裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

25日

土曜日

ターザンの石

 動物の言うことも聞け。朝8時起き。朝食、マフィンドッグとバナナ。裏モノ会議室で光市の母子殺人事件被害者の夫を揶揄した発言に対し、不愉快だと苦情をレスした発言者氏とメールでやりとり。彼の言うことは非常なる正論。ただし、問題はあそこの会議室が正論の場ではない、ということ。つまりはTPOの問題。ここらへん、わからない(わかりたがろうとしない)人には絶対にわからないところ。もっとも、そこらも納得した上での発言だったらしいので、お互い感情的にはならず。むしろ率直な意見の提示には好感を持つ。ただ、その人のメール中にあった、“権力者を叩くのは自分も好き”という部分にはちょっと引っ掛かる。彼(被害者の夫)こそ現在、どんな理不尽なことを言おうとマスコミが許してしまうという、絶大なる権力を持っていると言えるのではないか。裏者たちの揶揄発言も、そこを敏感に感じとってのことだと思うのである。

 12時に家を出て、青山方面に散歩。マンションのエレベーターで、サラリーマン風のおじさんに“いつも新聞で拝見してます”と挨拶される。おじさん、夕刊フジ人種なのだね。公会堂カドの時計塔のところで、モデルさんが撮影をしていた。信号待ちにぶつかったのでしばらく見物していたが、顔の長い、目の細い、エラのちょっと張り気味のモデルで、ノースリーブから伸びた二の腕などもたるみ気味。“みったくねえなあ”と思っていたのだが、カメラマンの“ハイ、いきまーす”の声でニコッ、と笑顔になったとたん、一瞬で驚くほど魅力的な表情に変化したのに仰天。この笑顔ひとつを売り物にモデルやっているのであろう。プロを見た、という感じで感服。

 神南のところに以前あったアメトイ屋がなくなり、リサイクル屋になっている。ふらりと入ったが、貯金箱とか時計とかに面白いのがあったので、いくつか買う。それ下げて、子供の城の裏手にあるキリン経営のランチョンバーで昼飯。ターキーチリ。おしゃれな外観、おしゃれな内装、料金もアメリカ風にテーブルで支払うシステム。だが、おしゃれでないのはそのテーブル数の多さ。ギッシリという感じで詰め込むように店内に並べてあり、荷物があると間を通っていくのにむちゃくちゃ気をつかう。当然、ガヤガヤと騒がしい。余裕をもったテーブル配置が出来ないのは、地代を払うためにペイ率を上げねばならぬという、せまい国の宿命。

 ABC本店を冷やかして(今日は本当に冷やかしだけ)、紀の国屋で買い物。帰ったら郵便受けに古屋兎丸の『GARDEN』が届いていた。ラストの“エミちゃん”は単行本化が現在では不可能かと思っていたのだが、そこだけフランス装にして切り抜けている。

 二見書房の原稿にかかる。若いカップルの会話が、どうしても書いていてイヤんなる。バカにしか見えない。昔、富島健夫の青春ポルノ文学を読むたびに笑ったのは、女がフェラチオしたりいじったりしながら、男に向かって“これでいい?”とか“感じる?”とか訊くと、男の方が必ず重々しく“うむ。”と答えることで、“うむ”はねえよな、などと思ったのだが、あれは富島健夫もいろいろ考えて選んだ言葉なのだな、とやっとわかった。ああいう場所での男のセリフなんてのはどんなこと言わせてもマヌケなものだし、ましてイマふうに“うー、チョー感じる”なんて答えたらぶち壊しだ。流行ってるからって若者コトバをすぐ小説に取り入れる作家はあまり頭ヨクナイあるよ。

 そんなこんなですすまず、しかも明後日の二人会のトーク落語のネタも作らねばならない。途中で放棄し、タワレコに出かけ、いっこく堂のビデオなど買う。夕食の準備をし、9時、そのビデオみながら。ヒジキと油あげの煮物、トウガンとポークの炒めもの(沖縄で覚えたスパム料理をさっそく試してみた)、トリネギ蒸し。いっこく堂、ネタ的にはまだまだギャグが練れてないが、技術はスゴいの一語。腹話術師を伯父に持つ身として、感慨深く見る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa