裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

11日

月曜日

景虎の父がいる、景虎の母がいる

 父は上杉家守護代長尾為景、母はその一族長尾顕吉の娘。朝6時に目が覚めてしまい、所在なくインターネットなどする。7時半、朝食。バンズドッグ、ポンカンオレンジ。昨日、ロゴスでも見つからなかった、イタリア、フランスのエロマンガ資料、仕方なく書庫にもぐってゴソついていたら、ちゃんといいブツが見つかった。わが書庫ながら、こういうものが探せば掘り出されてくるということに呆れる。SFマガジンの図版用ブツを宅急便で送り、待合せの時間割に11時。まだ開いてなかった。向かいの東武ホテルでハローケイエンターテインメント、Iくんとライターさん。アート系エロとエロ系エロの両立の話。いろいろウケを取れるようなエピソードを紹介。次回の仕事にもつなげられたようで、まず結構。

 家に帰り、旅行前の冷蔵庫整理。バナナと牛乳のあまったのを片付ける。今回の旅行にはノートワープロ持参で、これであちらの空いた時間を利用して原稿を、と思っていたら、バッテリーボックスのバネがバカになっており、叩いてもなにしても、それが外れず、電池を入れ換えられない。と、いうことであちらでの仕事はオジャンとなる。いろいろ、仕事出来ないように仕組まれている。決してワザとじゃありませんですから。

 なんやかやでギリギリまで仕事し、2時、タクシーで東京駅まで。13日一時帰京の切符購入。3時7分発のひかりで新大阪まで。ビール買って、つまみに地鶏のクンセイを齧る。弁当も買おうとしたら、K子に、夜に備えておなかをすかしておきなさいよ、と止められる。仕方なく、車窓の景色見ながらビール。駿河あたりの富士山のバカ近さ。豊橋のあたりで、まん丸い巨大な月の出を見る。携帯で岡田斗司夫から博多で食べた鳥鍋の野菜は何だったか、という問い合わせ。それからエンターブレインのNくんから連絡で、対談本手直しのスケ合わせ。

 対談本のことについて、ビール頭でぼんやり考える。まあ、この本、オタク対談なのだが、始める前に鶴岡と話したのは、とにかく、現象論で行こうな、ということであった。オタク状況は日進月歩で変化し、膨らみ、また縮小する繰り返しである。オタクを語ることは即ち、この現象の時々刻々の変化の観察と、その面白さの抽出であり、それを記録に留め、経験値でもってその動向を探っていくことだ。それ以外に、オタク分析に効果的な方法はないと言っていい。その、記録に留める際の主眼がセンター部分にあるかフリンジ部分にあるか、人にあるかモノにあるか、過去にあるか現在未来にあるか、はたまた肯定的か否定的かなどの差が、オタク評論のそれぞれの分野を作っている。その中のどれが優れているとか重要だとか言うことはない。どれもみな、なければならぬ重要なポイントなのである。

 これをカン違いし、オタク分析に本質論を持ち出した議論で、成功したものはないと言っていい。昔、安井琢磨が経済学に哲学者流のダス・ヴェーゼン(本質)へのこだわりを持ち込むと必ず不毛な論議に終始すると吐き捨てていたことがあったが、まさにオタク論もそれであろう。種々雑多なオタク現象の底に本質の世界があり、そこから全ての現象面が見渡せる、などという根拠のない妄想から、そろそろみんな目を覚ますべきなのではないか。安井氏の著書中の文章をもじって言えば“萌えのヴェーゼンを探ってみたところで、そんなものが掴まるわけがない”ことに、常識で気がつくべきなのである。

 6時15分、新大阪着。なんばサウスタワーホテルに入る。以前、オタアミで一回泊まったところだった。やたらフロア従業員の数が多く、いたれりつくせりの扱いを 受ける。部屋に荷物置いて、すぐタクシーで心斎橋の外れにある鯨料理西玉水まで。 予約をK子が入れたら、去年と同じカウンター奥の席を用意してくれていた。ご主人は、最初わからなかったらしいが、お造りの写真をK子が撮り始めた時点でアア、という顔をした。奥で記録を調べたらしく、“去年は十三日にいらしてもろうて”と挨拶される。ちゃんと記録につけている(何て記録しているのかは知らない)のがすごいと思う。いろいろ話を聞く。クジラ肉入手の秘密がなかなかイイ話だった。

 どういうメニューをどのように味わったか、はK子の日記を参照。今回は去年、学習したので狩場焼きやカツは遠慮しておく。網焼きのみ試したが、まあ、別 にどうってことない味。昔ながらのクジラが食べたい人ならどうぞ、という感じ。我々が食べたいのは西玉水のナガスクジラ、なのだ。東京の樽一のクジラは珍味であるが、ここのは高級食材である。餅鯨の白味噌仕立ての味わいは、こういう食べ物を発明した人の頭脳はアインシュタインに匹敵するのではないか、と思えるくらいだ。以前、裏モノ会議室で猫が好き♪のおっさんが、クジラなんて不味いものを日本人がありがたがるのは戦後やたら鯨肉を食わされた時期へのノスタルジー、などと言っていたが、味に対する無知の言でしかない(西鶴とか読んだことないのか?)だろう。捕鯨に対するポリシーもちゃんと、ここの主人は持って商売している。それと、ここはクジラ以外のものも無類。九州産新筍の煮物の味わい、それから赤ナマコのコリコリした歯触りと風味、まさにこれ他と比較を絶する。大阪までわざわざ足を運ぶ価値のある味である。池波正太郎が何度も“東京へ出てこい”とすすめたというが、これもまた考えのない身勝手な意見だろう。関西にあればこそ、この素材の吟味が可能なのである。

 客が今日は私ら夫婦入れて三組、カウンターにいたが、他の二組の親父たちが、どれもおしゃべり好きな関西系。ことに隣の席の親父、ぴんから兄弟のヒゲの方が六○になった、という感じで、絵に描いたようなクラシックな関西人的風貌であった。酒が“この徳利、上げ底なんじゃないか”と思うくらいすぐなくなり、何度も変える。かなり酔った筈だが、酒の酔いより食い物の酔いの方が上回り、寒風の歓楽街を上機嫌で二人、突っ切って歩いて帰る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa