裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

23日

金曜日

マドンナたちの腹ばい

 やーね、プライベートにまで行儀のこと言わないで。朝7時半起き。朝から雨。何もしないでいてもジトーと汗がにじみ出る。イヤな感じ。朝食タイカレー。17歳逃亡少年と宇多田両親離婚でワイドショー大忙し。宇多田家のトラブル、など、芸能記者にとっては万歳三唱ものだろう。丸谷才一によると、一家皆殺し事件などが発生したとき、万歳三唱して意気を高めてから記者を送り出すような人物でないと大新聞の編集長にはなれず、しても二唱だとデスクどまりだという。いい話だ。

 原稿書きながら圓生の『くやみ』を聴く。この話、まったくと言っていいほど内容のない話で(旦那の葬式に来た弔問客がわけのわからないくやみを述べる、というだけ)、それだからだろう、圓生百席にも入っていないが、まことにもって落語らしいノンビリとしたいい話だ。これがCDになるとは、いい時代と言うべきか、寄席が無くなってCDでしか聞けない困った時代というべきか。とにあれ、マンガにしろ小説にしろ、その分野が流行っている、ということは、その分野における最もヌルい作品が流通しまくっている、ということなのである。

 K子に弁当、肉団子とツクネイモの煮物。自分はシャケの粕漬焼いて茶漬け。大和書房Iくんから督促ファックス陸続、ひいひいと言いながら書き進める。湿気でいかにエアコンでドライに入れても空気がベトつき、ワープロ打ちながらストンと落ちそ うになる。夕方までかけて二○枚、三回に分けて送る。
「待ったかいがあった原稿でした!」
 というFAX、折り返し。お世辞とはわかっていても、こういうものが来ると心底ホッとするのはモノカキのサガ。編集者で一番どっしょうもないのは、渡した原稿を読んで、“まあ、今回はこんなもんでいいでしょう”的な反応しか出来ない奴。どんな田舎芝居でもいいから喜んでやれ。モノカキなんて単純な動物なんだから。書き手の原稿喜んでやれない編集者は、結局、その書き手の最高の原稿をついに手に出来ないと思う。

 ついでに言うと、批評家に褒めてもらうというのは、批評家として言うが、褒めた批評家が“どうだ、乃公が褒めてやったのだからあの作家も喜んでいるだろう”と自分でウヌボレているほど、案外、書き手にとってはうれしくないものだ。うれしいのは、その評論が載った媒体がメジャーで、宣伝になったときくらいである。編集者に褒められるというのは次の仕事につながるが、批評家の褒め言葉というのは、その批評家がよほどの業界での実力者でないかぎり、作家にとって三文の得にもならない。褒められて素直に喜ぶのはシロウトだけである。こないだ、Dちゃんの画集を某誌で褒めたときのお礼の手紙に曰く、“書評ってのは褒めるものなんだろうけど、やっぱり褒められるとうれしいです”。大したものである。大物になれるぞ、この子は。

 肩が凝ったので、メシ作りでほぐそうと張り切って買い物に出かける(料理の本、出しませんかとこないだ言われた)。フンパツしてちょっと高めの肉を買い、即席のローストビーフ。あとは鮎飯とナスの焼きびたし。ビデオで、NHKBSの『21世紀の顔』アンジェイ・ワイダ特集。普通、こういう社会派巨匠というのは寡作なものだが、フィルモグラフィー繰ってみると、やたら多作なのが面白い。2年に一本は平均で撮っている。しかも、検閲でボツになった完成脚本が、本棚一本ぶんぐらいはユウにあるという。『灰とダイヤモンド』など、検閲官が見た場合と観客が見た場合でまるで受取り方が違う二通りの見方が出来るよう作った、ということで、こういう環境下で苦心しながら映画製作を続けてきたことで、芸術家というよりはむしろ職人を感じさせるテクニックが身についたのだろう。

・今日のお料理『ナスの焼きびたし』
 ハインツのコールドコンソメのカンを容器にあけ、ショウガのすりおろし、三杯酢を加えてちょっぴり和風の味つけにする。ナスを網で焼き、中まで火が通ったら縦に裂き、熱いうちにこの汁の中につける。冷蔵庫でしばらく冷やし、エダマメかソラマメの茹でたのを色どりに添えて出す。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa