26日
木曜日
萩尾望都欽一
早口で読め(ダジャレの基本)。朝7時起床。薄曇りの空に何故かホッとする今日このごろ。朝食、ガスパチョとスイカ。午前中はいろいろ雑用。留守録にFくんから昨日のフロッピー読めませんでした、と入ってる。あちゃあ。どうも、芝スタジオで手渡すというのはゲンが悪いらしい。ファイル添付で送ろうと(いままでどうもうまくいかない)悪戦苦闘する。
今日じゅうの原稿、数件あり、こっちも悪戦。『別冊文藝』のインタビュー原稿ナオシ、これがSくんの力作で原稿用紙20枚以上あり、よくまああのダラダラした話からここまでまとめた、と感心するが、それだけに手直しにも気を配らねばならず、ほぼ丸まる書き下ろすくらいの手間がかかる。カイジュウ映画に関する新視点、なぜ特撮映画は様式化するかという持論の展開、円谷英二と戦争の関係の洗い直しなど、オタク雑誌とは異なった、『文藝』でなくては出来ない内容になっている。これを敷衍して一冊書き下ろしをやりたいと思う。
昨日の気落ちしたメール先から電話&メール。書き方で誤解されたかもしれないがそれほど気落ちする内容ではありません、とのこと。とはいえ、最近は本を出すにもコマゴマといろんな会合だの打ち合わせだのを必要とする。レトルトのカレーであっさりと昼食。それから太田出版の赤入れゲラと、図版用ブツ(これが案外大荷物)をダンボール箱につめ、宅急便で送る。
グループ共著で書き進めている某書の原稿提出用パティオでなかなかスリリングな展開。もともと、この執筆陣、当初から早書き派と遅書き派の落差がきわめて激しい布陣で、リーダー格の人がやたらな早書き派。この本の原稿執筆、そろそろ始動しましょう、と担当編集者から通達があったのが今年初め、で、リーダー氏、それから十日とたたないうちにもう七、八本の原稿を書き上げてアップし、それからも、あ、これも入れてください、これを忘れていました、こんなのもありました、と次々原稿をアゲてくる。そのペースにつられて、他の執筆陣(早書き派のみなさん)もサクサクと原稿アップ。私はどちらかというと遅書きタイプであったが、それでも乗り遅れまいと早めに書き始めて、なんとか担当した原稿は全部書き上げ、他の仕事などで遅れた執筆者もアップしはじめた。
ところが、このメンバーの中に業界でも有名な遅筆のX氏がいて、彼の原稿がいっかなアガらない。いまだに一本も書いてない。忙しくて書き出せないというならまだわかるが、いろいろ雑談的なことや、他の人の原稿のバグ出しなどをちょこちょこ書いているのに、肝心の原稿がアガらない。中には、なかなか原稿が書けなくてすいません、という他の執筆者の書き込みに早書きの秘訣をレスつけたりしてる書き込みもあり、ソンなことしてる間に一行でも自分の原稿書けばいいのに、と、さすがの私でも思ったくらいだから、イラチなリーダー氏にはその数倍の思いがあったろう。
とうとう編集者氏からの最終〆切宣告があったのがこないだの24日。29日の日曜が最終期限。そしたらその次の25日にリーダー氏から、“Xさんに頼んでいた原稿、書いていただけないようなので僕が書こうと思いますが”と書き込みがあった。まだ29日にはマがあるのに、よほどX氏の執筆スピードに不安を感じたらしい。編集さんも困惑して、直接X氏に電話、X氏からも“なんとか頑張りますので”というコメントがアップされた。もともと、その担当原稿はX氏が自分のHPに書きこんでいる内容をそのまま使えるもので、やろうと思えば文体をちょいといじるくらいで、一時間かからない仕事なのである。
ところが、それから一日たってもX氏の原稿はアガらず。ついにリーダー氏、今日になって“Xさん、僕、もう原稿書いちゃいました”と、自分の原稿をアップした。“今日の午前中、三時間で書き上げられました。何でXさんが何週間もかかるのか、わかりません”とのことで、担当編集さんに“Xさんの原稿が間に合わなければこれを使って、もし書けたら……そのときは面白い方を使ってください”という、キツーイお言葉。“……”のところには“(書けないと思うけど)”という文字がアリアリと読めるなあ。
リーダー氏のプロとしての矜持は大変よくわかる。モノカキの世界というのは、きちんと注文の期日に合わせてナンボ、という世界である。それを遵守するのがプロである。しかし、私も同業として、原稿が煉れば煉るだけいいものになる、という予感があるとき、どうしても大幅に〆切を逸脱したくなる(海拓舎の原稿がそんな感じである)ものがあることもまた、よッくわかる。意識が書こうとすると、その裏の部分が“もう少し、もう少し待ってくれ”とそれを押しとどめるのだ。大抵は食うための職業倫理が先に立ち、中途半端でも書きはじめるのだが、時にはそこまで、どうしても踏み切れないことがある。特に今回の原稿はX氏の得意分野であり、その意識が書き出すことをためらわせているのだろう。
何か、他の執筆者も凍り付いたように言を差し挟めなくなっている様子に、とりあえず、“なんか落語の『長短』を聞いているような気分ですなあ”と書き込んだが、さて、このおさまりはどうつくか。ちなみにこの日記を書いている現時点、いまだX氏の原稿はアップされていない。……もっとも、X氏よりさらに凄まじい、パティオ開設当初に何回か発言して、それっきり逃げ回って一言一句も原稿書いてない、Z氏という超大物(神経の太さが)もいるのだが。
『文藝』メールして、それから『ビジオモノ』の猫原稿。ずっと家に閉じこもっていたので、パソコン誌からインタビュー依頼があったのをスッポかしてしまった。電話があって青くなるが、あちらもちょっとミスをしたらしく、来週仕切り直しということになる。
夜8時、豆腐料理『二合目』でK子とメシ。おぼろ豆腐、スズキ造り、キムチ鍋などに、青竹に酒を入れて冷やした竹酒。隣の席で50代の親父二人があたりはばからず、昔、渋谷の横町で売っていたアジフライが80円だったか50円だったかで高声に言い争いをしている。“あれは二枚で80円なんだよ”“そんなことはない、一枚半だった”“半なんて数があるか”“あったんだよ”とかまびすしい。この二人、ついさっきまでは“あそこのビルのワンフロアをこないだ一億六千万で買ったんだが”などという話をしていたのである。そういう連中がアジフライの80円、50円でケンカごしになる。まこと、ノスタルジーは人を凶暴化させます。