12日
木曜日
ほんやら洞のベン・シャーン
おまえさまはモダン・アーティストなのだね。朝6時半起き。朝から暑いが、風も強い。窓を開けておくとブラインドがブウブウと風に吹かれて鳴る。朝食、昨日と同じ。紀ノ国屋のガスパッチョ、これまでずっと夕方には売り切れで手に入らなかったのが、先日二ビンも手に入れたので、ここのところずっとガスパッチョ。
蒸し暑く、体が動かない感じ。午前中はそれで無為に過ごしてしまう。K子に弁当(豚とマイタケの塩焼き)作ったのみ。精神的あせりを自分に課することでテンションを高めていく、などと言えばカッコいいが、ただのナマケである。と学会本用の洋 書を何冊か読む。
1時、時間割にて編集者Sくんにインタビュー受ける。彼とは以前、ブックオフの店長になっていた元リーブルなにわの店長・Hさんを囲んで一緒に飲んだが、その後また、Hさん音信不通になってしまったらしい。居所定まらぬ人というのはいるものである。で、今日は『別冊文藝』の円谷英二特集。はっきり言って円谷監督についてはもう今回語りすぎて、残っている材料がほとんどない。話していても、どうも残りもの掻き集めたという感じでサンマンになる。一時間ほど話すうち、それでもなんとか形がつくところまではまとめたように思う。つまり、円谷特撮の奥義であるリアリズムは、怪獣ものの場合はむしろ抑えられ、意図的に(ではないだろうが、それと同様な演出路線でもって)オモチャっぽく作られていた。それは怪獣ものを悲惨な災害パニックにして子供に恐怖感を与えないための、円谷監督のポリシーだったのではないか、というようなこと。子供向けの映画がチャチなのは、決して手抜きではなく、想像力が大人に数倍する子供にとって、自分が想像の力で映像のアナを補うことで映画に“参画”することになり、作品へのフックがそれだけ強靱なものになる、というようなこと。“子供だまし”という言葉は決して悪口ではないのだ。
時間割を出たら、チャーリーハウスのおばさんに出会った。“お暑いですから、お互い体を大事にしましょう”と声をかけられる。帰って、ネットなど回って資料を集める。海拓舎のH社長から電話。例の連載の件。本のことについては“これからFくんと打ち合わせに行ってきます”。
4時、Fくん。残りの原稿渡し、来週いっぱいくらいでこれを構成し直すスケジュールを立てる。雑談少し。自分でもアタマが回ってないな、ということがわかる。とにかく、湿気がよくない、シッケが。帰宅、やっとエンジンかかったような感じになり、デジタル・モノの映画評、二本一気呵成に書き上げてメールする。
8時、NHKのYくんのタクシーに便乗して、幡ヶ谷チャイナハウス。朝日新聞社Kさんと待ち合わせ。偶然、とり・みきさんがいた。文藝春秋社と打ち合わせだったらしい。向こうが文春でこっちが朝日か。今日のチャイナはえらい混雑で、席がギュウ詰め。テーブルごと地下街の通路に出して食事する。こっちの方が風が吹いて、涼しい。ハローミュージック秋山氏とK氏、開田夫妻、談之助師匠を引き合わせる。今日は顔つなぎのみ。
睦月、ひえだ、K子も加わって、飲んで食って。夏バテを酒でしのごうというのは結局、翌日に持ち越してしまってよくないんだがな。ダジャレをひえださんが連発。珍しいこともあるもの。料理は黄ニラの炒めもの、鹿のカシューナッツ揚げ、木耳とカニの炒めもの、キヌガサタケとクエの唇の煮物など。最後のリーメンが実にたっぷりと出たが、みんな一筋も残さず平らげる。12時まで騒いで飲んで。通路を通る客は呆れていたのではないか。睦月さんにタクシーおごられて帰る。