9日
木曜日
サリエリはべりいまそかり
ハプスブルク宮廷の音楽家間において以下略。植木不等式氏から寄贈の駄じゃれ。他にも“相生はべりいまそかり”“ガリポリはべりいまそかり”“太刀持ちはべりいまそかり”“さば折りはべりいまそかり”“ゼルエルはべりいまそかり”なんてのが寄贈された。私の方のいまそかりストックは“アリガバリはべりいまそかり(ショッカー関係)、“森茉莉はべりいまそかり(森鴎外関係)”、“ハリハリはべりいまそかり(鯨鍋関係)”。“パレポリはべりいまそかり(祝復刻古屋兎丸関係)”、“有礼はべりいまそかり(文部省関係)”、“われ思うゆえにわれありはべりいまそかり(デカルト関係)”、“薮入りはべりいまそかり(お店〈たな〉関係))、“ニガウリはべりいまそかり(沖縄関係)”、“不条理はべりいまそかり(カフカ関係)”、“トリチェリはべりいまそかり(v=√〈2gh〉関係)”などなど。お互いいい年をして何をやっておんのか。
8時起き。朝食、シイタケとソーセージのベイクド、リンゴ。K子、税務署に納税の手続きに行く。今年も彼女の魔法の手によって、いささかなりと還付金が帰ってくる。手続きに思ったより時間かかり、家に戻ったのが1時近く。作っておいた弁当、台所で食べてK子、仕事場に出かける。オカズはポークジンジャー。
午前中、薬局新聞一本。鶴岡から電話。現在例によって経済的に最低の状況だが、何とかメドはたったもよう。今日びライターで生活がセッパクしているのは、これが通常の状況とも言える。裏モノにおけるパブリック・エネミーの感がある石原理沙と笠原真澄の二人(だかどっちかだか)は出版社を立ちあげた模様だが、アタリマエの話で経営が困難になり、オンデマンド出版に手を出してしのごうとしているらしい。人に休眠会社にしたら、と勧められて猛反発し、意地になっているようだが、経験から申し上げる、会社は傾いたらすぐ、休眠させ、時期を待つことだ。ダラダラ続ければ続けるだけ、金をドブに捨てることになる。“私を理解して、助けてくれた人たちに申し訳がない”などと言っているようだが、会社を休眠させるということは、その人たちが出資してくれた金を無駄にしないようにするということだ。彼らにきちんと事情を説明し、確実に儲かる企画と、回りの状況が整うまではじっと待つことが、出資者への本当の誠意ではないか。プライドだけにこだわると、私の伯父のように、早期に会社をたたんでおけばよかったのにぐずぐずと長引かせ、結局大ダメージを受けて廃人同様の身、というハメに陥るぞ。その後始末で私がどれだけ迷惑を被ったことであるか。・・・・・・ことはライター志望者諸君についても同じである。現在の状況下における一時撤退は何も不名誉ではない。食えぬ職業にしがみついて貴重な青春の時間を無駄にしてはいけない。二十代末で月収が四〜五万なんて、決して名誉にもいい経験にもならない。うまいものも食えず、恋人ともつきあえず、なぜモノカキにしがみつく? 田舎に帰れ。食えなければ職を変える、これは資本主義下の原則だ。あらゆる職業は、“それで食えて”はじめて意味があるのだ。あまりに悲惨な例を私ゃ見すぎているんだよ。
昼飯(塩ジャケ)食ってからまた仕事、光文社のに苦吟、とりあえずSFマガジンの方を先に片付けようと思ったら、これまた資料が見つからず、不捗極まりなし。別口の方面から書くことにして、六本木のあおい書店に資料探しに行く。どうせ私の書くもの、ヒジョウに特殊な資料であり、ンなもん飛び込みで探したってあるわきゃないや、と半ばあきらめつつ、雑誌売り場でその内容関係の専門誌をパラパラとめくったら、連載記事がたまたま、その書こうと思っていたテーマを取り上げて、資料を提示してあった。なんというシンクロニシティ。こういうことがときどきあるから、モノカキを続けていられる。
帰って原稿続き。書いているうちにノッてきて、しばし没頭しているうち、今日は7時に伊勢丹でK子と待合わせて買い物をする約束があったのをスッポかしていた。最近多いなあ、こういうこと。ボケの状態が進行してきたか。電話があって気がつきあわてるが、すでに閉店時間まぎわで間に合わず。仕方なく、寿司屋で待ち合わせて食事。脇でずっとうらみの目でにらまれているので食欲あまりわかず。ホウボウ、甘エビ、鳥貝つまみなど。それからソイのあら煮。ここのあら煮は昆布出汁にホンの少量の生姜と酒、塩のみで味をつけてある、ほぼ純粋な魚のスープ。