裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

14日

木曜日

天安門にもコリャ花が咲くよチャイナチャイナ

 中国よいとこ一度はおいでドッコイショ。朝5時過ぎ起き。起きるというより、半覚醒から覚醒にもどった、という程度。ナンプレゲラチェック一本、やってFAX。目いよいよ痒く、これはホンモノか、といささかブルーになる。もっとも、去年の日記を改めると、かなり体調が崩れている。今年はそれほどでなし。こういうときの頼りにと、麻黄附子細辛湯をのんで、5時半、出る。タクシーで東京駅。さすが5時台は道もガラすきで、30分、予定より早めに到着。構内をウロウロして時間つぶす。

 6時半のひかりで新神戸へ。車中、まい泉のヒレカツサンドで朝飯。隣の席に新横浜から乗り込んできたサラリーマン、前のめりにうずくまるような、不思議な眠り方でずっと寝ている。目はおさまった。ブッシュ勝利の新聞など読むうち、9時50分過ぎ、新神戸。元町近くの喫茶店でK子と落ち合う。ゆうべは大阪の与太呂で開田夫妻と鯛飯を食ったそうである。塚原くん死んだこと、開田さんに聞いたかと訊くと、昨日のことを目を輝かせていろいろと話す。あやさんが“カイダ〜、やっぱりK子セ ンセイ喜ぶ〜”と呆れてたとやら。

 南京街をぶらつき、にしむら珈琲店でブルーマウンテン。11時にガイドに載っているうどん屋でぶっかけを食べる。奇妙な食物なり。食べ終わったあと、元町の高架下を取材。東京の人間にわかるように説明すると、中野のサンモールが横にずーっと長く延びている状態のところである。古書店もかなりあり、その一軒で貸本マンガを買う。七○○○円ほど。あと、またまたゾウのいいオモチャ(一万二○○○円)も見つけたが、これは買わず。何となく、気力を買う方へシフトするキッカケを逃した。

 ポートピアホテルにチェックイン。ここと、隣の国際会議場では日本分子生物学会の年次会が開かれており、“日本にはこんなに分子生物学者がいるのか”と呆れるほど、名札とパンフレットの入った紙袋を持った男女であふれている。一人々々は個性ある顔をしているが、まとめてみると、やはり理系顔、とでもいうようなイメージの一団になるのが面白い。服装のセンスとかが、どこか共通している。部屋でやっと風呂を浴びることが出来、息をつく。ベッドに寝転がってひと休み。K子が読んでいた洋書『PENIS BOOK』(どどいつ文庫から買ったもの)をパラパラと見る。冒頭にあるジョーク。
「シュワルツェネッガーのは長く、ブラッド・ピットのは短く、マドンナは持ってなく、ローマ法皇は使わないもの、なーんだ?」
 本が本だから当然あのこと・・・・・・と思うだろうが、答は“名字”。

 ただゴロチャラしているのも退屈なので、3時半ころ、ポートライナーでひと駅隣にある、青少年科学館というところに行く。こんな平日の夕方に行く奴もいないのかルミナリエで忙しいのか、駅のあたり、遊園地も科学館もガラーンとしていて、まるでゴーストタウンのよう。消化器官の説明の立体映像は永井一郎が声ばかりでなく、芝居もやっていた。リニアモーターカーの試乗も、ロボット神ちゃん(コーちゃんと読むのか?)の相手も、私たちだけ。神ちゃんは手元のスイッチを押すと、世にも奇妙なイントネーションで、“ハイ、アナタ(この「ア」にアクセントがある)デスネ(この「デ」にアクセントがある)。イマ、イキマスヨ(この「イ」にアクセントがある)。ハイ、アナタデスネ。イマ、イキマスヨ”と繰り返しながらジーコジーコとやってくる。21世紀を間近に控え、いまだにロボットはカタカナでしゃべってくれる。嬉しいではないか。おまけに神ちゃんは耳が遠い。運搬、数字当て、似顔絵などやってほしいことをマイクに向かって話すのだが、かなり大声でゆっくり話さないと間違う。似顔絵というのを選択したが、要はドットでカメラに映った像をプリントしてくれるのであった。終ると神ちゃんは“デハ、ワタシハモドリマスヨ”と繰り返しながら、定位置に帰る。海外版ゴジラに出てくる大戸島の住人が、こんなアクセントで“マタ、キマスヨ”としゃべっていたな。4時半、閉館。ホテルに戻るのだが、このポートライナーというのは一方通行なので、ひとつ前の駅に戻りたいときでも、環状線をぐるりとひと回りしなくてはならない。未来都市って、不便だなあ。このライナーのアナウンスの“マモナク、電車ガ、キマス”のアクセントも、神ちゃんのソレにちょっと似ている。

 ホテルに戻り、ドラッグストアで風邪薬と栄養ドリンク買って飲む。なんだかんだで東京へトンボ返りしたりして、体力が落ちている。疲れて免疫力の弱ったときに、病気はつけこんでくる。鈴木その子はそれで死んだ筈。6時半まで寝る。調子よし。科学館で見学している最中、ぶんか社K氏から電話。こないだの熊田プウ助氏の問合せのときに、こちらから連絡してほしいと頼んでおいたもの。以前書いた本の原稿を引き上げたいのだが、そもそもアレはそちらが保管、してくれているのか? という件。図版の写真とかがたくさんなので、文庫化のときなど、新たにやり直すのは大変なのだ。調べておいてくれるということ。

 7時、ルミナリエでにぎわう反対側の街を歩き、北野のステーキハウス『あら皮』に到着。ここがどういうような店であるかは、昨年の12月の日記(ここでランチを食った)を参照。そこで、ベストセラーでも出したら今度はディナーに挑戦するか、と書いているが、別にベストセラーを出したわけでもないのに、今年はディナー。稼いだというよりはせっせと貯金したおかげです。コースで、前菜が生フォアグラのソテー、サラダがシュリンプサラダ、それからステーキがロースかヒレだが、去年食べて抜群だったイチボに変えてもらう。イチボはH(ヒップ)ボーンが縮まったもので臀部の骨の近くの肉。柔らかくて風味があり、こういうステーキには最適。ベリ・レアにして焼いてもらう。ここの肉はかまどで焼くので、ベリ・レアでも外側はカリカリ。で、中がレアで、芯の部分が、まだ生で、トロリととろけ出すような感じ。全体の形も、肉というもののエッセンスを封じ込めたカプセル、というイメージで、口に含むと、カリ、トロ、と、二つの食感が混じりあい、たちまちのうちに形を失って、それが細胞全体に染み渡っていく、といった案配。K子の眼も私の眼も、とろん、としてくる。“これってドラッグ〜”とK子、叫ぶ。

 私が食い物の記録をつけることに執着するようになったのは、かつて“死”を隣り合わせに感じていた青年期からの脱却のためではないか。常に死を近くに感じ、その不安から逃れるために、ホリゾンやハルシオンを手放せなかった二十代前半。塚原氏の死ぬ前の状況を見ると、まるで自分と同類項である。これを続けていたら、私もまた、生よりも死の方を近しく感じるようになってしまっていただろう。人の“生”、その積み重ねである“日常”、そういったものと自分をつなぎとめておくために、私は日記をつけはじめた。日に三度々々、ものを食うということは、その生のいとなみの、最低限のシルシである。食い物のことを記さない日記に、私は生を、日常を感じない。日常にこだわり、生の中で何かをなそうとしているものの記録に、食い物の記載は不可欠である。食事が記録されていない日記を、私は日記と認めないのである。だが、それにしても・・・・・・この『あら皮』のステーキは、『西玉水』のクジラは、それを食べている私の“生”の価値を、ひょっとして上回っているかも知れぬ と思う。オソレオオイ、とすら感じる。せめて、来年は、もう少し自分の生の価値を上げてから来よう。

 去年、ここの帳場のカウンターで大声で話していた後ろチョンマゲのおっさん、このシェフが、この『あら皮』の創始者の息子なのだそうだ。東京の田村町にも『あら皮』という店があるが、ここは最初はこの神戸店の支店だったが、現在はまったく経営は別になっているのだとか。それでどれくらい味が違うのか、食べくらべてみたいような気もしないではない。私たちが入った時間には客は他にひと組だけだったが、あっと言う間に満席になる。見渡してみるに、どうもどれも肉より価値のある人々には見えないので、少しホッとする。肉をほうばり、咀嚼し、飲み込んでいるうちに、もはや自分が肉を食べているのか、肉に自分が食べられているのかわからなくなり、エスプレッソコーヒーの苦みでどうにか精神をシャッキリと覚醒させ、ホテルへと何 とか帰りつく。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa