4日
日曜日
ひとりでデビルマン
まいちゃんが変身しまーす。“デビィール!” 朝8時起き。スモークトサーモンとスイカ。食べながら新聞見てたら、東浩紀氏が書評欄で水声社の『ドラキュラ』の新訳を批評していた。なんか、東氏、ちょっと最近元気がないのではないか。水声社と東氏は確か以前につきあいがあったはずだから、義理で書評を引き受けたのかも知れないが、おざなりな褒め言葉を並べているだけという感じで、いつもの東浩紀らしさがない。大体、映画やコミックに今なお強烈なイメージを生き続けさせているドラキュラの“その起源は何か?”と冒頭で大上段に言わねばならぬほど、ドラキュラがブラム・ストーカーの小説から生まれたキャラクターだということは忘れ去られている事実なのか(少なくとも4000円もするこの新訳本を買おうとするであろう人々に)? 東氏が知らなかっただけではないか? 東氏が現在のドラキュラ事情(てのも変だが)に疎いということは“『ドラキュラ』の翻訳はすでに何回か試みられており、そのなかには文庫で手に入るものもある”などという誤認識にも明らかである。児童書の翻案は別にすれば、何回か試みられているどころか、その完訳は平井呈一による1971年のものが日本では唯一のものであり、しかも、その刊行は創元社推理文庫の一冊として。つまり、文庫で手に入る“ものも”あるどころか、文庫でしか手に入らなかったのがこれまでの現状なのである。と、いうか、こういう書き方をあえてするところに、“文庫は非読書人の読む程度の低いもの”というインテリゲンチャの大衆蔑視の無意識が露呈しているとは言えないだろうか(だとすると、らしさがないどころかいかにも東浩紀らしくていいけれど)。
他にも、“注釈を通してエンターテインメントを読むという経験は、多くの読者にとって珍しいことかもしれない”などという感想があるが、すでに先行書として東京書籍の『不思議の国のアリス』『月世界旅行』『シャーロック・ホームズ全集』などの完訳・詳注シリーズがあり、ホームズ全集などはベストセラーになり、その後にも日本の研究者による注釈付き翻訳が出版されている。大学の中に閉じこもっていると世間一般の出版状況に疎くなるのは仕方のないことだが、そういうときには原稿依頼してきた編集者に言って、ちょっとそこらの資料くらい届けさせて目を通してから書いたらどうか。というか、平井呈一の訳がこれまで唯一の完訳(この新妻昭彦訳は三十年ぶりの新訳になる)であることは訳者後書きに明記されている。訳の新妻氏も訳注の丹治愛氏も、東氏の東大大学院の先輩ではないか。先輩の本にはよく目を通 してから書評した方がいい。
・・・・・・こういうのをいちいち取り上げてツツくと、また唐沢のアカデミズムいびりか、と思われそうだが、誤解してはいけない。私は東浩紀ファンなのである。ファンだからこそいろいろツツいてハシャギたくなるという心理は、映画秘宝ファンならおわかりいただけるであろう。
午前中、週刊アスキー一本アゲ。K子にせかされて、彼女が風呂に入っている間に一気呵成に書き上げたが、なんとなく、出来はこういうときの方がいいんだよなあ。弁当は鶏とピーマンの明太子あえ。自分は明太タマゴごはんと大根の味噌汁。鶴岡から電話。対談本構成の打ち合わせ。
新宿に出て、紀伊国屋書店を回る。都市論関係資料の他、イースト・プレス“幻の性資料”シリーズ『初期裏本名作集』。渡瀬ミク、松田ヨシ子、ミス軽井沢など、見覚えのある顔が続出するのに、俺はビニ本・裏本でも第一世代なんだなあ、と改めてわがトシを思う。編者の佐藤泰治氏はそこに突っ込んでないが、ミス軽井沢の本、タイトルは『ブリリアントな休日』のつもりなのだろうが、印刷では『ブソリラントな休日』になっているあたり、こういう本の印刷ルートやらなにやらが透けて見えて面白がっていたのを思い出した。
帰って原稿書きいろいろ。5時半、また新宿に出てマッサージ。茶髪のお兄ちゃんがマッサージしてくれながら、“どうですか”“午前中は調子いいんだけど、午後になるとバテてきて”“へえ、カラサワさんて、夜の帝王的なイメージですけどねえ”なんじゃそりゃ。伊勢丹で夕食の材料買って帰る。
8時半、夕食、おろしステーキ、カニの淡雪、タケノコの味噌卵のせ。ビデオで赤胴鈴之助『黒雲谷の雷人』。桃山太郎版の鈴之助は梅若正二より原作の顔に近い。真弓役の小町瑠美子、ロリで結構。12時半ころ、久しぶりに永瀬唯氏から電話。病気の話いろいろ聞く。もちろん、あいま々々に各マスコミ文化人の悪口たっぷりはさみ ながら。