裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

4日

水曜日

渋谷薔薇族六本木

 ゲイが増えたね、このあたり。朝8時起き。朝から暑苦しく、汗が流れる。朝食、青豆スープとヨーグルト。果物はオレンジ。風呂に入り、原稿書きにかかる。ゆうべ書きかけた太田出版のと学会原稿、一気に書き上げ。少し固くなった気もするが、他がほとんどお笑い系なので、一本こういうのがあってもいいだろうと判断。これで、私のノルマはあと一本。

 K子に弁当、冷凍の肉団子とワカメのたきあわせ。ごはんには能登のモズクふりかけをたっぷりとふりかける。資料本に目を通す。それにしても暑い。昼は冷やごはんを温めて、自家製牛肉ツクダニと漬け物で食べる。ツクダニがしみじみおいしい。何度も“んー”と満足の声をあげる。私は本を読むのも好きだが自分で書くのも好きであり、メシを他所で食うのも好きだが自分で作るのも好きな人間で、考えてみれば世の中の一般の人間より快を倍、むさぼっているわけで、貪欲な男なのかもしれない。後は映画か。これも観るのは大好き、さて、作る方は?

 2時過ぎ、家を出て渋谷駅から井の頭線、西永福佐々木歯科。今日はこないだ休んだ歯科衛生士のお姉さんがいて、機械でなく、手作業でガリガリと歯石を削る。その丁寧かつ徹底していること、すさまじい。そんなにやったら歯が削れてしまいませんか、と思うくらい。口の中がスプラッタな状態になる。

 一時間で終えて(それでもまだ半分残っている)、渋谷まで戻り、地下鉄銀座線に乗り換えて銀座へ。三越二階の喫茶店で、講談社Iくん、Hくんと単行本関連の打ち合わせ。16日のロフトをどうするかという件と、各方面へのプレゼン。表紙のデザインも見せてもらった。以前の“裏モノ”系装丁に比べ非常にサッパリとほがらかなものになっており、これまで私の本を買い続けてくれているファンは一瞬、意表をつかれるかもしれない。講談社には装丁会議というものがあるのだが、そこでも好評を博したとか。

 これもざっと一時間、終えてまた銀座線、京橋片倉キャロン内映画美学校試写室で『テルミン』試写。世界初の電子楽器テルミンを開発した天才科学者にして演奏家、レフ・テルミンの一生を追った(映画制作時にはまだ97歳で存命)記録映画だが、一言でいうと“息もつかせぬ面白さ”。こんなドラマチックでジェットコースターのような人生が、あの時代(20世紀初頭)にはまだ、あったんだなあ、と感嘆させられた。レーニンの前でのテルミン披露、デモンステレーションのため遣わされたアメリカでの成功と爆発的人気、当時としてはタブーの極地であった黒人ダンサーとの結婚、そして突然の拉致と帰国(妻は後に謎の突然死を遂げる)、空白の30年を経て西側に“再発見”された後のソ連崩壊を経て、最晩年の遅すぎた、しかし華やかな栄光。東西冷戦はこのような比類のないドラマをその陰で生んでいたのか、と感動にふける。

 またこれは、ニコラ・テスラや南方熊楠を超える奇人天才の物語でもある。電子楽器ばかりではない。強制収容所時代になされた軍事レーダー、盗聴器、超敏感探査機などの発明、さらに(映画では描かれていないが)敬愛していたレーニンの死体をよみがえらせようとしたという不老不死計画。この研究はひょっとしてあと一歩で成功していたかもしれず、なぜなら彼は恵まれない状況下で97歳というソビエトの平均寿命をはるかに越えた長寿を保ち、これは彼が自身を実験台にして不老不死実験をしていたためではないか、と言われているという。結局、彼はこの映画の封切りの翌日に波瀾に富んだ生涯に幕を閉じるわけだが、若き日の、誰もが魅せられた鋭い、野心に満ちたまなざしと、95歳で再びアメリカを訪れたときの、長い失望と窮迫を経た末の、温和で全てを悟り切った風に見える、子供のような目との対比が極めて印象的だ。彼を尊敬し、愛したテルミン演奏の天才、クララ・ロックモアとの老いての末の再会も感動的だが、しかし若い頃の彼女は、美貌というよりは宇宙人的、人造人間的な顔をしており、いかにもこの科学楽器のマエストラにふさわしい。

 考えてみればテルミンはわれわれB級映画マニアにはおなじみの楽器だったのであり、『地球の静止する日』『それは外宇宙からやってきた』等のSF映画ではしょっちゅうその非・地球的音色を聴いていたわけだし、ヒッチコックの『白い恐怖』、ビリー・ワイルダーの『失われた終末』等の映画でも、精神の緊張状態を表す音楽、効果音として、40年代〜50年代のハリウッド映画ではいつも耳にしていた音であった。最近でもゴンチチやコーネリアスがテルミンを演奏の一部に用いた曲を発表している。しかし、この映画の中でクララ・ロックモアが演奏する、ガーシュインの『サマータイム』ほど切なく、甘く、美しい音色のテルミンを聴いたことがない。『クレヨンしんちゃん』と並び、今年観た映画の中では文句なく、トップの感動を与えてくれる作品である。

 終映8時、タクシー拾って渋谷まで。K子と花菜で待ち合わせて食事。アジ天ぷら美味。生二ハイ、日本酒(菊水)ちょっと、焼酎ソバ湯割り一パイ。モリ一枚を二人で分けて食べる。BGMに1920年代のサッチモのジャズ。陶然たり。私が生まれる三十年以上前の音楽でちゃんとノスタルジーの快感を味わえるのは、学生時代から古い映画、レコード、本にたっぷりすぎるほど親しんできた恩恵というもの。“自分は若いから”“世代が違うから”と、ノスタルジーに対する勉強を拒否してきた連中は、結局、人生を半分(前半分)しか楽しめていない。かわいそうだなあ、と思う。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa