mと別れたという噂を聞いた直後から、うちに目録 が送られてくるようになったのも苦笑ものだった。

 河井克夫さんから、先日のマンガ古書貸し出しの件でお礼メールが来ていたので、返信。それからロフトの斉藤さんに、チラシ制作御礼。ベギラマからも新住所のお知らせが来ていたので、返信しておく。雑用すませ、正月休み中にパイデザが仕事場に入ってやってくれるパソコンメンテと、カラープリンター導入にあわせ、机周りを少しばかり(ほんの少しばかり)整理。まったく、ほんの少しで驚くくらいスッキリす るのだから、まちっとこまめに整理すればいいに。

 12時45分、家を出る。タクシーで羽田まで。年末はコミケと帰省とで二日連続でお台場方面への道を通るが、母の上京で帰省というものはこれが最後になる。空港はまず、普通の込みよう。子供がどこも多いのが年末ぽい。年賀状の遺漏分やベギラマへの紙芝居用資料を送ろうと郵便局へ行くが、30日で業務終了だった。仕方なくエスカレーターで受付フロアに戻る途中、電撃ネットワークの南部虎弾氏の姿を見かけて驚く。別に驚くこともないのだが、つい今朝、中野貴雄の日記で南部氏の名前を見かけたところだったので、その西手新九郎に驚いたのである。中野監督の日記では“スターウォーズのビブ・フォーチュナみたい”と書かれていたが、今日の格好は、 “スターウォーズの共和国評議委員みたい”な格好であった。

 空港内の中華『翡翠宮』でパイコーメンを食うが、肉の大きさが豪勢なものだというだけで、学食のラーメンみたいな味のスープに延びきった麺だった。待合室では資料本をずっと読む。やがて乗り込んだが機内もそれほど混雑せず。私の隣席は相手いたので、そこに荷物を乗せられたのはよかった。何かチーフのスチュワーデスさんが手慣れていないようで、いちいちのアナウンスがオドオドっぽい。機内上映ビデオで“これから参ります北海道の、釧路、根室地方の映像を”お送りします、ということだったが、流れたのはまったく逆方向の、沖縄地方の映像。あとで“アナウンスと上 映内容が異なっていたことをお詫びします”とあやまっていた。

 乗ったのは全日空で、機内誌『翼の王国』をパラパラ。確か二年ほど前にも年末の帰省の機内で見た、四柱推命による来年の占いが載っている。ふとK子(酉年)のところを見ると、火雷筮盍(からいぜいこう。筮盍は正しくはどちらも口偏)という卦であり、見ると“三月に不動産の売買をする”とある。いま、まさに彼女は母の上京しての住まいを探して、不動産の情報を集めているところである。驚いてK子に“これこれ”と見せると、ヒャーッと言って、その雑誌を急いでカバンにしまい、“これをママに見せて納得させなきゃ”とわけのわからぬ勢い込みを見せていた。ちなみに私の卦は“風人家人”で、“今までどおりの生活を守った方がよい”卦であり、そうすると五〜六月に“小をもって大を”得、十一、十二月には“桃李は今を盛りと咲き 誇る”のだそうである。呵々。

 スカイライナー、去年は満席で一列車遅らせたが今年はすんなり。札幌着はもう6時を回っていて、真っ暗だった。しんしんと降る雪の中、タクシーで帰宅。玄関にはわれわれが送った荷物と並んで、仙台のあのつくんから送られた野菜の箱が置かれ、中に巨大な白菜と聖護院大根、ブロッコリに里芋などが鎮座ましましていた。さっそく母と三人で年越し。聖護院大根を、焼きキンキ丸ごとと煮込んだ、鍋というかおでんというか、とにかくそういうもの。大根をキンキと昆布の出汁で食べるものだが、大根の柔らかさ甘さは聖護院ならでは、キンキの油がそれを適度に野趣あるものとしており、つゆがブイヤベースのように美味。あと、おなじくあのつ家から送られた、速成の千枚漬けのような漬け物がさっぱりしていて、母にもK子にも大好評。酒はあまりいかなかったが、飲んでいる最中からいきなりどーんと体が動かなくなって、自分で自分の体でないよう。気がゆるんだらしい。しばらくソファで寝転がり、10時くらいに年越し蕎麦を食べたが、もうそこで限界。紅白も曙×ボブ・サップ戦も、ゆく年くる年も見ずに、そのまま布団にもぐりこんで寝てしまう。今年の反省も来年への抱負も何もなし。だいたい、今の仕事がそのまま連続してずっと夏ごろまで続いているのである。まさに風人家人、今までどおりの生活が来年も続く。それでいいので ある。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa