裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

13日

土曜日

出会え系サイト

 忍者が城に忍び込むシチュエーション萌えのマニアのためのサイト。“曲者じゃ、出会え、出会え!”。朝、エッチな夢を見ながらも、“この程度の淫夢ではまだまだだな”とか、妙に冷静に寝ている自分が批評するという夢を見て目が覚める。昨日と はうってかわって好天である。

 朝食、ソバ粉薄焼き、フジリンゴ。新聞に都筑道夫氏死去の報。74歳。最後に姿を見かけたのは無くなった渋谷の東急文化会館で皆神龍太郎氏と観た『MIB』の試写会のときだった。あのときに、ずいぶん歳をとったなあ、とすでに思っていたけれども。ご本人は自分の編集者としての最大の功績を日本に007を根付かせたことだと思っていらした、とどこかで読んだことがある(“リブ・アンド・レット・ダイ”を『死ぬのは奴らだ』と苦心して訳したのに、映画化のとき試写の招待状も送ってこなかったと腹を立てていた)が、個人的考えでは007は都筑氏がいなくても根付いたと思う。むしろ、SF草創期の時に、シェクリィやブラウンを風刺とウィットに富んだ短編小説作家、として紹介したことが、後に日本にSFを根付かせる大きな土壌になった、一大功績ではないか。そして、都筑氏がなぜこういう作家が好きだったかというと、早逝した兄が落語家(鶯春亭梅橋)だった、という環境にあることもあきらかだ。SFの本来持っていた、馬鹿ばなしを大まじめにやるシャレっ気が都筑道夫 の感覚にぴったりとフィットしたのだろう。

 そういう都筑氏のシャレッ気で一番好きだったのは、仲間の境田昭造(漫画家)や星新一たちとやっていたという“正月ごっこ”。夏でも秋でも、とにかく唐突にみんなで紋付きを着て、初詣に行き、“おめでとうございます”と年始回りをして、カルタとりをし、お屠蘇を飲んで、雑煮を食べる。ただそれだけのことなのだが、大の大人がまじめくさってこういうことをやる、というのが実にどうも太平の逸民の遊びという感じで、バカバカしさの極みで結構であった。ミステリやSFは、この感覚じゃ なきゃいけない。

 思えば都筑氏はB級映画マニアという点でも元祖だった。今の私と同い年だった頃にこの人、『超人バロム1』なんて番組を大まじめに見て、“ウデゲルゲなる怪人が叫ぶ「フィンガー」という科白に抱腹絶倒した”と、それを“噛もう”から転訛した日本古来の化け物の叫び声“モモンガー”に対比させて論じたりしていた。70年代初期のことである。40代半ばの、社会的地位のある人間が、ものもあろうにウデゲルゲのことを論ずる、ということが当時、どれだけ異端なことであったか。その“数奇者”としてのスタイルのカッコよさに私は痺れた。同じ怪奇幻想派でも、フランス文学などにハスによりかかっている澁澤龍彦より、都筑氏の行き方がよほど拗ね者のダンディズムとして光って見えた。こういうモノカキになりたいものだ、とそのとき中学生だった私は心底から思った。結果、当時の都筑氏と同い年の今、本当に『バロム1』のことなどを始終原稿に書く身分になっている。人生の目的は達した、という ことになるのかも知れない。

 沖縄の中笈木六さんに、“唐沢さんが小説を書くなら都筑道夫みたいなものを書くと思う”と言われたことがあり、うれしく感じたことがある。私があちこちに書き散らしている雑学エッセイも、都筑氏の『昨日のツヅキです』を究極の目標にしているのである。しかし、氏の活動はあまりに多岐、あまりに雑多な分野にまで及んだために、狭量な日本の土壌では、報いられること、あまりに尠かったのではないか。開高 健が『書斎のポ・ト・フ』でいみじくも洩らした
「(『なめくじ長屋シリーズ』で)なんで都筑道夫が直木賞をとれなかったのか、わからんねえ」
 の言葉に、私の全ての想いは集中しているのである。

 午前中、母から電話。イラク自衛隊派遣問題を話し合う。母子でする話か。原稿、ゆうべ書けなかったSFマガジン『猿たちの迷い道』、今朝はスラスラ書けて11時半、編集部宛メール。いろいろ雑用すます。1時、半蔵門線で神田神保町、古書会館内古書市。今日は棚の並べ方が変わって、入り口対して縦並びになっていた。試行錯誤中。こちらの方が見通しがいいが、順に回るにはやはり横並びの方が。

 戦前の心霊雑誌合巻、圓生追悼号の『落語』、江戸の瓦版研究書などランダムにつまんでいき、まだ背が丸綴じの時代の『さぶ』二十冊ほどがあったのでそれも買う。十五年ほど前、新宿のアダルト書店『カバリエ』でこの雑誌の創刊号からの完ゾロが十万円で出ていたのを買いそびれたのがいまだに悔やまれる思い出になっている。

 出て、『ランチョン』で昼食、カキフライ。『落語』を食べながら読む。ちと高い値段がついていたが、弟子たちの語るいいエピソード類や、珍品ちゅうの珍品で、圓生が圓蔵の頃吹き込んだ『皿屋敷』のSPの完全採録(ラジオ局ゼイオーバーケーの中継が入る。もちろんJOAKのシャレ。まるで談笑の古典を聞くような珍品)など があり、買ってよかったと思う。

 今日は他の仕事もあり、よそには寄らずに急いで帰宅する。明日の両国亭の件で、笹公人さんにメールしたり。しかし、他にも返事しなければいけないメールがだいぶたまってしまっている。と学会原稿、書き出しに難渋して何度も書いては消し、書いては消し。肩がピンピンに張って痛み出しいる。朝のうちにマッサージを予約しておいてよかった。その前に東急ハンズに出かけ、クリスマスの買い物で大にぎわいのところ、SFマガジン図版用ブツを買う。あるだろうと思って行った場所にちゃんとあるのを見つけたときはいい感じ。あと、へぇボタンも明日の高座用に買いたかったのだが、人気につき売り切れとか。確かに忘年会やクリスマスパーティの余興用には最 適なグッズだろう。

 買ったものを新宿で宅配に出し、その足でマッサージ、予約時間ジャストに。こういうときはわが計画性に鼻高々になる。いかに普段計画通りに行動していないかということであろうが。“揉んでもらって治っても、すぐまた仕事すると凝っちゃって”と言うと、“カラサワさんは敏感な体をしていらっしゃるんですよ”とお世辞を言われる。左肩がさわられて悲鳴をあげるほどに固まってしまっている。終わって、タクシー呼んでもらって渋谷へ。『華暦』でK子と待ち合わせ。あやさんがフリマで押しつけられたというけったいなセーターを着てくる。刺身、手羽先焼き、おでんなど。刺身の鯛のうまさは、さすが鎌倉から上がった(女将が毎朝買い出しに行っている)もの、という感じ。寒いせいか、おでんのはんぺんと白滝がしみじみ舌に染みる。こういうものをうまがるようになるともうトシである。明日は人前でしゃべるのだからあまり飲むなとK子に言われるが、つい過ごしてしまった。

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