4日
金曜日
ジュウ一人いる
何、ユダヤ人がまぎれこんでる? 朝8時起床。やっと連休らしいさわやかな天気であるが、こちらにはカンケイなし。何か両足の関節がカクカクする感じ。考えてみれば昨日はほとんど立ち詰めだった。朝食、ホタテのスパゲッティ。今日は自作で塩加減もほどほど。朝刊に、金正日の息子と称する人物が偽造ビザで入国しようとして拘束、という傑作な記事。
他に、“天中殺”の和泉宗章氏、膵臓癌で死去、65歳。うちの伯父とは昔からの知り合いであり、伯父の次男(私にとっては従弟)の結婚式の仲人代わりの立会人でもあった。昔は歌手志望でそれが果たせず、競馬の予想をはじめ、その研究から占いに興味を持ち、やがて算命学にはまりこみ、天中殺占いで大ブームを巻き起こす。しかし、長島監督(第一期)の引退時期をはずしたことから占い師を引退、今度は一転して占い否定の説に走り……という、かなり波乱万丈な一生だったと思う。本人から直接聞いたわけではないのだが(プロダクションのマネージャーさんから聞いた)、彼が占いに凝ったのは、なんとか馬券を百発百中に当てる方法はないものか、と思案した末であり、数年間、その研究に没頭したあげく、人間相手の占いに転向した。その理由は、“馬には占いが適用されない”という結論だったからだそうだ。彼の理論では、なんでも占いが当たるのは星のめぐりが人間の五臓六腑と綿密な関係を持っているためであって、馬にはこの五臓六腑のうちのナントカが足りないのだそうな。私は天中殺なんてものはツユも信じないけれど、和泉さんの人生における星回りの最高の一瞬が、この占い研究の成果を本にして出すに当たって、算命学(万象算命)という名称を用いず、“天中殺”というその中の用語にスポットを当てて書名にしよう、と思いついたその瞬間であったことは確かだろう。このインパクトある耳新しい名があったればこそ、あの、どちらかと言えば地味な占いがあれだけのブームを巻き起こしたのである。
実は私はこの人には一度、苦い目にあっている(本人は知ったことではないのだけれど)。昔、ある本の企画を持って出版社めぐりをしていた。知人の紹介で青春出版社の企画部長さんにお会いして、案外向こうが乗り気になってくれ、私はホッと一息ついて、雑談にまぎらせ、実は和泉宗章さんと知り合いで……と口をすべらせた。その途端、相手の態度がガラリと変わった。その部長さんがあの天中殺の本の担当だったのだが、和泉さんが勝手に占い師廃業を宣言して、出していた天中殺関係の本も全て絶版にしてしまったため、青春出版社はみすみす大ヒットシリーズを失った、というわけである。そのとき、和泉さんと何か不快なやりとりがあったらしく、それを思い出した、と言うようにその部長さんの態度は感情的に硬化していき、話の接ぎ穂がなくなった私はただ呆然とするばかりで、結局、企画も流れてしまった。共通の知り合いの名を出すときにはよほど注意しなくてはいけません。
1時ころまでに週刊アスキー一本アゲ。それから冷凍庫に残っていたラム肉二タ切をモヤシと炒めて、昼飯のオカズにする。食べて散歩がてら外出、青山で夕食の材料を仕入れ、帰るともう4時。休日の時間のたつことの何ぞ速き。Web現代にかかるが、マッサージの予約の時間になってしまったので中途で放擲、タクシーで新宿へ。サウナで体重1キロ半分、汗を流す。冷水浴槽の使い方のなっていない初老のオヤジがいて、“こんな公共心のないやつがいるところを外人が見たらさぞ日本人を軽蔑するだろう”とブンカジン的なことを考えて憤っていたら、その後に外人客(こういう場合のガイジンというのは白人)が入ってきて、こいつがさっきのオヤジ以上に公共心のないヤツだった。マッサージ、このごろあたっているセンセイが、キツく揉む人で、翌日揉み返しがきて痛いんだよな。
帰って食事の支度。牛薄切りのすきやき風(おとつい、昨日がスシ、テンプラだったので、今日はスキヤキだろう、と)煮物にビーフン炒め。なんだか量が足りなかったので、冷凍庫の中のものをさらって、即席で中華丼を作る。冷蔵庫の三杯酢のビン詰めを使って甘酢あんもどきにしてかけて出したら、これが一番好評。ビデオで新東宝映画『一寸法師』。ひどいグロだが、原作を読んでいる人間に、ラストでちょっとした肩すかしを食わせる場面があり、笑ってしまう。明智小五郎(映画では旗龍作)が二本柳寛、小林青年が宇津井健で、天知茂が旗の助手、丹波哲郎がお嬢様をストーカーする変質者というどちらもチョイ役なのが時代(昭和三十年)を感じさせる。この一寸法師役の人は後に天知茂主演の『女吸血鬼』にも出ていた。天知よりずっと早く、タイトルロールまでやっていた人だったのだねえ。