裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

土曜日

憎まれっ子世にカバーガール

 表紙に載ったと思ってあの娘、いい気になってさ。朝7時半起床。5時ころ目が覚めたので、ルドルフ・レムケ『狂気の絵画』(有斐閣選書)など読み、またウトウトしたら、覿面、クービンの絵に出てくるような、気味の悪い怪物(アヒルの首がどこまでも延びるような)に追われる夢を見た。私が単純すぎるのか、絵のイメージが強烈だったのか。それにしてもこの本の中にあった、クービンの『私の侏儒』には驚いた。山高帽子をかぶって、手にはロウソク、背中に何かランドセルのようなものを背負っている姿は、『鬼太郎夜話』に出てくる妖怪酒小憎ではないか。こんなところから取っていたとは、水木しげる、やはりあなどりがたし。朝食、昨日買い忘れてパンがなかったので、K子にはホットケーキを焼く。自分はヨーグルトとブドウ。

 川上史津子さんから電話、月曜の夜に急遽、ジァンジァン跡の貸ホールで朗読会をやることになったという。御近所だし、ちょっと寄ってみるか。こういうとき、渋谷 住まいは便利である。

 午前中はずっと講談社Web現代原稿。ネタとなるサイトがいいので、どうこれをいじくるかが楽しい。暑いので日中は外出せず、昼はまた桜井さんの冷やしめん。ざるラーメンにして食べる。これまたうまい。1時過ぎ、芝崎くん来宅、クラリスで打ち出した“と学会”会誌原稿チェック。長い原稿はポイント数落としたりして、何とか108ページにおさめられるまでになった。それにしても厚い。今年はトンデモ本大賞設立十周年、来年はと学会設立十周年なんで、記念号とでもしておくか。

 しばらく芝崎くんと、と学会ばなし。私がモノカキ業として、ラッキーだったと思うことが二つあり、一つはあの帽子にぐるぐるメガネの自画像を持ったこと(『パンチザウルス』連載のためにデザインした)、もうひとつがと学会創設メンバーに名を連ねられたことである。駆け出しのモノカキが人(読者や編集者)に記憶してもらうのに、ああいうシンボル的な似顔絵があることは非常に有利であり、また、個人の名前がまだ浸透しきっていない時分に、“と学会”という団体に所属して、それとコミで覚えてもらったことが、どれほど役にたったかわからない。また、同年代の友人知人があれで一気に増えた。それまではどちらかというと、年上とばかりつきあっていたのである。

 夕方、やっと暑さもややおさまった様子なので、新宿に出る。ひさしぶりにビデオマーケットへ。最近はネットでばかしビデオ類は買っていたので、足が遠のいていたのであった。やはり、ジャケ買いができるのは店頭での醍醐味である。店長に挨拶したら、“社長がカラサワさんのファンなんで”とサインを求められた。しかも『B級学』である。B級ビデオ扱っている店の社長だけに、こういうものが好きらしい。いつぞや紛失したゴールデンカードももう一回、作ってもらう。

 そこからさらに松竹に回り、タクシーで青山に行く。運転手さん、“スンゴウのとこでヌズカン並んでいて……”としゃべる、今日び珍しい完璧なズーズー。しかも話好き。いろいろ会話する。代々木公園のところのホームレスの青テントの並んでいるところに、布団を届ける奥さんをこないだ乗せたそうだ。
「それが、スンピンのいい布団でね。さスでがまスイと思ったけんど、“奥さん、そんないい布団じゃなくて、もっと古いのでズウブンでないですか”と、オラも余計なこと言っツまったんだけんど、そスたらその奥さん、“スズンが寝るんです”って言 うんだね。サラ金に追われて、ホームレスになって逃れてるんだわ」

 スーパーで買い物し、帰宅。Web現代Iくんからメール。原稿OK。夕食の支度にかかる。白菜と豚肉の常夜鍋、自衛官で浜松に駐屯しているファンの方からお中元に貰ったウナギの白焼きをキュウリもみで。常夜鍋のタレには自家製ニンニク醤油を用い、これに腐乳をつぶし込む。ビデオで、『ザ・サード・ライヒ・イン・カラー』という、ナチの歴史をカラー映像だけで綴ったビデオの第一巻。四巻までを全て、カラー映像だけで構成できるという、当時のドイツの国力に驚く。日本は貧しかったんだなあ。あと、今日買ったビデオなど、12時までいろいろ見つぶして。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa