裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

27日

金曜日

恋のメルビルあの窓あたり

 泣いて『白鯨』書く人もある。ゆうべ、ひさしぶりにエアコンなしで寝た。朝7時にK子の目覚ましで起こされる。朝食、アボカドにスモークト・サーモン。小雨パラつく空模様で、現金にも朝からカッと暑かった一昨日までが懐かしくなる。例の明石の花火大会事故報道に将棋連盟からクレームがついたそうで、曰く“将棋倒しという呼称は将棋のイメージを悪くする”。将棋をやってると頭がよくなるというのはウソだということがよっくわかる。

 午前中、と学会誌前書き。芝崎くんから、おととい図版を井上デザインに取りにいくはずが、あの雷雨で電車が止まり、いけなかったので、今日、取ってきますとの電話。いろいろ影響があったのだな。雑用いろいろあるので新宿に出て、銀行に寄り、駅ビル『Too』で買い物。メシはどうしようと迷った末に、地下街でねぎしの牛たんからし味噌定食。

 帰宅して、こないだの古書市で買った高田保『ブラリひょうたん』を読む。名高いエッセイ集ではあるが、戦後時事エッセイということで語っている内容もかなり古くなってしまっているだろうと思い(前にカストリ雑誌の同様なコラム集を読んで、そういう感じだったので)、敬遠していたのだが、読むのが遅くなったことをくやむ面白さ。驚くべき博学で古今のゴシップを縦横に引き、現今(昭和20年代)の世相に当てはめて語る。上っ面な世相紹介でなく、人間の行動原理の基本を押さえての批評だから、今でも十分にその言っていることに水っ気があり、新鮮に読める(戦後世相史に多少の知識がないとキツいだろうが)。もちろん、文体もその教養も、戦前の文化人のそれであり、昨今流行りの、手の切れるような冴えを見せる芸ではないが、薄田泣菫の『茶話』の系統を引く正統派エッセイである。

 2時、芝崎くん来宅。今日、うちで原稿作りを全部終えてしまう予定でいたのであるが、まだ最終刷り出しになっていない(何とか現行予算ワクの中でOKのページ数にまとめるため、字組をいろいろ試行錯誤中)。ドラフト原稿にざっと目を通して、いくつかダメ出しをする。明日いっぱいで作業をして、印刷所の〆切の30日に、柳瀬くんと一緒に持っていくそうである。やはり、なんだかんだいって〆切ギリギリになる。

 新宿から帰るときに乗ったタクシーの運転手が、話好きの面白い人だったが、これが稀に見る落ち着きのない人物で、乗って走り出してからも、サングラスをかける、またはずす、手袋をはめようとする、うまくいかないので放り出す、送客記録をつけようとする、やめる、と、一瞬たりとじっとしていない。足の方を見るとすさまじい貧乏ゆすりである。貧乏ゆすりをしながら車を運転する人というのも初めて見た。それでスムーズに走っているんだから逆に感心する。お客さんとしちゃいけないのは政治の話だね、と、政治の話をこちらにしてくる。野球ファンはそこまでいかないが、特定政党支持者の中には、最初悪口を言って、こちらにカマをかけてくるのがいるから剣呑だね、とのこと。警察関係者が乗ってきたら、まず学会員と思って間違いないんだそうだ(本当かどうかは知らない)。

 その運転手さんが、オレは税金に関しては消費税の方がいいんじゃないかと思うんだけどね、払いたくなけれァものを買わなければいいんだから、と言うので、宮崎市定の『大唐帝国』にあった説を受け売りし、現行税制の根本問題は些末な付帯条件がいろいろあって、これが抜け道となって脱税がしやすいことにあり、こういう状況では、とにもかくにも一様に賦課される消費税はむしろ公平なものなのだと話す。で、帰って『ブラリひょうたん』を読んだら、さっき車中で話したばかりの所得税撤廃、費消(消費)税導入を提案していた。要するに、貧乏人が金持ちに対し腹をたてるのは、彼らが山程もうけるからではない、山程札ビラを切るからである。だから、使えば使うだけ税金がかかるようにすればよろしい、国民の生活の基準ベースを決め、そのレベルを遵守している限りは何千万の収入があってもかまわぬ、ただし使えばそれに応じて税をとりますよ、と言う。所得税の納税は義務だからイヤになる、もうけた金をわが手で使うのは当然の権利であり、義務で税をとられるより権利を税で確認する方が気分の上からも得だろう、ということであった。

 このエッセイの前半に、高田保が引いている言葉が、水戸光圀の“徴税はすべからく女色の心得をもってすべし、男色の如くすべからず”というもの。ココロは上も下も共に満足するのでなくてはならぬ、男色のように上だけ気持がよくて、下になる方が苦しいのはいかん、ということだそうな。お固い税金の話に、こういうエロな話をもってきて、全体のトーンをやわらげるところ、やはり名エッセイと言えるだろう。ところで、男色のウケはそんなに苦しいのが相場ですか。

 芝崎くん帰ってからサンマークの原作、白鳥由栄。一時間ほどで書き上げる。8時にK子と待ち合わせ予定だったが、仕事オシて9時になるというので、Web現代をやり出す。途中で終わったと電話が来たので、神山町『花暦』。金曜なのでかなりの混み様。かます刺身、ナスとシシトウの味噌炒め、ジャコサラダ、おでん。腕に入墨入れまくりの外人ロッカーの一団が入ってきて、四人がけの座敷席に六人でちょこなんと座り、ぶきっちょにハシを使ってサシミを食べていた。帰り道、風が肌寒く、K子が“せっかく北海道にいくのに、これじゃ得した気分にならない”とボヤく。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa