21日
日曜日
用じんぼ
その剣の冴えはまったりとしてそれでいて……。朝、小僧寿司の最新の店舗の夢を見る。パーティ用の寿司盛りの台には仕掛けで動く猫や大名行列のギミックがあり、しかも一定時間を過ぎると寿司は自動的に台の底が開いて落っこち、中でディスポーザーにかけられて始末されてしまう(鮮度を重要視するため)。5時目が覚める。こう早く起き出すのはやはり老化か。寝床で昨日買った『幕末奇談忍術競べ』読む。幕末の忍術使いを描くのだから、山田風太郎の『飛騨忍法帖』のような、幕末の志士と忍者がからむような話を想像していたが、果たして高杉晋作が登場する。これは、と思って期待していると、さっぱり維新とかのエピソードは出て来ずに、主人公の忍術使い伊賀源之助が高杉の命で佐幕派の大名家に忍び込み、お家騒動にからんで正義の側について活躍するというだけの話。ラストに至って、源之助の活躍に感謝したその大名が恩義から勤王派に鞍替えし、源之助もその後志士として活躍した、と言う後日談が語られるだけ。ちょっと拍子抜けであった。主人公が自分のアイデンティティに悩んでいる設定であるとか、女房の他に妾を持っているとか、いろいろと他の忍術講談ヒーローものとは違った異色作であることはあるのだが。
朝7時20分起床。朝食、黒パンにハムとチーズをはさんで。黒パンがもそもそしたものなので、あまり美味くなし。おとついのパーティでゲラッチさんにもらった、ポーランドのインスタントボルシチを作る。お湯を沸かしてその中にボルシチのモト(細かく刻んで乾燥させたビーツが入っている)を投入し、15分煮込め、という指示らしきもの(ポーランド語なので読めないが、15という数字はわかる。まさかに15時間ではあるまい)があったのでそれに従うと、鮮やかな赤色が鍋中に広がると共に、ベリーのようにも思える酸味がかった甘い香りが台所じゅうにただよう。ただ実なしでは寂しいので、小タマネギとセロリを刻んで加えた。まずまずの味。
体調芳しくなし。風邪か。昼間は原稿用資料読み込み。と学会本の原稿、かなり他の執筆者にさきがけて一本書いたのはいいが、その後のペースが落ちて、すでに山本会長や植木不等式氏にはるかに抜かれた形になってしまっている。急がなくては、と 一冊、付箋付けながら批評用再読。
昼は青山まで出る。どこで食おうか、と思っていたら、こないだ入った志味津(トンカツ屋)の隣の、Mという和食屋のランチ案内が目につく。日曜でもやっているのは殊勝と思い、ちょっと夜に来る際の試験としてこころみてみる。鳥からあげ黒酢ソースというのがあるのでこれにしてみる。店はこぎれいで、いかにも青山の飲み屋。酒は焼酎中心にいろいろ揃えているようす。メニューの品数はそれほど豊富ではないが、鍋が二種類あるのはよし……などとやたら観察するが、要するに注文してから出てくるまで時間がかかるので、手持ちぶさたなのである。ランチはもう少し手早に願 いたい。15分も待った。
出てきたもの見ると、唐揚げがかなりの分量。脇皿にジャガイモの皮ごとの煮物。ご飯に味噌汁、おこうこと塩昆布。ご飯が固めなのは最近の流行か? 唐揚げはサクサクとクリスピー感強く、酒の肴にはいいがお菜にはどうか。決してまずくはなく、 合格点なのだが、もうワンポイント、何か欲しいところ。
紀ノ国屋スーパーで買い物、帰宅。原稿を書き出す。途中で新聞の集金が来たり、やたらに荷物が届いたりしてなかなか進まない。途中まで書いて、時間が来たので中断。も少しツッコミどころを絞ろうと、カバンに本と付箋を詰め込んで、新宿まで。サンモールスタジオでのうわの空ライブだが、以前(だいぶ以前)行ったことあるしあのあたりは一時、庭だったしなどと思っていたら、いきなり迷う。うわの空のサイトにある地図が極めてわかりにくいのである。交番に行って道を聞く。ちょうど、同じようにパソコンからプリントアウトした地図を持った人がいて、一緒に向かう。その人に“(自分の)歩く速度、これで大丈夫ですか?”と言われた。自分では意識していないのだが、最近、以前よりビッコをひく度合いが大きくなっているかもしれな い。いたわられてしまった。
到着してからも、サンモールスタジオとシアターサンモールを間違えたり、どうもドタバタ。受付に並んでいたら、階段のところでコソコソとタバコ吸ってる人がいてそれが村木藤志郎さんだった。“高校生がモヤひいてるんじゃないんだから”と言ったら、“いや、この劇場禁煙で、ここしかタバコ吸えないんですよ”と。会場内、驚いたことに、と言ったら失礼だが、いったいどうしたんだ、というくらいのえらい入り。なんとか椅子席に座れたが、後から来た宇多まろん一行は前の方の座布団席に坐らされていた。時間より10分ほどオシで開演。冒頭で藤志郎さんにさっきのタバコ 事件のことをイジられて、少し嬉しい。
うわの空ライブは、本公演と違いコント集である。これまで何回か観にいったことがあるが、ここの劇団の本領であるアドリブの楽しさを味わえるとはいうものの、やはり本公演のあの“凄み”(ただしここの舞台はアタリハズレの落差が激しいということをよく聞く。私はたまたま、アタリの舞台を連続して観てしまい、ハマッた。運悪くハズレの日に観てしまった人も、どうか見限らずに何回かは足を運んでもらいたいとお願いする。アタったときの凄さといったらない)を経験してしまうと、やや、コントの方には“コントだから”という緊張感のゆるみが感じられて、ちと不満を抱いたものであった。今回も、正直言って、あまり期待してはいなかったのである。ところが、驚いたことに、これはアタリであった。終わったあと、ツチダマさんに
「カラサワ先生の笑い声が聞こえてきてホッとしました」
と言われたが、いや、よかった。舞台が、いつものライブ開場である広小路亭(演芸の場)でなく、演劇人にとっての本来の居場所である小劇場だったことが緊張感を メンバーに持たせたのかも知れない。
最近の演劇はコメディが流行りである。トリビアの司会の二人を漫才師と間違えてコンビ名を問い合わせてくるファンが多いが、その隔壁というものが次第になくなりつつあることは確かである。とはいえ、芸人と演劇人の間には、やはりあきらかな違いが存在する。お笑いのコントを発展(あるいは延長)させたものがコメディ演劇、ではないのである。シティボーイズやイッセー尾形は“お笑いスタ誕”出身ではあるが、彼らの演じるものを、純粋な演芸として見ると、やはりそこにはかなりの重さ、悪く言うと“モタつき”が感じられる。演芸は客を笑わせるのが究極の目標、着地点であるが、演劇は、笑わせることを通じて“テーマ”を観客に伝えることが目的であり、笑いは手段なのだ。笑いの上にもうひとつ、乗っかっているものがあるが故に、純粋な笑いに比べて重さが感じられてしまうのである。逆に言うと、最近の若いコント芸人さん、落語家さんには、演芸の笑いの上にこの演劇のテーマを乗っけようとして、芸に嫌なモタつきを付与してしまっているだけという人がまま、見受けられる。 差違が縮まった故の混同だと思うが。
話を戻して、その、伝えようというものが存在するが故に、演劇人には特有の臭みが生じる。たいていは未熟な演劇人が、舞台上で伝えるべきものをその外でも人に押しつけようとするあまりに発せられる匂いなのだが、どんなに達者な舞台人であっても、この臭みは脱しきれない。昔の私は演劇は好きだがこの演劇人の臭さが嫌いで、出来るだけそういうものの少ないところ少ないところと渡り歩き、しまいにはやはり演芸の方のヒトになってしまった。ひさしぶりに舞い戻った小劇場の客席で見た、うわの空が大いに気に入ったのは、彼らが演劇畑でありながら、そういう臭みが皆無の集団だったからだと思う(これまでここが不当に評価が低かったように思えるひとつの原因に、演劇マニアの大半というのが所詮は、演劇人の臭み中毒者にしか過ぎない という理由もあるだろう)。
じゃあ、臭みが無いからコントをやってもOKか、というと、やはりソコが不思議なもので、純粋な、モノを伝えないお笑いだけのコントを演劇人たちがやると、どこか居心地が悪そうなのだ。そこは出自の違いで、駕籠かきに駕籠をかつがずに走れと言うと、何か走りにくいような(あまりたとえがよくないが)ものなのだろう。これまでの広小路亭でのコントは、うわの空の劇団員たちに、どこかそういった雰囲気が感じられたものだった。それが、今回はみな、かなり生き生きと“内容のない”コントを演じている。ただのナンセンスが、“場”の魔力で、演劇人にとって大きな表現テーマのひとつである“不条理”として昇華したのではないかとすら思える。もちろん、演じている若い当人たちには演劇もコントも、もはや区別のないものなのかもしれない。しかし、ジグソーパズルのようなもので、やはりハマるところにピタリとハマると、人というのは見違える。次回からはまた広小路亭にライブはもどるらしいがこのイキを忘れないで演ずれば、あきらかに変化は訪れると思う。今回は小林三十朗とみずしな孝之、宮垣雄樹(『ロマンティック・エイジ』の説明されの介)に、団員ほぼ全員が登場する取調室コント(ここの定番)が絶品。いいかげんなギャグの繰り返しと楽屋オチで進行していくうちに、次第にシュールな状況に落ちていくあたり、最高。これが演劇人のコントなんだよな、という感じ。しかし、今回はこれに限らずみんな笑えた。島×牧も濃密だったし、あいかわらずティーチャ佐川氏、出てくるだけで場をさらうし。高橋奈緒美のプリンセス・テンコーのぴろぴろ笛のアホらしさに はのけぞって笑った(読んでるだけだと何のことかわからないですな)。
まあ、上でいろいろリクツも言ったが、一番、今回が大いに笑えた理由のひとつがお客さんがギッシリだったことだろう。私のよく言うゲッベルス効果。なにしろ立ち見どころか入れずに帰ったお客さんもいるとのことで、私も二回ほど席をずらし、さらには客席にしつらえられた壇の下に椅子を移してみた。客の少ないところで笑うほど心理的抵抗の大きいものはない。それにしてもよく入った。紀伊國屋でもこれくらい入ってくれることを切に望む。小劇場を根城にしていた劇団が紀伊國屋ホールに出る場合、演出から演じ方から、勝手がだいぶ違ってくる。若い座員の多い劇団を率いて、村木さんもこれからいろいろ大変だろうが頑張ってください。
http://www.uwanosora.com/
↑そのうち正式にリンクは貼るけど、藤志郎一座のサイト。
終演後、知り合いに挨拶。宇多まろん、麻草郁、寺田克也さんたち、佐藤丸美さんに扶桑社のOくん、それから私のライブの常連さんであるHさんなどに挨拶。その後サンモールスタジオのあるビル内のレストランを会場にして、打ち上げ&忘年会。日本橋ヨヲコさんや日高トモキチさんなどと話す。講談社のイブニングの編集さんとも名刺交換した。ベギラマと“しかしマンガ業界人率の高い打ち上げだなあ”と話す。そう言えば旦那なる人はどこよ、と訊いたら、満席で座れず帰ったとのこと。彼女のくすぐリングス関係の常連さんも例によって来てくれていたし、私の日記で藤志郎一座を知って初めて来てハマッた、という人もいたのはうれしい。ほかにネット関係の方々とも名刺交換し、藤志郎一座ばなし。島優子さんとは、“鳥食べにいくばなし”を。八幡薫さんには日記で名前を書いたお礼を言われて恐縮。ティーチャさんは書店で私の本を偶然見かけて、買ってくれたそうな。
村木さんとちょっとベギラマ妊娠について。未練のようだが紀伊國屋ホール欠場は惜しい、とまだ言っている私。しかし、ちょっとある“企画”について彼女に、
「こういうのがあったンだけどねエ」
と言ったら、即座に、ア、是非やりましょうとの答え。だってあなた、その月アタマ出産でしょ? と言うと、イエ、ですから後半は空きます、というお見事な答えであった。村木さんも前に彼女に“オマエな、赤ちゃん産むってのは産むだけじゃなくて、その後育てるってことがあるんだゾ”と言ったことがあるとやら。笑った。開田さんたちは村木さんの日記で、てっきり父親がみずしなさんだと思ったとのこと。ベギラマ本人も“そうなんですよ〜、今日ここにいる人たちにも、まだそう思っている人大勢いますよ〜”とのこと。
忘年会らしくビンゴもある。司会は当然小栗由加。開田あやさんが一番乗りでビンゴ。私はこないだのラジオのときの温泉旅行で年末の運を使い果たしたか、まるで当たらず。10時近くまで居ていろいろ会話し、K子との待ち合わせがあるので辞去。携帯で連絡とり、下北沢へ。虎の子で酒。キミさんと、キライな奴の悪口などで盛り上がる。酒の肴にはやはり悪口だな。ジャイアンが持ってきたという霜降りステーキが今日の特別メニュー。酒もかなり進んだ。帰宅時、タクシーが道をわからず、K子が例の口調で厳しく叱責。普段なら別に気にもとめないのだが、その老運転手の口調がティーチャ佐川さんソックリで、平謝りに謝るので、妙に気の毒になり、“そんなに言うなよ〜”と弁護。帰宅1時。