裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

29日

月曜日

いやよいやよも竹野内

 いくらいやがったって、相手が竹野内豊なら、内心はうれしいだろ? 朝、7時半起床。朝食、そば粉焼き、ポンカン、フジリンゴ。体の節々が痛いのは、昨日、久しぶりに重い荷物を両手に抱えて、勇んで家に運んだためだろう。情けない肉体になったものである。とはいえ、古書買いの悦楽の第一はこの、帰りの紙袋の重さだろう。危険物評論家の奥平広康氏が、以前、某宗教団体の総会の模様を写した16ミリフィルムを手に入れて、十巻以上あるそのロールの入った袋を両手に提げて、ロフトプラスワン(まだ富久町の頃の)から新宿駅までの長い道のりを、重そうにしながら歩いていたことがあった。脇で見ていてあまり重そうなので手伝おうかと声をかけたら、
「イエ、いいんです。この重さがうれしいから・・・・・・」
 と、満面の笑みと共に断られたことがあり、そのときは“ああ、彼こそ真の喜悦を知るものである”と感服これ極まったものであった。私もこの体の痛さを、嬉しがら ねばイカンのである。

 原稿カリカリと。昼は冷凍庫のさぬきうどんとレトルトのカレーでカレーうどんを作ってすする。1時、どどいつ文庫伊藤さん、今年最後の行商に。洋書十数冊、例によりいずれもカルトなものばかり。誰かに翻訳してもらいたいもの、自分で翻訳したいもの、多々。彼が、自分のパートナー(って言い方は嫌いだが)のことを“妹”と呼んでいるのは、テレてのことですかい、と訪ねたら、“イエ、でも本当に妹なんです”と言う。“妹って、奥さんなんでしょうが”“エエ、知り合ったときに彼女のお兄さんが「俺の妹、妹」と呼んでいて、私もそれについて妹、妹と呼んでいたんで、いまだにそう呼ぶのがクセになっているんです”とのこと。まあ、いつもながらの伊藤調ではあるが、まことにもってややこしい。お得意のお客さんでもずっと妹だと思 い込んでいて、私の日記で初めて違ったと知った人もいるらしい。

 伊藤氏に、お歳暮等で、我が家で食べきれないものをいろいろ進呈。冷凍食品から珍味系、蕎麦、酒、それに能登の五郎島金時もわけてあげた。“本を売って帰りがこんな重いのは初めてです”と、ニコニコしながら帰る。これも重さの快楽なのか。そう言えば『夢声戦争日記』に、戦時中、田舎の慰問仕事から重いカバンを下げて家に帰るのはつらいが、そのカバンの中から、おみやげの芋だのまんじゅうだのをひとつひとつ、手品のように取り出してみせるのはうれしいこと、という記述があった。

 シネバザールのスタッフ、また来て残りの本を持っていく。貸し出すのは全くかまわないのだが、持っていったあとで、しまった、貸本少女漫画本だけは残しておかなかればいけないんだった、と気がつく。ゆまに書房のカラサワ・コレクションの巻末に載せる少女漫画を、そろそろ選定しないといけないのであった。それをそっくり、貸し出してしまった。2月頭くらいまでは撮影に使用するそうで、その間、選定が延びることになる。あちゃあ、と思い、表紙ヤレなどで残っていた数冊の中に何かいい ものがないか、と思ってぱらぱら。一本、使えそうなのが見つかった。

 4時近くまでかかって原稿17枚半、書き上げてメール。ふう、と一息。まだ全部で19本担当のうちの7本、半分以下であるが、ほぼ毎日13〜15枚の原稿を書いている現状はなかなかすごいのではないか、と自分では思う。今日も“読んでます”メール多々、いただく。ありがたいこと。以前この日記にも取り上げた北風小象夫さんからもいただいたし、以前お仕事をした編プロ関係者さんからも来ている。名古屋で旭堂南湖さんに講談の会の会場を貸しているという居酒屋さん(他に新作の会で快楽亭や白鳥、談笑などとも顔見知りだとか)からもいただいた。来年は名古屋に来ていただければいいなあ、とのこと。ちくまの本の出版宣伝で、あのメンツとならどこ へでもいきます。

 あと、別口原稿で必要なので探していたビデオがあったのだが、中古ビデオ探しのネットで探求依頼を出したら、比較的簡単に見つかった。これはうれしい。原稿と言えば、こないだの文藝春秋の原稿が今年最後の原稿依頼かとばかり思っていたら、この29日になってまだ依頼してきたところがあった。もっとも、ミリオン出版からで あって、例の猟奇本のプロフィール原稿であるが。

 6時半、タクシーで新宿へ向かう。新宿南口近辺に、“世界の、終わりは、近づいています”という、あの独特のイントネーションの聖書普及協力会の拡声器の声が響く。最近の東京ではこれが最も、年末を感じさせる光景ではないか。南口改札前信号のところに、やたら美形の少年が、黙然として、暗い表情で立て看板を持ち、寒風の中、たたずんでいた。ここの立て看持ちは、聖書普及協力会による懲罰だという話も以前、あるサイトで読んだことがある。ちと瞼の裏に長く残るほど、美しく、また憂 いに満ちた、少年のその表情だった。
http://24hour.system.to/jesus/org6.htm
 ↑ここの『協力会はカルトなのか?』前・後編を参照のこと。

 新宿で買い物少し。小田急地下食品売り場で、明日のコミケ会場での食事用の握り飯を仕入れ、また明日明後日の朝食用にと、中村屋で肉まんを購入。それらの荷物を下げて、地下鉄大江戸線で東新宿、毎年二回恒例の金成由美さんコミケ上京歓迎会。開田さん一党の『特撮が来た!』のみなさんは今日、二日目のコミケ参加だったのでこれが打ち上げ。こっちの方の参加者は今回の総合幹事IPPANさん、QPハニーさん、GHOSTさん、鈴之介さん、気楽院さんなどなど。乾杯の挨拶をIPPAN さんにうながされて
「この年の瀬にまたBSEなどがアメリカで発生しまして、まあ、あの国も迷惑至極な話でありますが、今日の肉はとりわけ味わいがいいと思います。乾杯!」
 とやる。なくなるなくなると開田あやさんが騒いでいたオックステールもちゃんとまだメニューにあり(テール部分は廃棄指示箇所からそもそも外れている)、かぶりつくように食べる。金成さんとは裏モノばなし。宅間守と結婚した創の編集者、私は会ったことがあるか? という話。GHOSTさん、“編集後期で今度、名字が変わる女性がそれなんですね”と。黒ホッピーをQPさんと二人でガブガブやって、かなり酔いが回ってしまう。K子は同人誌を知り合いたちに配ったりなんだり。特来の人たちに何人か、サインを求められて酔筆をふるう。最後にまた、私の音頭でオタクの三本〆でお開き。帰宅したら笹公人さんから、日刊ゲンダイで『念力家族』を取り上げたことへのお礼メール。今年は笹さんと知り合えたことが大きな出来事のひとつで あった。

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