裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

5日

日曜日

ヤーレンコーランコーランコーラン

 カダル来たかとムハンマドに問えば私ゃ預言者神に聞けチョイ。朝9時半起き。昨日の宵っぱりがたたった。朝食、アボガド半個、スモークトヘリング。週刊アスキー原稿を午前中に片付ける。

 昼食はカツオの自家製味噌漬けを焼いて。風邪っぽく、頭がちとボーとする。風邪グスリのんで、コタツにもぐりこみ、ビデオ『恐怖奇形人間』などを見る。東映が発売直前にビビって中止にしたもの。地下で秘密に流出しているのである。賀川雪絵がB級のちょっとただれた美しさを見せている。この女優サンに、七年前、私は“冷血漢!”とノノシられたことがあったなあ、とぼんやり思い出した。以下、そのときの様子をちょっと長くなるが書き記しておく。

 ことは潮健児氏が亡くなって、しかもそれが大汗かいてやっと開催した『星を喰った男』出版パーティのほぼ24時間後というあわただしさで、葬儀の手配からなにから全部自分が仕切らねばならず、肉体的疲労と精神的テンションの高さの反比例度が最高潮に達していたときだった。最後に潮さんの姿が焼場の窯の中に消えていったとき、線香の煙とともに、潮さんと語り合った数々の夢が、空に帰ってしまった気がして、一気にすさまじい虚脱感が私を襲った。それでも、やらねばならない雑事はまだ山ほど残っている。葬儀委員長を勤めていただいた清川虹子さんを送るハイヤーの手配、などということも私の仕事だった。バンダイ出版部(当時)の人や、潮さんのお弟子さんなど、人がいないわけではなかったが、潮さんの最後の恋人だった女優のFさんが、“なぜ自分でやらないッ!”と、葬儀の間じゅう、私を敵視し、怒鳴り散らしていた。このFさんを“先輩、先輩”と慕っていたのが賀川さんだった。Fさんは当時、渋谷でバーをやっており、潮さんはここに私を誘っては通っていた。賀川さんもそこの常連で、すばらしいノドを聞かせてくれた。歌のうまさでは本職の歌手もはだしで逃げ出すほどの人だった。

 なぜ、Fさんが私を敵視していたか。その本当の理由はわからない。いろいろと裏事情らしいことも耳にしたが、真偽は不明だし、あえて追及する気にもならない。ただ、彼女もまた寂しかった、悲しかったのだと思う。潮さんとFさんはケンカ友達とも言える関係で、男っぽいFさんの凄まじい口の悪さに、どちらかというと神経質な潮さんは、しょっちゅう腹を立てて絶交し、しかし双方さみしがりやで、いつの間にかまた仲なおりをして、という繰り返しだった。その相手がいなくなった悲しさを、誰かのせいにしてアタり散らさねば、彼女の精神が正常を保てなかったのだろう。

 一応、私の責任はお骨になった潮さんを菩提寺に預ければそこでまっとうできる筈だった。ところが、Fさんと賀川さんの二人が、“遺骨は潮さんの自宅に帰すべき”と主張した。潮さんを愛したお弟子さんたちと、“オジジ(Fさんが潮さんを呼んでいた愛称)を囲んで騒ぐんだ”とのことだった。その主張の強さに、私も否めず、骨壷は目黒にあった潮さんのマンションの室に戻った。Fさんの店の常連さんがお寿司を届けてくれて、Fさんを中心に、お弟子さんや私の芸能プロのスタッフが潮さんの遺影の前で酒を飲みはじめた。場は盛り上がらなかった。私も、お弟子さんたちも、スタッフも、疲れ果てていたのだ。潮さんを悼む気持ちとは別に、私には香典を清算し、葬儀社はじめ各所への支払いをすませねばならない仕事もあった。対マスコミ関係でも連絡をとらねばならなかった。それが所属プロダクション社長としての務めであったし、モノカキ唐沢俊一としては、来月出版予定の『まんがの逆襲』の最終ゲラチェックをすまさねばならなかったし(焼場へ向かうマイクロバスの中でも赤を入れていたのだ)、当時連載していた週刊誌のマンガの原作も書かねばならなかった。

 だが、そういう個人の思惑を無視して、Fさんは狂騒的にはしゃぎ、みんながそれに乗ってこない、と見ると、四方にあたりはじめた。一番の矛先はやはり、私に向けられていた。“オジジに対する真心がない”“言葉づかいに毒がある”“出しゃばって自分だけで仕切ろうとする”などと矢継ぎ早に叱責がとんだ。真心がないというのは、私が遺体の側をしょっちゅう離れていたことを指していた。言葉使いの毒というのは、電話口での応対のブッキラボーさのことだった。自分だけで仕切ろうとする、というのは、葬儀のあれやこれやを、東映の先輩俳優さんたちを差し置いて指示していたという点についてなのだろう。・・・・・・そういう指摘は確かに正しかったかもしれない。しかし、それは私が潮健児の所属するプロダクションの代表である限り、仕方のないことであった。私は潮さんの臨終から今まで、涙をそう言えば一滴も流していなかった。泣いている暇がなかったのである。池部良氏から真田広之氏にいたるまでの弔問客のお相手をいちいち勤めていたら、葬儀がいつまでたっても始められない。電話連絡はいきおい事務的にならざるを得ないし、所属俳優の葬儀を取り仕切るのはこれはプロダクション代表者の、むしろ義務である。だが、Fさんにとって何より大事なのは、自分と一緒に潮さんの前で泣くことの出来る人だった。

 賀川雪絵さんは、Fさんと肩を寄せ合って泣いていた。“こんなヤツに世話されたなんて、オジジがかわいそうだ”という罵倒も、私は受け流していた。しまいには、葬儀の席で私が読み上げた弔辞に真心がこもっていない、と難癖をつけてきた。そして、出版記念パーティでオノプロ所属だった歌手に歌わせたのは、自分の会社の売名行為だ、とまで言い始めた。あんな下手糞に歌わせるなら、なぜ雪絵に歌わせなかった、と言った。ここまで来ると言い掛かりである。
「僕への悪口はあまんじて受けます。僕の会社の者への八つ当りはやめていただけませんか」
 私はFさんにそう言った。Fさんの顔色が変わった。口ごたえされるとは考えてもいなかったのだろう。いきなり、彼女はテーブルを両手でバン、とたたき、“おい、帰るぞ!”と、回りのお弟子さんたちに言った。お弟子さんたちは、一瞬とまどったような表情をしたが、やがて、無言でゾロゾロと立ち上がった。Fさんの言葉に従ったというのではなく、とにかく、疲れていたのだ。この場を去りたかったのだ、そう思う。私はじっと、部屋を立ち去る人々の顔を見つめていた。
 Fさんは、荒々しくドアを閉め、去っていった。後に残ったのは、潮さんの遺影とお骨、そして私と、プロダクションのマネージャー、潮さんのよく行っていた近くのバーのママの三人だけだった。私の頭は急速に回転していた。彼女のミスは、お骨を置いていってしまったことである。これだけは、彼女に渡してはいけない。私はすぐその場で骨壷を抱き、タクシーに飛び乗った。当時、参宮橋にあった私のマンションに、一緒に持ってきた葬儀社のセットで簡単な祭壇を作り、そこに遺骨と遺影を安置すると、待たせていたタクシーにまた乗って、トンボ返りで目黒の潮さん宅まで戻った。この間一時間弱。あわただしく、主な関係者にこの件を電話で連絡する。その中の一人に電話で詳細を説明しているまさにそのさなかに、Fさんと賀川さんの二人が戻ってきた。

「ヤッホー」
 と、Fさんはわざとふざけた口調で言った。
「おじじの骨をもらいに来たよー」
 私は立ち上がると、自分でも驚くほどの冷静な口調で、彼女にこう告げた。
「・・・・・・骨は、もうここにはありません」
「・・・・・・」
「私の手で、別の場所に移させていただきました。後日、菩提寺さんへ持っていき、ご供養していただきます。その際にご連絡はさせていただきますから」
「・・・・・・」
 Fさんの顔は土気色だった。押し殺した声で、ほぼうつむいたままで、言った。
「どこへ、預けたか、教えていただけますか」
「・・・・・・聞いて、どうなさるんですか」
「拝みにいきたいんだ」
「・・・・・・お断りいたします」
「・・・・・・オジジは、私と一緒にいたいんだよ!」
「さっきまで、私もそう思っていました。Fさんがそういうおつもりなら、遺骨をお預けしてもいいと考えていました。・・・・・・でも、Fさん、あなたはさっき、潮さんを置いて、出ていってしまわれた。あれほどFさんのことを好きだった潮さんを、ひとりぼっちにしていってしまわれた。・・・・・・私も潮さんのことが好きです。潮さんを、そういう方に、お預けするわけにはいかないんです」
「・・・・・・この、冷血漢!」 賀川さんが私に怒鳴ったのはそのときだった。
「Fさんを、かわいそうだと思わないの?」
「・・・・・・潮さんは、もっとかわいそうだと思います」
 私は言った。賀川さんは私につめより、
「あなたのその口調はなによ! 何をすましているのよ! Fさんに先輩(潮さんのこと)を返してやんなさいよ!」
 とわめいた。私は黙っていた。Fさんは、無表情のまま、タバコを取り出すと、それに火をつけ、深く吸い込んで、
「ここは引こうよ、雪絵。こいつの言う通りだよ」
 と、ぽつんと言った。賀川さんは、その場にへたりこむようにして、わーっ、と泣きだした。その賀川さんを抱き起こすようにして、Fさんは出ていった。私は、その 後ろ姿に、深々と礼をした。

 ・・・・・・このあと、さらにいろいろとゴタつきがあったのだが、それはまた。とにかくあれは、私の一生のうちでも、最も映画的なシーンだったように思う。まさか、自分がこんな場面であんなセリフを言う人間だとは、思いもよらなかった。賀川さんからは、その後、丁重なお電話をいただき、“Fさんを責めないでやってください。みんな、先輩が好きだから、ちょっと興奮してしまったんです”とあやまっていただいた。今でも、賀川雪絵の姿をスクリーンで見るたびに、あのときのことが思い出され るのである。

 ちなみに、『恐怖奇形人間』は自由が丘武蔵野館でレイトショー上映される模様。
 大魔人   3/11〜3/1720:00〜21:30
 砂の女  3/18〜3/24 20:00〜22:05
 恐怖奇形人間 3/25〜3/3120:00〜21:40
 幻の湖    4/1〜4/7   20:00〜22:45
 白夫人の妖恋 4/8 〜4/1420:00〜21:45
 夜叉ヶ池 4/15〜4/21 20:00〜22:05
 1000円均一、昼の部とは入れ換え。くわしくは3717−6341自由が丘武蔵野館へ。

 風邪グスリが効いたか、コタツで一時間ほど爆睡。目が覚めると、妙な爽快感がある。買い物に出かけ、西武デパート、パルコを回る。帰って夕食の支度。タイのちり蒸し(いしりを用いて味つけ)、蒸しカボチャの肉ミソかけ、牛センボンの塩焼。センボンは筋が無数に入っている肉で、これを繊維と直角に薄切りして焼くと、サクサクした感触の、不思議な焼肉になる。

 サムシング・ウェアード・ビデオ『ヴァイオレイト・パラダイス』。日本の観光映画フィルムをつなぎあわせて、そこに女優の演技フィルムをはさみ、ドラマ仕立てにしたキッチュ日本趣味映画。ふんどし一丁の姿の海女の映像が貴重だが、どこで撮ったフィルムだ、これぁ?

Copyright 2006 Shunichi Karasawa