28日
火曜日
フランチャイズの犬
タイトルに意味はまあ、ない。朝6時起き。7時半までに『創』の原稿一本書き上げ、学陽書房に資料送り、など仕事テキパキ。イースト・プレスからのメールに激怒しながら8時キッカリに病院にもどる。朝飯が出たので、“採血するから禁食と言われたけど、食べていいんですか?”と訊いたら、エエいいです、とのこと。ただし、箸がないので(個室の食事には一回ごとに割り箸がついたが、4人部屋だと自分の箸が必要。こういうところで差をつけている)、お椀の蓋をスプーンがわりにして食べる。豆の煮たのと大根の味噌汁、おひたし。思ったほどまずくない、去年の入院のときはいかにも塩気が足りなく感じたが、今回は十分。味覚の変化か? ところが、食べ終わったころ、看護婦がとんできて、
「すいません、やっぱりダメでした」
という。おいおい、ホントに私ゃ医療過誤で殺されないだろうな。仕方ないから昼食前に採血するので、間食しないでおいてください、と言われる。朝のうちに、レントゲン撮影、肺活量、心電図など検査終わり。尿をとって検尿室の試験官に入れておき、昼前に血のサンプルとられて、これで今日の予定は終わり。とはいえ、出掛けにモバイルワープロの電池とテレカが見当たらず持ってこられなかったので、今日は原稿とかを送れない。ちょこちょこと書きかけては休み、ディヴィッド・J・スカル『モンスター・ショー』など読む。
昼はライスカレー。今度は売店で箸とかスプーンなどを買ってそろえたのでちゃんと食べることができた。これも味は上々。前回は個室の食事(エレベーターの中で新人看護婦が先輩に“個室って、食事も違うんですか?”“当然よ。食器だってプラスチックじゃなくて上等の瀬戸物を使ってるのよ”“すごいですね”“まあ、お金とるんだからそれくらいしないとね”と話していた)でも、飽き果てて苦痛だったもんだが。まあ、数日続くうちにどれも同じ味付けに思えてイヤんなるのだろう。
『モンスター・ショー〜怪奇映画の文化史〜』のテーマ自体は、『カリガリからヒトラーへ』などをすでに読んでいる身にとって新味はないが、相変わらずアチラのこのテの評論の取材の徹底ぶりには驚嘆。ジェームズ・ディーンが高校時代に扮したフランケンシュタインの怪物の写真など、よくまあ見つけだしてきたものである。日本の怪獣映画でこれだけの本を書こうと思っても、なにしろ映画の数が違うからお話しにならない。B級文化の厚みの違いである。ボリス・カーロフの声帯模写で歌われビルボード一位になったポップ・ソング『モンスター・マッシュ』などは、六○年代に現代のナードコアを先取りしていたとも言えるだろう。
「使い古しのクリシェに頼り、大衆受けをねらった三流映画は、はからずも歴史的なサブテキストをたっぷり披露してくれることが多い」
という部分はまさに、と拍手したくなる。かの『フリークス』が身体切除マニアのトッド・ブラウニングの偏執性が生み出した俗悪映画からポップアートへ、そしてポリティカリー・コレクトな癒し映画へと変遷する(それを偽善と言い切っているのも痛快)過程を追って本書は間然するところがない、というとちょっと褒めすぎだが、俗悪を理解しない連中には畢竟、ポップも癒しもわからない。
7時夕食。カジキマグロのつけ焼き、卵豆腐のあんかけ、おひたし、野菜汁。食べ終わったあたりでK子くる。いろいろ出版社が電話してきているそうだが、とりあえず手術前は無視。テレカと電池もらい、喫煙所のグレ電で試験的にネットにつないでみる。成功。モバイル通信ができればいいのだが、心臓ペースメーカーに悪影響があるといけないとかで、病院では禁止。
10時消灯だが、昼間少し寝ていたのと、同室の患者二人が(一人は腰が痛い爺さん、もう一人は今日足を手術したばかりのおじさん)しょっちゅう看護婦を呼んだりなんだりするのとで、寝付けず。もう一冊、怪物関係の本『恐怖の臨界〜ホラーの政治学』(マーク・ジャンコビック)を読み出す。酒に対する欲求がまったくないのは自分でも意外。