裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

31日

金曜日

ポン中の彼方に

 幻影が見える。朝6時起き。個室のときはウィリアム・テル序曲などの音楽が流れて“おはようございます、起床の時間です”とやってくれていたが、一般病棟は“6時起床です”というだけ。こんなとこでも差をつけるところがいっそハッキリしていていい。検温、点滴。8時食事。メニューは豚肉とタマネギのすきやき風味、ハクサイつけもの、ノリタマ、茹で卵。茹で卵に塩がついてないのでノリタマをまぶして食べる。

 食後に薬が出る。見たところ、痛み止め、炎症止め、抗生物質(後で訊いたら抗生物質ではなくて胃のクスリ)。毎度クスリのことを原稿に書いていていまさらこういうことを言うのもなんだが、クスリってのは効くねえ! ゆうべまで足の傷が痛んでニキニキしていたのが、のんだとたんピタリとおさまった。のんで20分後にはヒョコヒョコだが歩くことまで出来る。なんとドラスティックな効果。昨日、手術後にもらった、いままで自分の足に入っていた鉄板とネジをながめる。『いれーぬ』のタケちゃんが足の指を骨折したとき入れてたネジは金色のチタン合金だったそうだが、私のはフツーのステンレス。差をつけられた。

 4人部屋にこれまで入居者は3名だけだったが、朝方、新しい患者が入る。自転車でコケて昨晩救急病棟にかつぎこまれた初老のおとうさんで、かなり重度の糖尿病らしく、それで意識不全になってコケたらしい。江戸っ子らしく口調のハッキリした、教養もある人物らしいが、とにかく酒好きで、ゆうべも一時くらいまで高円寺のバーで飲んでいたらしい。自転車乗ってバーに行く、というのがいかにも中央線沿線の住人らしくて笑ってしまう(伯父もしょっちゅう自転車で出かけていたな)。ポカポカと暖かく、午前中はそのままベッドでクースカ寝ていて、目が覚めたら昼食。テンプラソバ。テンプラはカニカマ一本、イカ天二本、サツマイモ2切れ。ソバがのびているのはまあ、致し方あるまい。なんだか毎日これではかえって太りそうなので、半分残す。

 松井孝典『宇宙誌』(徳間文庫)読む。フランシス・ベーコンは名門の子で政治家としても活躍し、常に勢力のある側について、その勢力が弱まる寸前に逃げ出すという驚くべき才能によって成功をおさめ、アルバンスの子爵にまで出世したが、裁判官として収賄の罪に問われ、政治的生命を断たれ、仕方なく隠遁して、その後学問と著作に専念したという。このような人間的に劣悪な人物が近代科学の祖を築き、科学アカデミーの母体を作り、実証科学を学問にまで引き上げたというところが大いにオモシロイ。人格最低芸最高、ってのは立川談志の専売特許じゃないらしい。

 車椅子に乗る許可を貰って、面会室まで出て、グレ電でパソ通につなぐ。BWPで哭きの竜氏が私の執筆量を若桜木虔センセイと並べていたが、とんでもない。私の平均執筆量は一日に7〜8枚というところ。15枚いけば上々の部。なにしろ仕事が細かいもので、日記など見るとエラく仕事をしているように見えるが、実はそんなものであります。それでも月30日、毎日7〜8枚をキープしていれば、月の執筆量では210〜40枚となり、今の出版点数を確保できるのだね、考えてみれば。若桜木センセイは以前聞いた話では毎日40〜50枚の原稿を、しかも午前中のみの執筆で書き上げるとかで、とうてい人間業とは思えない。私は量も質と同じく才能のひとつだと思っているので、若桜木センセイの才能を認めるのにやぶさかでない。ただ、若桜木センセイが気の毒なのは、結局は多産駄作にしかならないことで、世の中には多産でしかも傑作をどんどん生み出す天才が山ほどいるのだ。古くはバルザックから、林不忘、松本清張、梶山季行、睦月影郎。手塚治虫だってそうだ。こういう人に比べると、ただ量だけ、の若桜木センセイはやはりただの凡人になってしまうのである。あと、若桜木センセイに残されているのは、通常の駄作の域を越えた怪作を描きまくって、平成の好美のぼるの位置を確保することしかないだろう。むろん、量産できず質もダメ、って奴もたくさんいる。ホラ、そこにも。

 3時、青林工藝舎手塚さんと井上くんが見舞いに来てくれる。これはこっちの方からお願いしたもので、南原企画の南原さんと『月光』の常連投稿者、美好沖野さんが来るので、手塚さんに引き合わせるため。打ち合わせなのだから、と、黒シャツに帽子といういつものスタイルで用意していたら、看護婦さんに“誰かと思った”と言われた。井上くん“きのう、埼玉で通常の十倍のモルヒネ打たれて死んだ患者がいましたねえ”と笑う。こういうのはお約束。打ち合わせ、原稿内容はいいのだが、今、敢えて出すためのウリをどう作っていくか、という話になる。退院したら本格的に動き出す予定。他に、テリー&ドリーの映画ガチンコ兄弟の本も出したいし、快楽亭の第二弾もやりたい。正狩炎の本や談之助との落語論も、ずっとタナ上げになったままである。まったく、この出版不況がうらめしい。とはいえ、どこの出版社でもいま、唐沢俊一の名前は欲しいとこだろうし、今のうちにどんどんプロデュースはしておくべき。種は蒔くべきときに蒔いておくもの、なのだ。以前伊藤くんに紹介した『鉱物マニア雑学ノート』は彼、どうしちゃったのか?

 病室に帰ってしばらく仕事。新入りの糖尿お父さんは、医者から“この後、どういう神経障害が出てくるかわからないから、首を絶対動かさないように。今までの自分とはもう違うということを忘れないように。ちょっとしたことが致命的になるんですよ”とオドカされていた。隣のお爺さんは脊髄炎、向かいのおじさんは以前ヒザの手術をしたときの皮膚の再生がうまくいかず、股の裏側から持ってきての再手術なんだそうだ。前回の入院のとき知り合ったおじさんは、“ノドボトケがどんどん大きくなる”という、かなりゾッとしない病気だったが、今回はそこまでキビの悪い症状の人はいないようである。6時半ころ、夕食。シソごはん、サワラミソ漬け、茹でキャベツ(?)、それにハルサメとひき肉の煮物。K子が持ってきた新聞で有珠山噴火の状況を見る。そう言えば小学校の修学旅行が洞爺湖温泉だった。井上くんのおみやげの和菓子のうち、抹茶まんじゅうを一個デザートに食べたが、久しぶりの甘味に舌が無闇にうれしがっていた。

 8時、校了ギリギリの原稿を新人物往来社に井上デザインを通してメール。なんとかことなきを得る。点滴の袋をブラさげて車椅子でグレ電と病室を往復、みんなにアキレられる。10時消灯、しばらくは寝付けず。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa