裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

19日

土曜日

プラハ花色木綿

 第一書記の前ですが大笑い。朝7時半起き。朝食、トマトスパゲッティ。K子は起き損ねて8時半くらいまで寝床の中。テレビで塩川正十郎財務大臣のトボケ答弁を聞いて笑う。“覚えておりません”“言ったことも忘れてしまいました”などのタヌキぶりは久々に政治家らしい人を食った言を聞けた気がする。まあ、本当にボケているのかもしれないが、政治家はこうでなくちゃいけない。質問側の共産党はバカにされたとカンカンだが、これに対する追求がイマイチしまらないのは、宇野内閣時代のことなんて、国民の誰もが“覚えていなくて当然”と思っているからではないか。

 近頃、最悪だったのは田中外務大臣に対し“虚言癖”“精神分析の範疇”などと攻撃した自由党の達増議院。これが露骨な官僚顔で、彼が口にするととにかく、追求の言葉がこれ全て陰湿なイジメというイメージになってしまう。案の定、彼の事務所には国民から苦情のメールが山積みになり、週刊誌系マスコミも、親田中反田中、歩調を合わせて一様に外務省官僚攻撃の火ぶたを切り始めた。なぜそういう口実を与えてしまうのか。発言の是非など関係ない(私も真紀子おばさんはありゃ困ったもんだと思うがそれは別の話)。いま小泉内閣をイジメるということは、“改革”という言葉に興奮状態にある国民から総スカンを食らって当然と、どうしてわからないのか。攻撃するにもTPOがあるのだ。ただ“けしからん、あやまれ”とオダをあげるだけではロフトの平野店長並のレベルではないか。小泉総理がいいとか悪いとか言っているのではない。大衆の指向も読めないヤツに政治なんか動かせるわけがない、と言うことだ。こういう連中に天下は取れない。空気を操縦できないのである。少しはマキアベリかゲッベルスの書いたものでも読んで、大衆操縦術を勉強した方がよろしい。

 ところで、塩川正十郎って人、ずっと昔から小野栄一のおダンで、いろいろと相談役にもなってくれていた人だった。伯父が最初の事務所をたたんだ(昭和50年代)頃に縁が遠くなってそのままになっちゃったらしいけれど、もしそのまま関係を続けていれば今頃伯父も、も少しなんとかなっていたかも知れない。戦後の芸人がダメになったのはパトロンという存在がいなくなったからだろう。ヒモつきというとイメージが悪いが、明治期に三遊亭圓朝があれだけの輝きを見せられたのは、山岡鉄舟という大パトロンがついていたからだった、ということを忘れてはいけないと思う。筆耕芸人として、私もパトロン募集中。

 K子に弁当。豚肉のトマト炒め。味見をしようとして、熱せられたトマトが下顎にハリつき、ちょっと火傷を負う。熱いものだな。午前中はずっとWeb現代。1時に完成して、メールする。それから外出、時間割で海拓舎Fくん。進行状況の打ち合わせ。そろそろ大詰めである。雑談もちょっと。終わって、チャーリーハウスにて五目冷やし。今年、初めて冷やし中華を食べる。そう言えば、外を半袖のシャツで歩く。半袖のシャツでの外出も今年初。

 帰宅、メール何通かに返事。2時、支度してK子と外出、東京駅へ。鈴之助、QPハニー、GHOST、G、各メンバー(主に裏モノ)のメンバーと、飯坂温泉女装ツアー。以前中野にあった上野山功一氏の店『カチンコ』が東京を引き払い、奥さんの実家がある福島で新たに『つうきゃっと』という店を開いたのである。銀の鈴で待ち合わせてから東北新幹線やまびこ号で福島まで二時間、缶ビール飲んで、なんだかんだの話題で盛り上がりつつ(K子の日記を参照)。買った新幹線のキップにアンケートがついており、“このご旅行の目的”などという項目がある。“女装”などと記入してみるか。中野にあった頃の店で女装したのは睦月、安達、開田などの官能倶楽部の面々の他、古屋兎丸、ササキバラゴウ、唐沢なをき、館淳一といったある意味スゴい人たちだった。

 福島には2時間ほどで着、途中スコールのような大雨の中を通ったが到着時には五月らしい晴天。福島交通飯坂線というのに乗り換え、終点の飯坂温泉まで。車内は学校帰りの茶髪の中学生、高校生がいっぱい。若者のおしゃれのセンスはもう、東京とまったくタイムラグなし。ただ、彼ら彼女らがおじさんおばさんになったとき、急速に先祖返りしちゃうのである。

 駅から温泉街を歩いて、飯坂温泉新松葉という旅館に行く。まだ陽は高いというのに、通りにほとんど人が歩いていない。立ち並ぶ旅館は三軒に一軒の割合で廃業している。地上十階くらいあるホテルがそっくり廃ビルになっており、なにやらウス気味悪い。温泉というのは不景気だというが、ここはまた特にそれが如実である。駅から五分で新松葉にたどりつくが、修学旅行の宿みたいな感じ。それでも団体さんが一組入り、もう宴会を始めていた。街が寝静まるのも早いので、これくらいから始めないといけないらしい。オバさんが“川を眺められる景色のいい部屋ですよ”と言って通されたが、細い川をへだてて、向いの旅館のウス汚い壁と向かい合うだけ。食事をつけない、いわゆる素泊まりなので、すぐ外へ出て、食事できるところを探す。このホテルを外から見ると、三階より上を後から建て増しした造りであることが露骨にわかる。昭和40年代の国内旅行ブームのときには建て増しが必要なほど繁盛したのであろう。栄枯盛衰。

 ところが、商店街が、土曜だというのにほとんど閉まっている。喫茶店とかも開いてない。アーケードのネオンだけは夕刻になって光っているのに、店はどこもシャッターを降ろしたまま。ゴーストタウンにまぎれこんだような感じ。薬局でドリンク剤飲んで、主人にどこかレストランがないか、と訊いたが、温泉街ですからね、そういうのはないですよ、とニベもなく言われる。やっと、郷土料理居酒屋といった感じの店を発見。向いが飯坂演芸場というストリップ小屋である。Gさん、踊子さん(?)らしいオバさんに割引券をもらっていた。

 居酒屋の料理、心配していたが、まあまあ、そこそこには食えるのでひと安心。栄川(えいせん)という土地の酒もまずまず。やっと気分もほぐれてくる。山上たつひこの後期のマンガに、主人公たちがひなびた温泉へ行く話がやたらあったが、なるほど、これは創作意欲を逆にかきたてられる環境かもしれぬ、と思えてきた。8時ころまでそこで飲み、そこのママさんに、『つうきゃっと』の所在地である笹谷というところへの行き方を訊いたら、タクシーで十分ほどかかる、という。それはまた遠い。二台呼んでもらって、分譲して行く。

 以前の『カチンコ』が完全な会員制バーといった感じだったので、今回の店もそうか、と思っていたら、なんと普通のカラオケ居酒屋。料理がどんどん出る。この地方特産の“こしあぶら”という草のおひたし、茶豆、とろろ焼き、そしてちゃんこ鍋など。味付けがどれもいいし、第一安い。先代若乃花直伝というちゃんこなど、2人前で1400円という安さである。それだけに客が次々に入って来て、ちょっと女装ができるという雰囲気でない。カラオケも、カウンターの客たちが端から歌ってまた端へマイクが戻るという感じでひっきりなし、それも全部が演歌系である。演歌冬の時代なんて、ここでは何処のことだ、という感じ。焼酎をボトルとって、飲みながら空くのを待つ。“イカニンジン”という料理があり、見るとなんだ、こないだ池袋で食べた男体山漬けである。こちらの方が上品な味付けだが。こちら出身の佐藤B作が、これを全国に広めようとしているそうである。

 なんとかGさん(このメンツの仲で唯一、女装を経験してない)が女装&メイクさせてもらい、かなりウケる。ただ、マスターの上野山氏がずっと厨房に入りっぱなしなので、先が続かない。12時過ぎてやっと客たちが帰り、ゆっくりと話せる。最初福島市内に店を開いたがまるでダメでこちらに引き移ったこと、家賃がとにかく安い地なので助かっていること、徹底した巨人大鵬卵焼きの保守系地盤であること、芝居などはまるで受けない土地がらであること、やっと最近、売り上げが安定したこと、その理由はメニューとカラオケの安さにあること、先月など1500人ものお客さんが来てくれているが、売り上げは微々たるものであること、1000円札一枚持って来て、水割りとカラオケだけで帰る客がいること、先月、その客が連れを伴ってきて会計が1400円だったが400円を持っておらず、ヤキソバのパックを代替わりに置いていったこと、など、やはり華やかな俳優生活経験者にはこういう田舎は(物質的というより精神的に)ツラいかもしれない。まあ、選挙マニアという性格がわざわいして東京にいられなくなったんだが。焼酎のボトルを2本あけ、さんざ飲み食いして値段が一人3000円。これでも“こんなに額行ってくれたお客さんはひさしぶりです”とのこと。GHOSTさん、今度は人数増やして貸切で女装旅行しよう、と言う。あのストリップもどんなものか見てみたいし。タクシーを呼んでもらう。新松葉と旅館の名前を言ったが年輩の運転手“はて、どこかだったかなあ”と無責任に首をひねる。観光地のタクシーがこれじゃダメだよ、と思った。

 なんとか帰りついて、新松葉に入るが、すでに灯が完全に落ちている。ドアこそ開いていたが、人がフロントにも事務室にもおらず、出かけるとき預けたカギがどこにも見当たらない。すっかり引き上げてしまうらしい。電話をかけるとフロントにつながる。カギが置いてあるであろう事務室はロックされている。泊り客が夜中に病気にでもなったらどうするんだ、と呆れる。一時は待合室で朝まで過ごすことも覚悟したが、鈴之助氏がなんとか厨房から事務室へ入り込み、カギを見つけ出してくれてことなきを得る。なかなかスリリングな経験だった。ホッとしてフロ(これは24時間)に入るが、旅館案内には“大正時代からの大理石風呂の宿”と確かあった。どこが大理石か、と思ったら湯の注ぎ口がなるほど、ヤギだかライオンだかの顔をした大理石(20センチ四方の大きさ)造り。これだけで“大理石風呂の宿”と謳うのはいい度胸である。とはいえ、湯質はよく、疲れも抜け、川のせせらぎを聞きながらすぐ眠り につく。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa