裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

18日

月曜日

マニュアルと思う心の仇桜

 えー、これ全然取説と違うじゃん! 朝7時半起き。朝食、カキグラタンサンド。遅れ気味の日記をつける。17日のタイトルの元ネタ『空の神兵』、正確な歌詞を調べようと検索してみるが、どこも実にあやふや。“空に咲き”“空にあり”“空に舞 い”などと何種類もある。結局、http://www2.to/gunkaの軍歌集サイトで確認したが、元航空兵という人のサイトでまで間違った歌詞が書いてあったし、若いののところになるともう無茶苦茶。“見よ落下傘そらのうーみー”などとわけのわからぬ歌詞が書いてある。もっとも、私も“空に咲き”と覚えていた。

 仕事しているが、たびたび宅急便の応対で中断。御歳暮がどうしたわけか、いつもの年より多くくるような気がする。ただで貰っておいて注文つけるのは下種ばっているが、こちらのリクエスト(?)に応えてビール、酒類、またジュース類などいただくと実にうれしい。逆にチョコレート詰合せしかも大箱入りなどというのが来ると、捨てるわけにもいかず、どうしたらいいかとユーウツになる。昼飯は昨日のギンナンご飯の残り一杯。豆腐の味噌汁。

 すがやさんから注文した古書が届いたので代金を郵便局で振り込み、1時、東武ホテルで俳優の阿部能丸くん、映画監督の須賀“ブリスター”勢次郎くんと待合せ。時間割に場所移し、しばらく話す。須賀くんはいま『鉄甲機ミカヅキ』の編集をやっている。その苦労ばなし。実際、かなり苦労はあるみたいで、いろいろとレクチャーを求められる。少し意見を述べる。“そうなんですよ、そう、そうなんですよ、そうなんですよ、そーなんですよぉ、そうなんですよ”と、五連発の凄い相槌を打たれる。『ブリスター』の裏ばなしも少々聞く。今日の会合のメインは私の××の×××の×××の進行状況についてなのだが、現在×××××いる××の方で××××××××になっている。もっとも、これは××を×××××たとき、丁度××××の×××が×××ということで、向こうの方で××は×××、といきなり××が××してしまったもので、現在×××の×××がかなり×××していることもあり、××が××してくる×××が強いという。まあ、私はすでにこれに関しては全ておまかせなので、ただふんふんと聞くだけ。

 これからミカヅキ第三夜の編集に行くという須賀くんを送って、阿部くんには、今夜の手塚監督を囲んでの飲み会に来ませんか、と声をかける。一旦家に帰り、Web現代原稿を書く。書き上げるが、妙にマジになってしまった感じなので、全部放棄。一から書き直す。三分の一ほど書いたところで時間となり、中断して家を出る。新宿のしゃぶしゃぶ屋『木曽路』で、『ゴジラ対メガギラス』の手塚昌明監督を囲んでの飲み会。昼にブリスターの監督と話し、夜にゴジラの監督と飲むというのも、なかなかオタク的に濃い一日である。

 集うもの、安達Oさん、睦月さん、開田夫妻、談之助、K子、阿部くん。監督には以前編集をのぞきに東宝スタジオにお邪魔したときに一度お会いしているが、きちんと話すのは今回がはじめて。映画関係者にもいろいろおつき合いさせていただいているが、まあ、関係者といっても特殊な関係者が多いせいもあって、そのほとんど全員の、言動坐臥いちいちにある種の狂気が感じられ(平山亨氏のような温厚な紳士からもやはりそれはビンビンに伝わってくる)、それがこの業界での才人の印、というような認識でいた。ところが、手塚監督に関しては、あれだけの作品を撮った人でありながら、そういうエキセントリックなところがまるで感じられない。いかにも温厚なイメージの、常識人である。ロフトの壇上などでは案外過激なことを言って沸かせているらしいが、どうも、それも観客のウケをねらってのリップサービスの気配が濃厚である。もちろん、無茶苦茶なゴジラマニアであり、“ゴジラ映画の監督になって一番嬉しいのは、ゴジラの監督のサインがタダでいくらでも手に入ること”と言い切るようなグッズコレクターで(なにしろ、自宅のテレビの上にはオルガのフィギュアが飾ってあるそうだ)、その意味では十分に一般人には気味悪がられる(笑)オタクであるのだが、要は“ゴジラに淫していない”常識人の目をきちんと持っている映画のプロ、ということなのであろう。

 いろいろ映画造りの話を聞く。次回作のウワサなどが出ていささか外聞をはばかることもいろいろ聞いた。一番私的にウケたのは、池内万作のクサ演技。試写 を観たときの感想に書いた通り、主役がしゃべっているときにも脇でいろいろ芝居するので、星由里子さんが“なんであの子、ああ勝手なことばかりやって場面をこわすの!”とキレたそうである。彼のセリフは全部、アフレコで入れ換えたのだとか。よほどクサくしゃべっていたのであろう。いやあ、親父ソックリだなあ。

 それから話は開田さん談之助まじえかなりのオタク的なものとなり、監督もかなり呆れていたと思う。7時から1時間半、という店の予約だったが、なんと10時半くらいまでしゃべりまくっていた。店も追い出しにこなかったのは、オタクばなしの大盛り上りに気味悪がっていたからではないか。開田夫妻が、監督をマリンポスト(ゴジラのCGを制作している会社)の忘年会に引っ張っていく。私ら夫妻と談之助、安達、睦月の5人はもうちょっと飲もう、と阿多幸で閉店までの30分ほど、おでんと燗酒。塚原くんの話など出る。彼の才能がいくばくのものであったか、という話。私が彼の才能に関して、ネット上で見たもっとも当を得ていた(ように思える)評価は“どの本を読んでもストーリィが全部同じだが、あの若さでこのような売れる「型」を作ってしまったのはエラい”というものだった。官能作家にとって、これは宝の山を堀り当てた、というようなものである。しかし、彼が苦しみもがき、クスリに逃げ 道を求めたのも、まさにこの評価あるが故、ではなかったか。

 官能作家のように、作品をある一定のペースで刊行し続けることが肝要である仕事にとって、なによりも必要とされるのは、同じテーマ、同じスタイルのものを書き続けることである。昔、川上宗薫が週刊誌上で、次号より連載の作品について抱負を語れと求められ、“新作について何か語れと言われても、私の書くものはみんな同じであって、要するに男が女と寝るのである”と人を食ったことを言っていて、大ウケしたことがある。ハタで見ていると気楽な商売と思えるかもしれないが、実は、クリエイターの才能の中で最も稀有な才能というのは、この“何年も何十年も、倦まずに同じものを書き続ける”才能ではないか、とすら思える。忍法ものばかり何十何百と書かされ続けた山田風太郎の言を借りれば、“チンポが立たんのに悪い女と手の切れん男のような心境”になりながら、それでもある水準を守って書き続ける。この“量 ”の才能について、日本の文壇はあまりにこれを軽視しすぎた。ドイルも乱歩もE・R・バローズも、“またこれかよ”とボヤき、悩み続けながら人気ヒーローものを量 産し、われわれに限りない遺産を残してくれたのである。塚原尚人を語るとき、落としてはならないポイントは、デビュー七年というキャリアに比しての著作の少なさでは ないか?

Copyright 2006 Shunichi Karasawa