裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

12日

金曜日

スキンシップ・トルーパーズ

 パワードスーツを脱ぎ捨て、肌と肌を触れ合い、愛しあいましょう! 朝、まだ夜中ではないかと思うくらい暗く、雨がジトジトと降るなか、7時45分起床。こりゃ今日は仕事にならんなあ、と思いつつ、台所で怪談ばなしのテープなど聴きながら食事の用意。落花生、クコの実、松の実、パンプキンシード等のナッツをぼりぼり齧っ て朝食代わり。それと植木さんからいただいた柿。

 テレビを見る。アメリカ追随の自衛隊イラク派遣に識者たちの嘲罵、叱正、悪口、威勢よきこと。……疑問に思うのだが、彼らは今の日本の立場というものがどういうものなのか理解した上で言っているのだろうか。自動車、半導体、機械製品等、総輸出の30%をアメリカに依存しており、さらに小麦、大豆、牛肉や果物などの農業製品の多くを米国からの輸入でまかなっているのが今の日本の現状である。ここで非協力に怒ったアメリカがひとたび経済制裁を敢行すれば、やっとバブル崩壊以後十年以上続いた不景気の先に光が見えてきた日本経済は再び氷河期に舞い戻り、大量の失業者増、倒産、社会混乱を招く。

 そしてエネルギー問題。石油の9割を中東に依存し、その輸送や確保は全てをアメリカの軍事監視体制に頼っている。軍事同盟を日本が解除した場合、丸腰になった石油輸送船団はあっという間にテロリストたちのかっこうの標的になり、日本のライフラインは完全に断たれるだろう。フランスやロシアがアメリカに対し確固たる態度をとれるのは、彼らの国が食糧もエネルギーも自給できるか、あるいは自国を自国の軍隊で守れるという軍事体制をとっているからである。イラク派兵反対で日本ではシラクの株が上がっているということだが、彼を賛美する平和主義者は、つい数年前に、 フランスの核実験に大反対デモをした連中と重なってはいないか?

 戦いに慣れてもいない自衛隊をテロの巣窟のイラクへ派兵することは非常につらく悲しい決断である。しかし、資源も持たず、広い領土もなく、外交的無能力をさらけだし、いざというときの自衛力も持たない弱国として、強いものにコビを売る、その能力でしか日本は世界の中で生き延びていけないのが現実なのだ。いま現在における反米反派兵の言論は、空中楼閣に等しいおとぎ話に過ぎない。逆に、それらの意見は憲法改正、軍事再建論者に力を与えるだけだということをわからないのだろうか。

 郵便局に出かけ、保管してもらっていた配送物を受け取る。梅田佳声先生の娘さんから、東北で佳声先生が『猫三味線』を通し上演した際に作った豪華プログラムをいただく。通しの説明文が入っており、非常に有益な資料である。有り難し。ついで青山に出て、スーパー“あずま”で買い物。掻き揚げを買って、家でパックのご飯を温め、掻き揚げ丼にして。食べながらテレビで松井稼頭夫選手のインタビューを見る。 契約金21億とのことだが、“稼ぎ頭”とはよくまあ名付けたもの。

 SFマガジン原稿を書き出す。途中でFAXされた日刊ゲンダイのインタビュー記事のゲラをチェック。内容に問題はないが、著者近影が夏のアロハ姿のものであったのは、今日の寒さにふるえている身として失笑。3時、東武ホテル喫茶店で、早川書 房Aさんと打ち合わせ。時間割が、今日は2時で早じまいなのである。

 打ち合わせは来年からの有料ネットサイトにおける連載企画について。それをまとめて、早川書房で単行本にするという話である。テーマは文学。もちろん、私の書くものだから純粋正統な文学論ではないが、扱う内容はゲーテ、ディケンズ、マンから鴎外、漱石、島田清次郎に至る堂々たる文学の流れになる予定。それにしても、中野貴雄が日記で嘆いていたが、最近は蓮見重彦が『殺人魚フライング・キラー』を語る時代である。でもって、唐沢俊一がゲーテやマンを語る時代でもあるのである。世は逆さまとなりにけるかも。あ、関係ないけど中野監督、フォーク・クルセイダーズの 曲は『天国から来たヨッパライ』ではなく『帰ってきたヨッパライ』です。

 帰宅して、とりあえず書庫にある資料用書籍をチェック、手元にないものをネット古書店で検索してみるに、必要と思われるものは大体手に入れられることを発見。これは幸先がいいかも。SFマガジン原稿続き。……しかし雨ふりやまず、どうにも頭と体が動かぬ状態。少し横になったら、7時近くまで寝てしまった。それも、へギュウーという感じのいびきをかく、嫌な眠り(脳溢血のときにかくいびきに似ている)である。起きて原稿の続きに着手しようと思うが、あと三分の一のところで、どうしても続けられず。

 8時、K子とタクシー乗って東北沢の『和の○寅』。『クリクリ』に行こうと朝は言っていたのだが、金曜日で満席とのこと。この『○寅』も、カウンターに二組、宴会が一組入って、非常ににぎやか。席につくと、すでに先付が黒塗りの箱に入って用意されており、蓋をあけてみると、卵焼きにサーモンのサラダ、自家製のカキのオイル漬け、それとちらし寿司(イクラのせ)がほんの一口。寒いこともあり、最初から能登の酒『伝兵衛』を錫のちろりでお燗してもらったものをいく。能登の酒の特徴なのか、なんともさわやかな酸味があり、クイクイいける。いけすぎてつい、飲む量の 増えるのが弱点か。

 次がお造り、これもこの店で酢締めした鯖(身が締まっていて絶品)と生桜海老、それに生ウニ。ウニはK子はいけないので私が一人でいただくが、果物のように甘い味わい。宴会席の方からは、一品が出るごとに女性たちの“きゃあ〜”という歓声があがっていた。カウンターには関西ことばでしゃべる中年女性がひとりと、若い男女のカップル。関西ことばのおばさんは、大介さん(ここの大将)に奥さんを紹介してあげるといい、“あんたには年上のおくさんが似合うわ”と言う。大介さん、“やめ てくださいよ、僕は若い子が好きなんですから〜!”と。

 大将おすすめの、豚レバー刺身が出る。今日死んだ豚(大将の表現。お母さんが、“その言い方やめなさいよ”と言っていたが、新鮮さを言うならまさにその通りなのである)のレバーを、塩とごま油で揉み込んだものとやら。要するに焼肉屋のレバ刺しとごま油たれを最初から合わせて出してくれているようなもの。一口食べて、“これには日本酒より焼酎だね!”と言ったら、泡盛の古酒を汲んでくれる。K子はこれ を焼いてもらって二切れほど。

 続いてがこの店の名物の、イクラ焼き。北海道出身で、イクラは食べ慣れている筈だが、このイクラ焼きというのは初めて。帆立の貝殻に乗せたイクラをそのまま火にかけて焼いたものだが、火が通って固まったイクラが、口の中でホコホコとほぐれ、なるほど珍味。“いかにも健康に悪そうでおいしい!”と言ったら、“私は通風メーカーですから”という。どこかで聞き覚えのある名前だな、と考えてすぐ思い出す。K子の日記にそのハンドルでコメントを書き込んでいる人がいた。あ、ここの大将でしたか。私の日記も、お母さんと一緒に読んでいるそうな。あなどり難し。

 焼き魚はサンマ。それから、豆腐を椎茸の出汁で煮たもの。これに、千切りの白菜をごま油と塩で揉んだものが入る。これが汁の味といい豆腐といい、絶品。干し椎茸の汁と白菜は出会いものだが、千切りにしたところがアイデア。これはよぼよぼの年寄りになってもちゃんと食べられる“うまいもの”を確保した、という感じ。K子も絶賛していた。〆はお茶漬け。ご飯の上に糸のように細く切った塩昆布と、野沢菜を乗せてお湯をかける。あまりのおいしそうな感じに、隣のカップルの女性の方が、
「わたしもあれ!」
 とリクエストしていた。これまで三回、この店には通っているが、今日が一番の満足。ピンチヒッターで入らせてもらったのだが、思わぬヒット。満足して帰宅。雨はもうあがっていた。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa