裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

月曜日

ワイシャツ物陳列罪

 洗濯屋ケンちゃん。沖縄最終日。朝、K子が“もうこのホテルの朝食はイヤ!”というので、8時半にロビー集合。公設市場で朝飯しに行く。ロビーには大阪の女子高生たちがいっぱい。なぎなた部というのが大会に来てこのホテルに泊まっているらしく、ハカマ姿の上にジャンパー羽織るという妙な服装を堪能してから、みんなで公設市場二階のツバメ食堂。昨日オミヤゲ買いの途中で開田さんがここのおかみさんにハナシをつけて、10時開店のところを9時開店にしてもらったのだ。木六さんもつきあってくれて、岡さんたち開田夫妻一行と総勢8名で、開店早々の市場でイセエビやサシミなどを買い、上の食堂に持ち込んで調理してもらう。イセエビのボイルドとミソ汁、沖縄特産イラブチャー(アオブダイ。真っ青な魚を食べるのは沖縄くらいだろう)、グルクン、イカの刺身、アバサー(ハリセンボン)の空揚げなど。朝っぱらからビール飲んで、魚に飽食。食べながら木六さんから沖縄のユタの話などを聞く。睦月さん、“もっといたいよう、帰りたくないよう”とスネる。よほど気にいったか。

 木六さんと別れ、タクシーで空港へ。見送りに仲原くんが来ていた。一緒に写真撮り、昼食をとる。沖縄のメシというのは消化がいいのか、いくら飽食してもすぐ、おなかがすく。昨日食べそこねたナーベラーの味噌炒め定食。ちゃんとポークが入っているのに満足。こうでなくっちゃ。これで、所期の目的で今回食べ残したものは、島らっきょう(これもかなり臭いらしい)くらいになる。

 1時の飛行機で東京へ。やはり旅疲れか、機内で前後不覚に眠る。3時半、羽田に到着。睦月さんはそこからバスで藤沢に直行。モノレール内で不気味社のひととマンガばなし。F先生の再失踪ばなしを聞く。“しょうがねえなあ、あのおやじは”と二人で苦笑。張りきりすぎなんだよな。掲載誌や原作者はどうしてんのか?

 帰ると東京は北風ピュウピュウで寒い々々。日記整理し、すぐ原稿。また今日から仕事だ。メールいくつか、電話何本か。知人のマンガ家のAさんの離婚を知る。ううむ、あの亭主じゃまあ、仕方ねえか。春菊といい、マンガ業界、離婚(自立?)ばやりですなあ。私が結婚するとき、JUNE編集長(当時)の佐川俊彦がK子に“絶対保たない、すぐ別れる”と予言したそうだが、不思議に保っているね、ウチは。

 BWPを読んだら、旅行中にまた伊藤くんがらみでほんやら堂掲示板などで騒動が起きたようである。削除されてもう読めないようだが、内情知っている人からも某氏のパティオに情報入っていた。いろいろいじられてパンクしたらしい。かわいそうにとは思うが、もはや見てるだけ状態。僕は残酷なのかもしれません(笑)。

 仕事進めるが、寒くてふるえる。コタツにもぐりこんで(留守中猫がずっともぐりこんでいたので、ズボンが猫の毛だらけになる)、旅行中読んでいた講談社学術文庫『道教百話』(窪徳忠)など読む。たまたま沖縄で木六氏から聴いた沖縄の信仰とかなり似た部分があるのが面白い。今度の戦争中、日本軍が大陸でいなごの被害に頭を悩まし、徹底した駆除を行ったので、住民が喜び、その部隊の指揮官を像に掘って、駆蝗神として祭り、その指揮官がめがねをかけていたので、神様もめがねをかけていまだに祭られている、などという話はなんとなくいい。なをきに電話。『アイアン・ジャイアント』原稿のことなど。

 8時過ぎ、四谷のセイフーで明日の朝食シコミ。とって返して渋谷の牛タン屋『舌郎』でK子とメシ。あまりうまくなし。まあ、そううまいもんばかり食っててもバチがあたろう。帰ったら、ご丁寧に木六さんからメール。仲原くんが“あのスッポかしはやっぱり日記に書かれるんだろうなあ”と言っていたとのこと。ハイ、書きました (笑)。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa