裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

12日

月曜日

カフカ不幸か

 こういうのもあるな。朝、『空飛ぶロッキーくん』の夢をエンエン見て目覚める。朝から雨はかえって心地よく、8時半近くまで熟睡していた。朝食、ハムとニンジンサラダ。週アスとフィギュア王原稿、双方手直し加えてメール。あと、打ち合わせ予定二件日取りスリ合わせ。植木不等式氏からゴッタムについてご教示のメール(昨日の日記に書いた)。それで思い出したが、マザー・グースに『ゴッタムの三賢人』という歌がなかったか。北原白秋訳ではゴオサム、谷川俊太郎訳ではゴータムとなって いたと記憶するが、確か昔、学校の図書館にあった本で覚えたのでは
「さてもゴッタムの三賢人/たらいに乗って海へ出た・・・・・・」
 という詞であった。記憶力の悪い私が覚えているくらいだから、優等生たちはもっとしっかり頭に焼き付けていることだろう。これが日本人の意識に最も膾炙されているゴッタムであるとすれば、も少しゴッタムという表記は(原音がどうあれ)こだわられてもいい。

 原稿書き、というか正確には以前書いた原稿の手直し。ぐしぐしと進まぬ ような進むような。K子に弁当、スズキのフライ。2時、フィギュア王に図版用ブツ渡し、時間割で大和書房Iくん打ち合わせ。以前、学研で書いた原稿を一部で用いるという。帰りパルコブックセンターに寄り、サバト館(サバトも漢字だが読めないしバの字などJIS規格にないと思うので片仮名で書く)フェアで山崎俊夫作品集が出ていたので未所有のものを購入。曙草紙や、もっと以前の草草紙の耽美頽廃を色濃く残した作風の幻の天才作家。もっとも、タイトルが『神経花瓶』って、単なる駄ジャレだ。クレジットカード使おうとしたが、やはり磁気損傷で読み取れない。番号で打ち込んでくれる。そういうテもあるのか。その場でカード会社に電話して、新しいものを送ってくれるよう依頼。買って帰ろうとしたら、書店アンケートに協力をお願いされた。“何の目的でこの書店にいらっしゃいましたか”という設問に、“自分の新刊が並んでいるかどうか確かめるため”と答えたら笑っていた。新刊『変書目録』、まだ並んでないぞ、学陽書房。

 パルコ上の中華でパイコー担々麺。夏場はこれが酸っぱくて油っこくて一番。西武地下で買い物少しして帰る。例によって寝ころびながら読んだ明治開化期文学集所載の坪内逍遥『新旧過渡期の回想』で、曲亭馬琴を大弁護しているのにちょっと驚く。これまで逍遥と言えば、『小説神髄』で馬琴の八犬伝を罵倒して犬塚信乃や犬飼現八を仁義忠孝の化け物などと言っていた人物、というイメージしかなかったから、これは意外千万であった。小説神髄が明治十八年刊行、この『新旧過渡期の〜』が大正十四年早稲田文学への寄稿であるから、その間四十年という歳月のあいだに逍遥センセイも馬琴を少しいじめすぎたと考えを改めたか、あるいは新時代の小説観を確立させる必要から旧著ではタメに馬琴批判をせざるを得なかったのか、とにかく馬琴をデュマに匹敵する大作家と持ち上げている。馬琴という作家はマンガにおける手塚治虫に相当すると思われるので、これは朝日の手塚論における好資料を手に入れたといえるだろう。

 もひとつ、逍遥がこの文章の中で“ポオノグラフィー”なる単語を用いているのにも驚いた。文学用語としてであるから不思議はないにしろ、日本における用例の最古のものに属するのではあるまいか。“ポオノグラフィーに傾くか、バッフンネリーに流れるか”とあって、ポオノはわかるがバッフンネリーとは何かと思い、辞書を引いてみたらbuffooneryだった。

 NHKのYくんから電話、ウィークエンドジョイ出演の件、仮押さえでOKを出しておく。気がついたらもう7時過ぎ。なんか、何もしないうちにやたら早く日が暮れてしまった一日であった。8時、パルコ上のしゃぶしゃぶ屋『沙舞里』でK子と食事する。カード使用できなくなっているのを忘れて現金持ってこなかったため、K子のカードで支払ってもらい、家で清算。

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