裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

8日

月曜日

宮城でごらん夜の星を

 本日の流星雨は仙台地方でよく観測できます(こっちの方がシャレとしての完成度は高いんだけど、やっぱり昨日みたいな方が好きである)。朝、昨日と同じソバ粉のうす焼きにニンニクミソとネギ。ソバ粉だけだと粉っぽくなるので、少し小麦粉を足したが、かえってお好み焼きぽくなってしまってちょっと失敗。果物は『美娘』とい う品種(?)の、セミノールのような奴半分。

 さっそく道新から、送った原稿のゲラチェック。少し足してもどす。日刊スポーツから今年の十大ニュース選定仕事のニュースセレクト届く。さらに『AERA』からコメント依頼、なんと『もえたん』について。『もえたん』は三才ブックスのSさんがこないだ『オタク大賞』に来てくれていて、一冊恵贈を受けたところだったので、ちょうどいいタイミング。……それにしても、年末らしいあわただしさになってきて結構。昔、長谷川町子の『エプロンおばさん』の単行本の、巻末がたいてい師走ネタで、その中に“サーア師走だ!”というタイトルのものがあった。なんか、人々のテンションがそろって急にあがる季節というのがワクワクして、なをきも私も、このタイトルが妙に気に入り、何かあるたびに二人で“サーア師走だ!”と言い合っていた ものである。

 ネット配信コミックの方もやっと契約書が送られてきて、これが開始となるとまさに“サーア師走だ”状態。とはいえ、送ってきたデータが開けない。ドタバタと、気はあせってテンションは高いのだが、どうも体がついて動いてくれず、何をやっても中途半端。風邪がまだ抜け切れないせいか。のどのイガイガはなんとかおさまったが今度は鼻水が出てきた。カタログハウスSくんから電話、こないだ出したコメント原 稿に、取材側の都合で一部変更の必要が出たとのこと。仕方ない。

 資料などネットで見ているうちに2時になってしまう。あわてて打ち合わせ用素材を紙バッグに詰めて『時間割』へ。ゆまに書房Tくんと、『カラサワ少女小説コレクション』次回刊行予定の打ち合わせ。今回のシリーズ全体を通しての目玉となりそうな大物があるのだが、それは予告をつけて第三回に回そうという話をする。ただし、会社ではいま、第一回と同じく一度の刊行を三冊にして、半年ほど間をあけるより、初回刊行の好評を受けて、一回二冊ずつにして、期間を縮めた方がいいのではないかという案が出ているそうだ。Tくんとしばらく話し合うが、やはり一回三冊刊行の方が、組み合わせにバラエティが出せるのでいい、という結論になる。とりあえず、候補作二冊分をTくんに預けて読んでもらうことにして、残り一冊の選定を年内にする ことにして店を出る。

 帰宅して3時。昼を食べていなかった。パックのご飯を温めて、シオカラと柴漬けでお茶漬けサラサラ。ネットで、ゆまにの資料(復刻予定の作家の大人向け小説の代表作)を古書店から注文。ちと高いが、解説用に目を通しておく必要がある。メールいろいろ、職場関係でどたばたとあわただしい人もあり。やりとりのうちに、このあいだの私のトラブルの話題も出る。師走とは別に関係ないが、なんか師走っぽいハイ テンションではある。

 5時半、家を出て中野。今年最後のアニドウ上映会。上映15分前に到着したが、すでに8分の入り。植木不等式氏が来ていたので隣に坐る。植木氏のお知り合いの方も来ていた。古いアニドウ会員で、植木さんにベティ・ブープのビデオなども提供したというアニメマニアだとか。アニドウばなしを少ししているうちに、ふと見ると客席はほぼ満員。凄いものだ。なみき氏が壇上に出て、今年一年、皆勤で上映会をやったことへの自慢ひとくさり。
「言ったことをきちんと守るという、アニドウとしては珍しいことをなしとげた」
 という“自虐自讃”が実にアニドウらしいが、真面目な若いヤツらは怒り出すかもしれない。イヤな時代だ。

 例により第一部ではB級予告編から始まって、無声作品、さらに日本ものとしてはおとぎプロの『岩さわぎ』という珍しいものを見せてくれる。無声作品は私の大好きなウィンザー・マッケイの『ペット』が上映されたのが嬉しかった。猫とも犬ともつかぬ(ワンワンと鳴いたりミャーオと鳴いたりする)小動物を拾った奥さんがそれにエサを与えると、すごい食欲で食べるのだが、この動物、食べれば食べるほど巨大化していき、しかも皿でも椅子でも暖炉でも植木でも、何でもむしゃむしゃと食って、どんどん大きくなる。途中でこれはいかんと思った亭主が、殺してしまおうと思って猫いらずを食わせるのだが、こいつはその毒も体内で中和できるらしく、最初は全身に水ぶくれが出来るが(ここの描写が凄く気味悪い)すぐに元にもどってしまう。やがて、家や電車を食い尽くしながらこのペットはビルほどの大きさに巨大化し、摩天楼街をノシ歩き、戦闘機群(飛行船までいる)との戦いが繰り広げられる……。とても1921年(82年前!)の作品とは思えぬ迫力。オブライエンのキング・コングの12年も前、日本のゴジラの33年も前に、ほぼ怪獣映画において巨大生物を見せるアングルや、軍との対決のパターンというのは完成されていたのだな、ということがよっくわかる。こういうものを見ずに“フロント・プロジェクションの視点はミニチュア撮影から生まれて……”などと語ると恥をかくことになるわけだ。

 最近は“古いものをきちんと押さえておかないと”と言っただけでスノッブな権威主義だ、とキレる馬鹿がいるようだ(『キルビル』の私の日記の記述に対し、怒りまくっている人がいた。よく人の文章はお読みなさい、と言いたくなるが、私はあれを原点になる作品を押さえないで観てはいけないし楽しんではいけない、などとは一言も言っていない。しかし“語る”なら、きちんと原点の作品くらい見てからにしないと、知ってる連中からされないでもいいツッコミをされて痛い目にあう危険性があるよ、と忠告しているだけである)。これは何に関してもそうだが、ことに映像作品というのは、他のジャンル以上に、作者の記憶と経験と知識の積み重ねで出来ている。新しい作品は無意識のうちに、古い作品への“返答”であり“オマージュ”となっているとも言える。逆に言うと、映画ファンとして、どんどんと古い原点の作品の方にさかのぼって観てみたい、という欲望が生まれないうちは、映画への傾倒は本物ではないのではないか、とも私は思っているのである(ここらへんは独断的偏見なので、 怒っても結構ですが)。

 その他、ハシモトさん、テックス・アヴェリー、チャック・ジョーンズと、恒例のものを上映。日米開戦の日だけに(そう言えばマンション前の二・二六慰霊碑の前で朝から、何人ものおじさんたちが入れ替わり立ち替わり、調子はずれの君が代を独唱したり、意味不明の祝詞のようなものを唱えたりしていた)、あちらの戦意昂揚アニメも何本か。カナダのもの(某有名作品をパロ、というかそっくり使っている。いい 野か?)という珍品もあり。

 上映終わってから植木氏と、氏の友人のK氏と、植木氏がネットで調べてきたというベトナム料理店、『裕香園』へ足を向ける。最初に、近くの喫茶店で仕事をしていたK子を拾って。“裕香園”とはベトナム料理らしからぬ店名だが、“ベトナム・広東料理”の店だそうだ。狭い小路をしばらく歩いて、サザエのドンケツみたいな場所にある店。こぎれいなファンシーベトナムレストランと違い、いかにも中野にあるベトナム人のお店、といった作りがまず、気にいった。広東料理もあわせてやっている店を選んだのは、K子がパクチー(コリアンダー)が嫌いなので、もし大量に入っているようなら中華の方のメニューを頼もう、という植木氏らしい心遣いだったようだが、香菜は別皿に分けて出てきて、好きな人だけ好きなだけ加えてどうぞ、というシ ステムであるらしく、まず結構。

 333(バーバーバー)ビールで乾杯、植木さんが頼んでくれた生春巻、腸詰(やたらデカい)、水餃子、豚バラ揚げもの、いずれも結構。ことに豚骨付きバラ肉の揚げものはいかにも“お肉”という感じの美味。食べながら、駄洒落のこと、外国語習得について、狂歌の変遷など、とりとめもなく話題が広がっていく。K子は咳が止まらず、苦しそうである。パブロンのせき止めゼリーが効くよと言ったのだが、まずい薬をのむくらいなら死ぬといい、病院へいけばいいのにと言うと、ノドにヘラをつっこまれるくらいなら死ぬという。ずいぶん簡単に死んじゃう女である。K氏は電車がそろそろ最終なので、と先に帰られる。われわれは最後に牛肉のフォー(ベトナム風うどん)を食べる。これはK子もうまいと感心していた。司馬遼太郎の『人間の集団について〜ベトナムから考える』の中で、屋台のフォーを食べる描写があり、うまそうだな、と思った記憶が(司馬作品で食事の描写が記憶に残るのは珍しいのだが)中学生の頃あった。それから何度もフォーは食べたが、ここのが一番、そのイメージに近いもののような気がする。

 12時過ぎ、タクシーで帰宅。この店は閉店が午前3時というところが実にいい。あまりアルコールも入れなかったので、就寝前にもう一度ネットをのぞく。太田出版H氏から、と学会本で取り上げる本の追加について書き込み。私の候補にあげた本は全て採用……ということは、いきなり総原稿料が増えたということになる。うれしいような困ったような。さらにもう一件、『BUBKA』から原稿依頼。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa