裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

27日

日曜日

ポチを喰った男

 僕のかわいがっていた犬を鍋にするなんて。朝6時頃目覚。寝床で実録犯罪ものなどを読む。7時半離床、朝食の準備。K子はさすがに最近の美食続きで太ったというので、ダイエットで野菜だけの炒めもの。私はモチ入りコーンスープ。読売新聞書評欄、相変わらず書評担当に大学関係者をずらりと揃えた権威主義にそりゃ文句はあるだろうが、しかし、彼らを好む読売のアカデミズムべったり的性格はともかく、書評を担当している個々の評者までをも教授だ助教授だという肩書だけで採用された、堅苦しい権威的文章しか書けない連中と決めつけては、それもまた逆の意味での権威主義中毒と言えよう。子細に見ればごく一部をのぞいて、ここでの評者に任命されている人々は、毎回手を変え品を変えて、自分の担当書を何とか面白く伝えようと努力しているあとが見え、野の三文書評家に比べればさすが本読みのプロ、とうならされる評をモノしている。私はかなり楽しみに毎週、この欄を読んでいるのだ。特に下段の方にまとめられている短評群に工夫が見られ、今回も慶大の小林良彰助教授、早大の山元大輔教授などの文章は、読んでいて実に楽しいものがあった。中でも山元教授の篠永哲他・編『ハエ学』(東海大学出版会)への指摘は学問オタク的な著書に共通の魅力と欠点を一般読者としての立場からサラリと、しかし鋭く指摘していて、大きくうなづかせられる。まあ、こういう巧者が揃っているだけに、一層下手な奴が目立ってしまうのだが。

 午前中、週刊アスキー『裏モノの神様』。ネタが下半身にかかると筆が早くなるのは苦笑もの。12時前にはアゲて、K子にメールする。編集部へのメールは明朝もう一度目を通してから。早くアガったので、小雨の中を外へ出て、地下鉄東西線で早稲田まで。本日、早稲田大学で公認会計士試験があるらしく、かなりの人出。會津八一記念館で『占領下の子ども文化<1945〜1949>展』最終日。こちらも、午前中にもかかわらず二十名近くの人が入っている。芳名帳をのぞいてみたら、小野耕世氏、會津信吾夫妻、赤田祐一氏などの名があった。

 この展示については、伊藤剛氏がTINAMIXでかなり良質なレポートを行っているので、そちらを参照されたい。これまで個人所有に頼らざるを得なかったこのような作品群が専門研究機関の手により保存・研究されることの意義の大きさは、いくら語っても語り足りるものではないだろう。特にこの時代の、粗悪な紙質・印刷のものは、保存状態によってはこの数年がまっとうな状態で見られる限界、と言ってもいいくらいであり、一刻も早い修復・保管制度の整備が求められる。少女小説などの中には私もコレクションしているものがかなりあり、眺めているだけでも楽しい展示である。手塚治虫の変名と看做されていた城青児の『魔焔の佝僂』も実は私、所蔵している。しかし、その正式な表紙絵を見たのは今回、これが初めて。私の所有しているものは、表紙のみが船川立美が中部出版社という出版社から出した『暗夜の怪人』という作品のそれにさし変わっているのである。多分、検閲により不許可になったものを裁断するのに忍びず、表紙だけを無難な別の作品のものにつけ変えてごまかし、出版していたものではないか(こういう例がこの時代いくらもあったことは長井勝一などの証言がある)。この時代に対する興味は、作品それ自体ばかりでなく、こういったいいかげんきわまりない、しかしそれ故になんでもアリのパワーを持っていた出版事情そのもの、なのだ(しかし、手塚・城同一人物説の人たちは内容を見て言っているのだろうか?)
http://www.tinami.com/x/report/11/

 ところで伊藤氏のレポートだが、展示の取材それ自体は良質なライター仕事として評価できるものの、この展示から得られる結論として“手塚治虫相対化”を挙げているのはちと早急に過ぎると思う。プランゲ文庫に納められているのは昭和20年から24年までの作品だが、手塚のデビューは昭和21年と検閲制度が始まってからのことであり、翌22年には『新宝島』で大ヒットをとばすとはいえ、いまだこの時期の手塚は大阪にとどまっている新進赤本作家という身分で、単行本の総数も3年で20册そこそこ、これは当時のマンガ家としては極めて少ない点数でしかない。この展示において手塚作品の比率が低いのは、赤本全盛時の出版点数から言っても当然のことなのだ。それを新見解と大仰に喧伝するのはマンガ史への不勉強というものだろう。

 手塚治虫の存在を神格化せず、相対的に見よう、という提言そのものは決して見当違いのものではない。しかし、その考えを無闇にあらゆるところに当てはめると無理が生じる。真に手塚の相対化を必要とするのは、この後、手塚の影響を大きく受けて活躍しはじめるトキワ荘グループをはじめとする作家たちに、果して他の作家群からの影響はなかったのか、と視点を遡らせたときではないだろうか。

 展示を見終わって出て(雨はやんでいた)、早稲田のケンタでフライドチキンで昼食。帰ったあたりで芝崎くん来訪。来月3日のと学会例会で、柳瀬くんから事務方引き継ぎにつき、いろいろ打ち合わせ。さらにメディアワークスの文化論本の前説的なところを一部分、テープに吹き込む。セックス論として、ちょっと本格的なものになるはず。

 5時、芝崎くん帰る。疲れたので寝転がって読書。6時、買い物に出かけ、夕食の材料を仕入れる。外食にくらべるとやはり安い。帰って少し原稿やり、8時、料理にかかる。桜海老の湯豆腐、煮魚、生麩の炒めもの。ごはんがわりにソーメン。ビデオで加藤泰『逆襲大蛇丸』。こないだの『忍術児雷也』の続編。主役の大谷友右衛門、やはり顔がヘン(銀杏の葉っぱ型のモミアゲが……)。傀儡師に化けて踊るところなどはさすが大したものだが。前編で私のお気に入りだった山口勇の願人太郎はもうやられちゃっているので出てこないが、代わりに登場する女盗賊朝雲役の朝雲(役名そのまま)照代が子供映画には珍しい徹底した悪女役で印象的。同じ悪者の大蛇丸(田崎潤)に惚れて歌をうたう(朝雲照代は宝塚出身)のだが、その歌詞がまた、時代劇なのに“しびれるような恋がしたいのよ”なんというものなのだからなんとも。この朝雲と綱姫役の利根はる恵とのキャットファイトなど、中野貴雄垂涎ものではあるまいか。綱姫がナメクジの妖術使いだからというので塩蔵に縛って吊るしておく、というのも笑えるし、朝雲の子分の盗賊たち(関西歌舞伎の大部屋たちを使っているので演技が独特で面白い)がカメに隠れていて、ひょいと首を出したのを、美剣士高遠弓之助(若山富三郎!)がヤッと刀ではね、首がポーンと飛んでいく、などという演出も面白い。萩原遼との共同演出だった前回に比べ、はるかに加藤泰らしい演出になっている。『真田風雲録』の集団抗争劇の芽生えが如実に見えるところ、低俗なお子さま向けナンセンス作品とはいえ、映画史の中で逸せない作品ではないか? 何か、今日見てきた占領時代のマンガ群に相通じるものを感じた。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa