裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

7日

月曜日

ペギラの淵に波騒ぎ

 ウルトラ維新の歌。朝7時起き。寝床の中で東洋文庫『青邱野談』拾い読み。李氏朝鮮の奇談集だが、かなり人間臭く、『窮儒詭計得科官』(文筆の才なき両班、詭計を用いて官職につきしこと)の話など、まるきり植木等の無責任男なので大笑い。朝食、昨日と同じサラダとトースト。果物はメキシコ産のチェリープラムというやつがうまそうだったので買って試みてみたが、イケマセンでした。

 朝の『やじうまワイド』、山下久美子の未婚の母宣言、子供の父親の名は明かさない、という発言について、コメンテーターの吉永みち子と三宅久之が真向から対立。こういう男女関係も時代の流れ、と文化人らしい理解を示す吉永に対し三宅が“人倫にもとる”と一刀両断。人倫ニ悖ルとは、いや、懐かしいコトバを聞いた。私はどちらかというと吉永の考えに近いが、この、いかにもピッタリの語を持ってきたことで三宅の勝ち。こういうのを言霊の力という。

 メールいくつか。和泉宗章氏のことについて、教示あり。和泉氏は晩年、金に困ったかして、実は和泉宗章の名とそれに附随する権利(天中殺占いの本家の看板か?)を、某人物に売り渡していたのだそうな。自分で否定した(昔占って当たった、という話題でも怒った)天中殺の権利を売るというのが情けないが、その買った人物というのが、×××××氏から×を××て××××た、M氏であるというのに驚く。世の中はせまい。和泉氏(初代)は、占い否定でうまく立ち回れば、大槻教授のように、特番の否定派コメンテーターとしてテレビなどで売れることが出来たと思うが(ノストラダムスだって占いの一種だし)、とにかく真面目な人で、それ故に占い師も廃業したのだが、融通ってものが効かない。マスコミの望むようなキャラクターを演じられなかったのだろう。

 午前中、体調不良、なかなか執筆にかかれず。胸苦しくなって救心をのんだりしてドタバタ。新宿に出て銀行に寄り、ついでと思って東中野まで足をのばし、大盛軒で昼飯を食う。野菜炒めの肉をベーコンにしてもらって飯を食ってる客がおり、その、いかにも安っぽそうな感じが案外、昼にはいいかも、と思った。そのあたりをブラつこうかとも思ったが、仕事残っているのですぐ新宿に戻る。資料用の文庫本探すが、三軒書店を回って、いずれの店にも、探しているその巻のみ無し。帰りの車中で上田篤『流民の都市とすまい』(駸々堂)を読む。表紙カバーに内容の一部がデザインとして引用されているが、その文章の中に誤植がある。表紙なのでつい、チェックがおろそかになったのだろうが珍しいことだし、また気の毒なことでもある。

 帰宅してすぐフィギュア王原稿。最近は午後の方が調子が出るようになった。原稿用紙400字詰め九枚見当をイッキ書き。その間に、例のIさんの本を出したいらしい編集者さんの連絡先調べたり、図版用ブツをバイク便で送ったり、眠田さんに頼まれたビデオを探したり、雑用いろいろ。6時、原稿完成してメール。

 ネットで資料を探していたら、いいのが見つかり、よかったと思ったら、その書き込みのところに、“出典・唐沢俊一のエッセイ”と書いてあった。もとより、そんなこと書いた覚えなし。こういうのは、信用して引用できるのだろうか。と学会本の自分の担当書などを読み、8時半、花菜でK子と酒。小柱かきあげ、厚揚げの野沢菜添え、タチウオ塩焼き。酒、少し過ごす。ざるうどんをタヌキにしてもらって一枚、半 分づつ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa