24日
水曜日
失われた李礼仙
ジェームズ・ヒルトン作、唐十郎演出。朝、5時ころ起きだして昨日中断していた原稿書き。6時に完成させて、メール。もういっぺん布団にもぐりこむが、目が冴えて眠れず、昨日の『雲萍雑志』など読む。この中に有名な、“堪忍の二字”の項目がある。だいぶ前に読んで、その後あちこちで紹介したりもしていた話だが、私はこれを、“忍の一字”バージョンで覚え、話していたことに気がついた(呉智英氏も確かこの一字バージョンでエッセイに書いていたと思う)。原話はこの雲萍雑志のものだろうが、それを噺家などがより磨きあげて、バージョンアップさせていたのだろう。 ちょっと紹介しておく。
・坊さんが百姓たちを集めて説教して曰く、
坊「皆の衆、世の中は忍ということが大事じゃ。忍の一字を忘れてはなりませんぞ」
すると、百姓の中の文盲の男が
百「和尚様、しかし“にん”というのは二字じゃごぜえませんか」
坊「いや、そうではない、忍ぶという一字のことじゃ」
百「はあ、“しのぶ”でごぜえますか。すると、し、の、ぶ、と一字増えて、三字になりますな」
坊「なんとわからぬ男じゃ。堪忍のことじゃ」
百「かんにん、ならまた一字増えて、四字でごぜえますがな」
坊「ええ、愚昧な。堪忍とは“堪え忍ぶ”と書くのじゃ」
百「また増えましたな。たえしのぶ、では五字でごぜえます」
ついに坊さんは“文盲の徒、度し難し!”と怒って行ってしまった。後に残された百姓、つぶやいて
百「ずいぶんと怒りっぽい坊さまだが、わしはにんの二字を知っておるから、別段腹もたたぬ」
……『雲萍雑志』の原文ではこうである。
「ある人、文盲なるものを異見して、世の交はりは、他の事はいらず。唯堪忍の二字をよく守るべしといへば、文盲の人は、頭をかたむけ、かんにんとは、四字にて侍らずやと、指をもてかぞへ、御許にはおぼし違へなるべし。かんにんと四字にて侍るといへば、異見せし人云ふ。愚昧の人かな。堪忍とはたえしのぶとよみて、二字なりといへば、またかうべをかたむけ、たえしのぶならば、又一字ふえたり。五字となり侍るべし。何と仰せありとも、我等は四字とおもひ侍れば、四字にてかんにんはいたし侍るなりといへるに、その人また云ふ。汝が如き愚昧の文盲は、実に諭しがたし。人に似て虫同様なり。おのれがまゝにすべしと、大にいきどほりければ、文盲の人笑て何とも仰あるべし。我等は、かんにんの四字を知り侍れば、悪口せられても、少しも腹立ち侍らざるなりとて、笑ひ居しとぞ。その智には及ぶべく、その愚にはおよぶべ からず」
朝食、そば粉クレープ。やはり紀ノ国屋で買ったそば粉では蕎麦の香りがあまり出ず。K子は買ってきたイチジクパンを食べている。食後、入浴、洗顔等々。ネットで信州の黒いそば粉の通販を探して注文する。昨日、伊勢丹で見つからなかったので、製造元のサイトを見つけて(なぜかダイレクトに行きつけずに、だいぶ回り道をしたが)、そこで注文したニンニク焼き味噌は、もう今朝、届いた。早いこと。と学会本のMLで、元データが行方不明の原稿の話。ちょっと記憶があったので、昔のフロッ ピーを開けてみたら、ちょうど入っていたのでアップする。
能登のこうでんさんからお歳暮で届いた五郎島金時、不在で渋谷郵便局に戻ってしまい、NHK支局に転送して貰ったのが月曜日、今日やっと取りにいく。あと、古書店への振込も二件。五郎島金時、さすが地物で、紀ノ国屋で買っているものの倍くら いの大きさがある。これで当分、朝食には困らず。
K子が書け書けとうるさいので、来年の〆切だが『Memo・男の部屋』の原稿、4枚書き上げる。途中で昼食。厚揚げの焼いたのに、塩ジャケ、ニラのおみおつけ。食い終わってからチェックして、メール。2時、時間割にてちくま書房Mくんと打ち合わせ、『トンデモ一行知識の逆襲』の著者分刷りを貰う。なをきの版画表紙がいい感じである。書店用にサイン本を貰いたいとのこと。あと、この刊行のために順序が入れ違った『美少女の逆襲』、いつ出るんだという問い合わせ(ゆまに書房のカラサワコレクションがらみだろう)が何本も来ているとのこと。これもやらねばな。別れ るとき、今年初めて“よいお年を”の挨拶をする。
帰宅、MLなどで予定いろいろ確認。と学会本の残り、それから『社会派くんがゆく!』のコラムなどで、コミケまで一日も休めぬ模様。それでも酒は飲む。と、いうか、飲み会もまたコミケまで、一日も空きナシである。ふう。4時、再度時間割。ミリオン出版Nくん。正月明け十日〆切というタイトな仕事であるが、手渡された資料はなかなか面白い。うまく使える資料が家にはあるが、果たして書庫の山の中から出てくるかどうか。その他、いろいろと業界の話。こういうゴシップは本当に、肩の凝 りがほぐれる。
終えてまた帰宅。日刊スポーツから、このあいだインタビューされた今年の事件ベストテン的なもののゲラが届いている。12月に入ってからのめまぐるしさで、インタビューされたのがはるか以前のような気がしてしまう。河出のSくんから、中野貴雄脚本『発情家庭教師・先生の愛汁』(さすがにタイトルを記すのにちょっと躊躇す るものがある)のビデオが届く。有り難し。
7時、家を出て幡ヶ谷『チャイナハウス』。ゲラッチさん歓迎会その3。マスターに能登の五郎島金時、あまり見事なので数本、持っていってプレゼント。ついでに、信州のニンニク焼き味噌も(5つも送られてきたので)一個つけて。集うメンツは、ゲラッチさんの他にわれわれ夫妻、開田夫妻、S山さん、I矢くん、それにこないだの虎の子では“不幸な人”だったグッズS井さん。“教訓は、酒は送らずに持ち込めということだね”と。開田さんから『ぶらりオタク旅』いただき、こっちは『トリビアの歪』を。ゲラッチさんからはポーランド製の“出来の悪い”ソルトシェーカーを クリスマスプレゼントに。
料理はいつも前菜に出る鶏の炙り肉が、なんと野生の雉。これがうまいのなんの。とくに味の染み込んだ皮のところが最高。それから黄ニラ炒め、青菜の炒め、白魚入りの掻き卵(佳品)、スッポンの煮物(絶品)、アミガサタケの煮物。途中から、あいさん(マスターの奥さん)のクリスマスコンサートが始まり、その後ビンゴ大会。今回は私が真っ先にビンゴ、K子用のナイトキャップを選んだ。S山、S井各氏と、アリ酒を飲む。おかわりおかわりで、だいぶベロとなり、この後は記憶が曖昧。ただし、〆にリーメンと共に頼んだチャーハンのコクのある旨さは特筆しておく価値がある。帰りに、あいさんに“カラサワさんの御本、よく読んでますよ”と言われて、何か非常に恐縮してしまった。思えば紅白歌合戦にセルスターズが出たとき、このあいさんが“ワタシタチも紅白にはずっと出たかったケド、出られなかった! ……ヒット曲がなかったせいだ! でも、やっと出られます!”と挨拶したのを見て、“ずいぶん変わった娘だなあ”と思ったのは、一九七二年のこと。私はニキビ面の中学二年 生であった。