裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

4日

土曜日

アさて、アさて、さては南京大虐殺

 タイトルに意味はない。朝、4時ころ目が覚めて一時間ほど古いカストリ雑誌などを布団の中で読みあさる。それからまた寝たが、断片的な夢をいくつも見た。セサミストリートのアーニーとバートを居酒屋のCMに使うときは経営年数五年以上でなくてはいけないという法律が出来た夢とか、某アニメ作家が病気になって体が腐りだして、医者の私がさすがに患部にさわるのをビビって後で医者として情けない態度だったと悩む夢とか、オタキング事務所に遊びに行き、圧搾空気で空中に浮かぶカブトムシのオモチャを見てうらやましがる夢とかいうもの。7時半起床、朝食、カレースパゲッティ小皿一枚、オレンジ。

『とても変なまんが』(早川書房)用の描きおろしイラスト図版、K子に指示。雨がいまにも降り出しそうな雲行きだが、肩凝りなどはない。昼に外へ出てライオンでカキフライ定食を食う。思い立って、原稿の資料に一度行ってみようと思っていた、桜新町の『長谷川町子記念館』に足を運ぶ。半地下の部分が長谷川町子のコレクションした絵画・美術品の展示、二階の半分もそれ、残りがサザエさん、意地悪ばあさんなどの作品関係資料展示。土曜ということもあってか、案外入場客が多く、にぎわっていた。子供に人気はアニメのビデオ上映と、イソノ家の立体模型見取図。作品に描かれている家から設計したものだそうだが、これを見るとイソノ家は平屋だてとはいえまことに広い。門から玄関まで少々敷石が敷かれ、玄関の三和土が三畳ほど、部屋数が五間で、波平・フネの寝室が床の間つきの八畳、サザエ夫婦の部屋が六畳、カツオとワカメ共用の子供部屋が四畳半、六畳の茶の間と六畳の客間兼仏間。それに風呂場と台所、縁側があり、庭は盆栽棚と鶏小屋、犬小屋があってなお、キャッチボールが出来るだけの広さがある。

 この美術館を建設するにいたった長谷川町子のマンガメッセージもかかげられているが、あれだけ庶民を描くことに長けていた彼女が、一般庶民感覚とはカケ離れていたゲイジュツカ的思考パターンの人物であったことが非常に興味深い。マンガ家が、底辺とはいえ芸術家だった時代があったのだ。これに比べると今のマンガ家(手塚治虫以降)はまったくサラリーマンである。

 せっかく新玉線に乗ったのだからと、帰り、三軒茶屋で途中下車して古書の喇嘛舎へ。店長が知らんふりをしていたので、見忘れていると思い、気軽に選んでいたら、勘定のとき“こないだの目録、届きましたか?”と話しかけられる。バレてたか。資料本など7500円ばかり。

 帰ってしばらく休む。5時、明日の朝食の材料などを買いに出て、帰ってすぐ、タクシーで新宿駅に。雨の土曜で競馬があったらしく、甲州街道がバカ混み。6時に中野の待合せだが、間に合わず、K子の携帯に電話して先に行っていてもらう。15分遅れでなかの芸能小劇場、トンデモ落語会。雨にもかかわらず満員の盛況。快楽亭とその知り合いの大人のオモチャ会社の社長さんに挨拶。子供のオモチャ屋から大人のオモチャ屋さんに転じ、独自のポリシーをもってこの道にはげんできた人で、この社長さんの本を、いま、師匠と二人でプロデュースしようとしているのである。

 ひえだ夫妻、開田夫妻、安達OB、睦月さん、FKJなどのいつものメンバー。裏モノからはGHOST、鈴之助の、これまたいつもの。ひさしぶりに松村監督に会った。背が高い男が太ったので、単にデカい男になっている。快楽亭交えて映画談義。

 落語会、メンバーは変わらずブラ房(前座)、志加吾(談之助の浮世根問)、新潟(田舎の怪談)、談生(橋どろ)、談之助(平成偉人伝・日栄物語)、ブラック(志らくの子別れ)。タイトルはこっちで勝手につけたもの。新潟の、まくらと本題の間にいっさい切り替わりがない語り口がスゴい。彼は別だが他の出演者のネタ、いずれもアブなさではレッドゾーン。かつての武蔵野ホールの超放禁をホウフツとさせて、笑いながら“やべえ、やべえ”と何度も冷や汗が出る。

 二次会はいつもの“俺んち”。三次会でトラジの焼肉。この数日、なぜか“焼肉食いてえ!”とカラダが求めていたのでかぶりつく。話はかなり盛り上り、2時過ぎま で。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa