18日
金曜日
鉄っちゃんアトム
常軌越えてラララ時刻表のかなたゆくぞマニア線路の限り。朝8時半起き。朝食、ハムトースト、ライチ。食べて日記つけて、風呂入るともう、眠くなる。寝は足りている筈なのだが、体力・気力がまるでフヌケ状態。Web現代もやらねばならないし週刊アスキーもまだ残っている。Webの方はアクセス数が談志・巨泉と並んだとのことで、がんばらねばと思うのだが。天気がいいのにどうしたわけか。こないだうちの天候不順の時は逆にバリバリ書けたのになあ。GOOGLEの調子依然悪く(文字化け続出)、これも気にかかって原稿書けない要因になっている。
やった仕事と言えばK子に弁当(鶏肉とセロリのジンギスカン風炒め)作ったくらいで、午前中は半死状態のままで過ぎる。昼飯はごはんに卵かけて、鶏肉の味噌汁と一緒に。で、少し体を活性化させようと、麻黄附子細辛湯とアリナミンの合わせ技をちょっとやってみたら、オドロいたことに、あっという間に週刊アスキーが一本、あがった。なんという効能。あまりクスリで気力を賦活させるのはいいことではないが(そのうちクスリが切れると何も書けなくなる)、まあありがたいことではある。
それから続いてWeb現代。担当のIくんと電話でちょっと打ち合わせしたその直後に、ここの主張している個人情報保護法案反対関係でまた編集部から電話。それやこれやで時間がなくなり、途中で中断して家を出る。表参道から千代田線で根津まで行き、日本医科大付属病院にて、永瀬唯氏のお見舞い。談志のマンションなどを左手に見ながら、根津駅より6〜7分。以前快楽亭の見舞いに行ったこともあり、タカをくくっていたら、この病院と言うのが極めて複雑怪奇を極める構造で、病室を探しあてるまでにえらい目にあった。
西×××号、と電話で聞いていて、確認の電話をかけると“はい、本館です”と本館につながるので、本館の西棟というのがあるのだと思い、最初本館に入って案内を乞うたら、それは西館で、出て30メートルのところだという。出て探してみたが、東館とか新館ばかりで西館が見つからず。東館の案内で訊くと、エレベーターで五階に上がって連絡通路を通れと言われる。で、なんとか病室にたどりついたらベッドのところに書き置きで、一階の喫茶店か、三階の売店かにいるとのこと。エレベーターで下りようとしたがこれが一機しかなく、階段で降りると、なんかわけのわからん洗濯場みたいなところに出てしまった。さっきの案内窓口に戻って訊きなおそうとしたのだが、どう歩いても見つからない(後で案内図を見たら受付は一階でなく三階にあるのであった)。喫茶店をやっと見つけたが、中をのぞいてもいないので、では三階に戻って、と思い戻ろうとすると、いかなる妖術かさっき乗ったはずのエレベーターの場所がどこだかわからなくなり、結局業務用のエレベーターでなんとか三階へ。ここにもいないのでクタビレ果てて、もう一度病室へ戻り、ベッドの上にお見舞いのテレカ(最近テレカを有効に役立たせられるのは病院へのお見舞い品くらいである)を置く。植木さんもちょっと前に来て会えなかったようで、メッセージがあった。
で、業務用エレベーターの方へ向かっている途中に、永瀬さんにバッタリ。手に紙袋を下げて、ハンガーやタオルを詰めている。家が近くなので、ちょっと帰って生活用品を持ってきたらしい。廊下のソファで、しばらく話す。大出血した人間とは思えない元気だったが、点滴の針を入れた医者がヘボだったため、輸液が漏れて腕が腫れあがり、大変だったという。確かに腕の上げ下ろしが苦労のようで、痛々しかった。入院の次第その他は昨日電話で聞いた通りだが、なにしろいきなりの入院だったために、〆切関係で各編集部が大慌てしているらしい。
そのまま、ソファに座って永瀬節拝聴一時間半ほど。SFゲットーの悪口、昨今の翻訳界の不勉強さ、フレドリック・ブラウン一代記からイギリス貴族制度のウンチクまで。一時間半ですんだのは、病院の食事時間になったためで、これがなければ例によって四、五時間はつかまっていたかもしれない。永瀬センセイの話を聞くのは病院に限る、と思った。途中で主任の医者が病状を聞きに来たが、永瀬氏得たりとこれをつかまえて微に入り細をうがち、病状の説明。血便の観察報告まで詳細。以前イラストレーターの米田裕氏が“ワタナベさん(ガンダム時代の永瀬氏の名)はスカトロ趣味ですからねえ”と呆れていたことがあったが、まさにそう思われても無理ないほどウレシそうだった。で、本人が“まあ、一応水曜まで入院ということで”と結論づけた後、お医者さんがオソレをなしたように“いや、月曜の検査で異常なければもう退院していいですよ”と、追い出しにかかっていたのにフキだしそうになる。
そのままどこへも寄らず直行で帰宅、原稿の続き。電話数本。古書せどりのU氏から電話。以前紹介した出版社へのツナギ、とりあえずうまく行った模様である。それはいいが、この数日、スポーツ新聞をにぎわしている小田茜と交際中の50歳占い師というのが、実はU氏の昔の古本仲間だ、という情報に仰天。最近も、渋谷東急の古書市で会ったという。まあ、小田茜がハマったのは占いの方であって古書趣味の方にではないと思うが(ついでに言うとハーフの二枚目なのだそうだが)、友人の独身古書マニア諸君(U氏自身とそれからS氏、F氏その他大勢)、悲観するなかれ、人生50になって小田茜が当たるかもしれんという可能性が残されているのですぞ。大いなる希望を持てる話ではないかと思う。
9時、『船山』で食事。K子も私も今日は何かクタビレて、アクビの連発。刺身でオコゼとオニオコゼを食べくらべるという珍しい経験をさせてもらった。オニオコゼの方が甘味があるのですね。あと焼きハマ、カボチャ蒸しものなど。