裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

4日

月曜日

マッコルリ燃えた太陽だから

 焼肉屋で歌ったりしませんか、これ? 朝7時半起床。朝食、ピタパンにカキフライをはさんで食べる。それとブドウ数粒。そろそろ、残りのスケジュールが神経にさわってくる季節。薬局新聞、一本アゲる。あと二回くらいで終了、と思っていたが、それでは早急すぎるとK子に言われ、五回くらいにのばすことにする。

 それからずっと、官能倶楽部同人誌原稿。小説というのはエッセイの三倍くらいの時間がかかるものである。十三枚のものに一日半、かかる。エッセイは書き上げてからの方が楽しいが、小説は書いている最中が一番楽しい。電話数本。こちらからかけたものはことごとく、通じず。みな、走り回っているのであろう。

 昼はオコワのパックを温めて、豚肉味噌漬けを焼いてオカズにする。食後、お茶を飲みながら圓生『一人酒盛』を聴く。明治っぽい話ではあるのだが、B29の空襲のエピソードが出てくる。違和感があるが、またそこが落語の融通無碍なところでもあろう。話している演者と、話の中の登場人物が一致したり、また離れたり、聞いている間にそれがいったりきたりなのである。談志・志ん生などは露骨にそういうタイプであったが、文楽はきっちり、話の中の人物になりきっていた。落語も演劇の一種と見れば、スタニスラフスキー・システムではないが、そちらの演じ方の方が高級とみなされるだろう。いや、圓生自身、『淀五郎』でそのような役になりきる心がけを説いている。それもあり、圓生もどちらかというと文楽タイプと思われているが、やはり寄席育ちは争われないというか、時にこういう演り方でやる。徳川夢声が『いろは交友録』の中で、圓生のこの演出を難じていたが、結局、夢声という人は寄席落語の聞き方に長じていなかったらしい。・・・・・・ところで、私の小説も、そうあるべきではないか、それが一番私に似合った書き方なのではないか、という気がする。

 某社で連載している原稿、今回の原稿は編集者が社の弁護士に照会していた。ある特定人物を(本名ではないが)ネタにしているため、名誉棄損で訴えられる危険性がないかどうか、確認のためである。その返答に曰く。
「拝見しました。思わず、吹き出してしまう内容で、さすがと思いました。万一訴訟になっても、担当裁判官が健全な常識を持ってさえいれば、大丈夫と思います。(中略)文章の“味”のために、リスクを侵すというのであれば、それはそれで一つの考え方です」
 今までいろいろ出版社の法務担当者と話したりしてきたが、ここまで理解がある人というのも初めてである。大変に心強い。もちろん、当初の文章からかなり用心深く扱っていたからこういう回答が出たわけであるが。

 5時過ぎ、小説アゲて編集担当の安達Oさんにメール。買い物に出て、帰ってきたら“届いてません”とのこと。間違えて安達Bさんにメールしてしまったらしい。まだ開封されていなかったので削除して、Oさんに送りなおす。それから、週刊読書人『2000年マンガ状況年末回顧』の原稿。あずまんが大王のブレイクのことを中心にして書く。

 先日来、連絡をつけようとしていたOTCのD氏にやっと連絡つく。13日の『コンテンツファイル』収録、大阪から駆けつけるわけだが、それでOKかという件。それでお願いしますとのこと。交通費、グリーン車でなければ出るということで、まず落ち着く。明日、切符を買ってこなければならぬ。8時、すがわらでK子と。白身、イカ刺、甘エビなど。アナゴ柔らかくてべらぼうにうまく、おかわりする。日本酒2合、黒ビール一本。

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