裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

10日

水曜日

からいアンチョビ

 高血圧による死者を続出させた禁断のシャンソン。朝、アテネの学園都市のような場所(どうも、以前見たアニメ『黄金の法』のイメージらしい)の広場で、小学生向けのサブカル誌の発行者から連載を依頼されるという夢を見る。ゆうべ床につく前に風呂場に湯を張って、濡れタオルを寝室の隅にかけておいた。それでも、のんだ風邪 薬の副作用で、鼻の内部がバリバリに乾いている。

 寝床の中で鈴木聡司『小説・円谷英二 天に向かって翔け・上』(新風舎)を読みはじめる。先日の『日東新聞』パーティで著者の鈴木氏からいただいた本である。執筆に当たってのコンセプトが、“ゴジラのゴの字も、ウルトラマンのウの字も出て来ない”円谷英二伝を書く、ということだった(下巻あとがきより)という、ヒコーキ野郎としての円谷英二を描いた異色の伝記小説。映画、戦争、軍隊、報道、航空機、そして当時の時勢についての、膨大なまでの知識と情報を必要とし、必ずしも円谷英二ファン全員に喜んで受け入れられるものではない(円谷英二ファンの9割は怪獣の生みの親としての円谷のファンである)テーマに、敢えていどんだ特撮オタク・鈴木氏の挑戦に深く敬意を表したい。およそ超人的な努力で収集した資料を駆使しながらも、最終的に氏が評伝ではなく小説の形式をとったのは、その資料自体に、相互矛盾や誤謬が多く含まれていることを発見したためで、多くの“事実”の中のどれかひとつを採用するためには、フィクションの方法をとることが最も良心的だと決意したためだとのことである。そこらへん、この作品で採用されなかった別のデータについても、ちょっとのぞいてみたいな、という気は起きる。とはいえ、この著作で、これまで薄暮の中に浮かんでいるかのようなイメージであった若き円谷英二像が極めて明確 な像を結んで見えてくることは間違いない。

 この鈴木氏の著書のようなアプローチをはじめ、最近の特撮、アニメに関する研究書やデータ集の出版傾向は、まさに汗牛充棟のありさまで、こちらに関係ある分野や作品のものにとりあえず目を通すだけでも大変な状態である。これに、コミケの評論ブースに毎年出品される自主研究同人誌、ネット上の情報などまで加えればさらに膨大なものになるだろうが、よくしたもので、ササキバラゴウ氏の『おたく男性史(美少女と萌えの現代史)』のような、緻密に資料を読み込んだ上で、特定視点からオタク文化を切り取り、その断面図を提示してくれるような著作(来年、刊行が決定したそうである)も出るし、オタクの地平を見通して語る際の資料の充実度はどんどん増している。哲学や心理学の分野からオタクを論じた著作の不備・不正確さを弁護しようとして、
「オタクは自分たちの知識や情報を他者に容易に理解出来ぬ秘教として、外部とのコミュニケーションを拒否している(のだから、こちらの書くものに不備があっても仕方がない、非は容易に情報を公開しないオタク側にある)」
 と主張する者がいるが、そういうことを言う連中は書店でオタク関係書の棚を一度でものぞいたことがあるのか、と言いたい。これだけの(オタク業界内部からの)研究書、データ集、作品集などが揃っていて、それでもまだ足りないと文句をこねるのは贅沢を通り越して僭上の沙汰と言うべきであろう。それとも何だろうか、このテの受験エリートたちは、こういう資料の山を前にして、常に手元に『試験に出るオタクガイドライン』とか『オタク論執筆参考書籍集成』『オタク学必携』などという、人が用意してくれたレジュメがないとなにひとつ自分で研究の手がかりを得ることが出 来ないというのだろうか?

 7時半起床。寒い。朝食はソバ粉のパンケーキにニンニク味噌、ネギ。果物は昨日夕方、長野の『しなの路』さんから到来のふじリンゴ。高級スーパーのふじリンゴは蜜が入っていて甘いだけのものだが、これはシャキッとさわやかで酸味が強く、しかも甘い。同断に論じられるものに非ず。午前中ずっと『Memo・男の部屋』原稿。正月論を書くにあたって、小松左京・石毛直道・米山俊直三氏の『人間博物館・「性と食」の民俗学』(1977・光文社)を再読。もう百回以上は読み返した本かもしれない。読むたびに知的好奇心を刺激されるし、また食欲をも刺激される。寒いと思ったら、エアコンが暖房でなく送風になっていた。

 原稿書き上げてメール、すぐ外出して渋谷区役所内の銀行で買った本などの代金振り込み。それからコンビニに寄って、豆腐とキムチを買って帰り、キムチ豆腐丼を即製で作ってかっこむ。熱したキムチは旨い。味噌汁はエリンギとシシトウを実に。

 2時、時間割にて日刊スポーツT氏と。今年の“数字に関する”ニュース30本強をあげて、それらにコメントをいちいちつけるというもの。T氏は私より3つ年下のほぼ同世代で、現代の状況についての意見がほぼ同じなので、やりやすい。半面、あまりにインタビュアーと意見があってしまうと、ナアナアに流れる可能性があるのでそこらへん、苦労する。2時間ほど話して、喫茶店の外で写真(2タイプ)を撮って おしまい。4時からの『涙女』の試写には間に合わない。次週回し。

 帰宅して、と学会本用原稿書き始めるが、雑用いろいろあって進まず。ミリオン出版Yさんから電話、単行本の進行の件。次の本の連載をミリオンの雑誌ですることについてもOKが出たとのことで、この件でも、近々に打ち合わせが必要。あわただしい、いかにも師走的状態である。夜7時ころ、ヤングマガジンアッパーズ編集さんから電話。『バジリスク・甲賀忍法帖』に、オタク大賞審査員特別賞を差し上げたことに関するお礼の電話だった。あんなオアソビみたいな企画でお礼を言われるのには少し恐縮。さっそくせがわ氏のところに報告したら、奥さんがもう知っていたそうで、なんとここのサイトをよくのぞいておられるそうである。これにもビックリした。独り言を言っていたら霞刑部が自分の後の壁の中にひそんでみんな聞かれていた、みた いな感じ。とはいえ、喜んでおられるとのことで、嬉しい。

 8時15分ころ、K子が帰宅。平塚夫妻がやってきて、少し用事。それから夫婦二組揃って、神宮前のイタリアン・レストラン『タヴェルナ・アズーラ』へ。平塚くんの奥さんが職場の先輩に教えられたという店。隠れ家的な雰囲気のところで、定番メニューもちゃんとあるのだが、その日のお勧めで黒板に書き出されている料理が、三 十種以上もあり、驚く。シチリアワインとイタリアビールで乾杯。

 前菜としてオリーブ漬け、野菜とイカのオーブン焼き、イワシの香味焼きの三品。それからワタリガニのトマトソーススパゲッティ、これ絶品。ソースをからめるために頼んだ自家製パンが、ピンポン玉みたいな小さい球状のもので、これもおいしい。それからマッシュルームのカルパッチョ。マッシュルームのスライスサラダみたいなものかと思ったら、薄く削ったパルミジャーノ・チーズが上にかかり、皿の底には小さく切った生ハムが敷かれている。ブラウンマッシュルームがその上下のこってり感にまけていないのが凄い。さらにアンチョビのピザも頼む。辛味オイルをかけて食べると美味い。そしてメインは強のおすすめ魚の真鯛を網焼きにしてバルサルミコソースで食べるものと、子牛肉のステーキニンニクソース(いずれも一皿を四人で分けて食べる)。子牛肉は歯ごたえがしっかりとあって、以前フィレンツェで食ったステーキをホウフツとさせるもの。しかし、真鯛の焼き加減とソースとの相性には一籌を輸すか、という感じ。入り口近くのケースに並べられていた鯛の立派さを考えれば無理もないと思えるが、焼き方がまず結構。見事に皮全体にうまそうな焦げ目がつき、口に運ぶとホクホクした身の風味と、ほのかな香ばしさが感じられるかられないかの刹那に、濃厚で甘味のあるバルサルミコ酢の味が口中にふわっと広がって、思わずムーンとうなりたくなった。

 平塚夫妻はもうそこらで満腹のようだったが、“鼻風邪は恐ろしいほど飯を食い”の川柳子の言う通りで食欲の魔と化した風邪っぴきのK子が、まだ食べたいとチーズ盛り合わせを依頼、リコッタとマスカルポーネのミルキィさは、このまま冷やせばアイスクリームとして通用する、といった感じ。そして強い酸味がさわやかなシチリアのブラッドオレンジのシャーベットに、エスプレッソコーヒーで〆。ラストオーダー前から特別席に陣取って自分もワインを飲んでいる、いかにも酒好き、料理好きの趣味人といった感じのマスターに挨拶して、タクシーで帰宅。今日も風邪薬服用する。原稿、書きかけたところまでもう一度読み直して、12時就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa