裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

10日

火曜日

ファック・ユー作詞

 境界線のダジャレシリーズ。朝7時半起き。6時ころ目を覚まして、今日の仕事予定を感じてひー、と悲鳴をあげる。急いで起きてさっそくやりはじめようとも思ったが、結局またウトウト。なをきと二人、特高のような組織に追われ、家に踏み込まれたのをすんでのところで庭から脱出、老人ホームのバスに乗り込んで逃げおおせる、という夢を見る。朝食、ガスパッチョにルッコラなどの葉を刻んでいれて。

 昨日の夕刊に、おとつい死んだ羽左衛門の追悼記事があり、“晩年に至って名優となった人”と書いてあった。と、いうことは若いうちは大した役者でなかった、ということである。確かに、どうにも地味で硬い、という芸風であり、あの、華やかなイメージにいろどられた十五代目羽左衛門の名を裏切るなあ、という感じだった。昔、NHKの銀河テレビ小説『やつらの戦い』で、悪ガキのまま年をとった老人三人組の一人を演じ、西村晃、金子信雄と共にマドンナの高峰三枝子をめぐってドタバタコメディをやっていたが、このときは三人組の中で一番のお坊っちゃんという設定で、しかも唯一、高峰三枝子が愛した相手という役である、ハマり役であったが、なにしろ回りが西村、金子、それに浜村純に河原崎長一郎と、うますぎる役者ばかりで、やっぱりこれも印象が薄いままで終わってしまっていたのが残念だった。

 まず午前中にサンマークの原作を書く。牧逸馬がテーマ。いろいろ資料を読み込むのが面白い。K子に弁当、おかずはゆうべの残り物なので、ゴハンのみ詰めて、また書き続け、11時半ころアゲ。それから、〆切を数日過ぎている『本の雑誌』用の原稿7枚。最初うけたとき、2、3枚のものだとカン違いしていたので、確認で7枚強と知って驚き、構成をあれこれと考える。“旧刊発掘”コーナーということで80年代に出版された本の紹介を、ということだったので、国書刊行会から84年に出た、ジョン・A・キール『モスマンの黙示』。これに昼食はさんで、3時までかかる。

 最中にいろいろ電話。鶴岡から、仕事のことなどの煩悶いろいろ。彼も伊藤くんなどと同じく、今のライターに多い“世間がじゅうたん引いて迎えてくれる”幻想にまだとらわれている。じゅうたんは自分で引いて、それから自分で渡るもの。彼の定番ギャグの“師匠、そろそろ死んでください”というのも、私にはどうも甘えに思えて仕方ない。ホントにこっちの座を奪いたいと思ったら、そう言う前にまず私の首をしめてなきゃいけない筈なのだ。

 白山センセイからも電話。原稿途中だったのであちゃあ、と思ったが、今回は珍しく“すぐ切るから”の言葉にたがわず、用件のみで終わった。それでも45分かかったけど。K子がいつぞや一緒に撮った写真をブラ談次通じて差し上げた、そのお礼。やはり昔の人は律儀だなあ。

 先生からの電話を受けながら『本の雑誌』書き上げてメールし、受け続けながら次の『ダカーポ』のコラムにかかる。全体をだだだと書き上げ、電話が終わったところで、文字数合わせて磨きをかける。一応、明日もう一度目を通すことにして、イラストのK子にのみメール。間を置かずハローミュージックAくん来宅。キッチュグッズの写真をいくつか撮っていく。予算総ワクの件、もう一度詰めさせてくれるように依頼する。30分ほど話し込んで、Aくんは帰る。それからもうひとふんばりで、SFマガジン原稿9枚、書きにかかる。明日から数日、イラストのDちゃんが連絡とれなくなるというので、今日じゅうにともかくアゲなくてはならない。がががが、という感じで書いて、粗原にまとめたところでメールする。ここまでで本日の原稿執筆枚数400字詰め換算26枚。思ったほどでもないか。本数が多い分、クタビレたのであろう。

『本の雑誌』編集部から受け取りのメール。数カ所、文意不明瞭なところがあったとのこと。やはり、電話うけながらの執筆はいけません。ゲラで赤を入れて訂正することにする。あと、打ち合わせ関連のメール数本、送信。急いで着替えてタクシーに飛び乗り、丸の内の東京會館、角川ホラー大賞受賞式。友人の桐生祐狩さんが長篇賞を『夏の滴』で受賞した、そのお祝である。角川歴彦社長の挨拶の中途あたりから会場入りする。

 ここだけの話であるが桐生さんはと学会の創設直後あたりくらいからのメンバーであり、数少ない女性会員であった。その彼女が、高橋克彦氏を選考委員の一人に迎えている賞を受賞するというのは、まことにめでたい。顔合わせを絶対、次の例会のネタにしますから、と先日会ったとき桐生さん言っていたが、まことに残念なことに高橋先生は〆切真際ということで欠席であった。桐生さんの挨拶、口調がと学会例会の発表のときと同じなのに笑うが、“これからも青少年の不健全な育成に寄与する作品を書いていきたいと思います”というのは大変に結構。

 大賞の伊島りすと氏は、私より10歳年上の1948年生まれ。文章の上手さを選考委員の林真理子氏が“他のどの分野でも通用する”と絶賛していたが、やはり、彼が以前純文学の賞をとってそのまま沈澱していたというのは、この世代の文章は、もはやJ文学世代が跋扈する純文学では古く感じられ、いささか古風な格を必要とするホラーでやっと実力を開花させられたのでは、という気がした。すでに常識がサカを行っている時代なのである。

 角川とはほとんどつきあいがないので、誰か知り合いがいるかとキョロキョロ。と学会からはひえだ先生。あと、出渕裕さん、早川のAさん、Sさん、徳間のOくんなど。出渕さんは桐生さんにアニメの脚本を頼んでいたら、受賞を聞いて驚いた、とのこと。桐生さんの担当編集とも名刺交換。元・春樹事務所のNくんの、角川での同期だったそうである。“あそこやめたときにも電話がありまして、オタアミ本のことも非常に残念がってました”だそうである。桐生さん、なんかまるきりいつもと同じテンションで、少しは緊張しろよ、という感じ。

 Aさんと主に話す。うちの親父が死んだと同じ日に、彼の父上も危篤となり、現在もICUの中なのだそうだ。作家とその担当の父親が同じ日に倒れるとは、なんというシンクロ。泉ゆき雄先生の件については、あちらの元・担当さんから、“ご迷惑をおかけしまして”と、かえって謝られて恐縮したとのこと。Aさんから北原尚彦氏を紹介され、しばらく古本ばなし。パーティというもの、こういう出会いがあるのはいいが、やはり落ち着かなくて、あまり好きではない。“そういえばいしかわじゅんさんの姿を最近パーティで見かけませんねえ”などという話。あのパーティ大好き男がどうしたわけか。ここ、料理の皿数も人数に比べて少ないんじゃないか、と思っていたが、だいぶ手付かずのものも残る。やはり小説家というのはマンガ家とかに比べるとガッついていないな、という感じ。有名どころでは赤川次郎(太った!)とか、森村誠一(痩せた!)とかが来ている。森村先生、この席では一番のベテラン大作家なのに、カメラで来賓をパチパチと写したりしている。

 8時くらいまでいて、辞去。ビールくらいしか飲まなかったが、さすがに疲れた体に効いたとみえて、かなり体がくたびれる。そのままブラブラ時間つぶして、9時半ころ、東新宿『幸永』。フィンランド語終えたK子と待ち合わせ。ホッピーとホルモン。今日は豚足の甘味がむちゃくちゃにうれしかった。かぶりつきながら幸福を味わう。あとは極ホルモン、豚骨たたき、冷麺と如例。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa