31日
土曜日
へえ、の中の懲りない面々
『トリビアの泉』再開企画立ち上げ!
※書評原稿 ヨーロー堂寄席出演 大賞最終打ち合わせ
朝8時半起床。
雨蕭々たり。
本来ならば体調わりー、だりー、で
寝転がっていたいのだが、今日は予定ぎっしりなので
そうもいかず。
まず、とパソコンの前に座って朝日新聞の書評原稿。
さてどうやってこれをまとめるかな、というような
感じのものであったが、意外やすらすらと書き進められ、
朝食はさんで、文字数を大幅に削ることもなく増量することも
なく、どころか字組みでときどき(改行位置などの関係で)
一行あふれたり足りなくなったりする場合があるので、
担当Nさんに二パターンの行数原稿を送る、という
余裕のワザなどを見せて送ることが出来た。
朝食、9時。
久しぶりに母の室。
旅行中の話をいろいろ聞きながら。
原稿が残っているので、急いで自室に戻ったので
『ぶらり途中下車』を見逃したが、なんとナレーションが
えなりかずきだったそうだ(どうも前回から、らしい)。
滝口順平の身に何か?
別に降板、ということではないようだが……。
某出版社から単行本の依頼あり、共著者二人とメールやりとり。
前向きに行く方向ではあるが、構成がちょっと大変そうなので、
いろいろ考えてお二人に呈示する。
元・『少年マガジン』編集長、内田勝氏死去。
平山亨さんとの6月のトーク、川内康範追悼だが、内田勝氏
追悼にもなってしまいそうだなあ。
この人のことについては、あまりにその存在が巨大で、
日記の中のかいなでの追悼ではとても語り尽くせない。
改めて場所を見つけてじっくりと論じたい。
今日は浅草に12時半、の予定なので、朝はかなりワタワタする
だろうなと覚悟していたのだが、上記原稿が案外スムースに
完成したせいか、余裕である……と思ったらひとつ、忘れて
いた。今日の打ち合わせで使う台本をプリントアウトしないと
いけない。こういう場合の吉例で(?)プリンターにトラブルが
あったりで、それで出るのがギリギリになる。
地下鉄丸ノ内線から銀座線に乗り換え、浅草まで。
雷門ならびのレコードショップ、ヨーロー堂。
2階の小ホールにて、鮨芳(快楽亭行きつけの浅草の寿司屋さん。
歌舞伎仲間でもある)閉店記念寄席。
5階の室が楽屋代わり。
演歌歌手のポスターとか、W-indsのデビュー当時(01年)のポスター
とかがやたらに張ってある、いかにもレコード屋の倉庫、という
感じの廊下がいい。W-indsって、確か某超大手プロダクションの
圧力で日本では仕事とれなくなり、台湾で大ブレイクしたんだったよねえ。
デビュー時は17歳くらいだったと思うが、小学生にしか見えない。
5回の応接間で、鮨芳主人、それから佳声先生に久闊を辞す。
佳声先生、6月で80になるとは思えないお元気。
声量は以前に比べ少し落ちたが、張りはもう十二分。
快楽亭に、
「少し家元にも佳声先生にあやかってもらいたい」
というくらい。
立川流のうわさばなし、快楽亭としばし。
佳声先生とは飯田の人形劇フェス、それから芝居の話。
いま、演劇人の中で本当に舞台だけで食っているのは
大衆演劇の人たちだけ、という話になるほど、と思う。
いま、チンドン屋さんになりたい若い人たちが増えていると
いう話。ストリート・パフォーマーで食っていけるのも、
チンドン屋くらいかも。佳声先生曰く
「チンドン屋の一番の特性は、着替えるということをしないこと。
楽屋がない商売なので、家で扮装して、そのまんま、電車乗って
仕事先に行くんです」
あと、ちょっと出版企画の相談あり。
これはちょうどいいところを知っているので、うまい具合に
まとめたいと思う。
いかにも昭和っぽいが、棚の上に人形だとか法螺貝だとか
手毬の模型だとか、いろんなものが関連無く飾ってある。
その中に懐かしい人形を見つけた(写真参照)。
夢のことを日記にいつもつけているが、昔から見た夢のことは
かなり克明に記憶している子供だった。
一番古く記憶に残っているのが、銭湯の脱衣場で物売りの
お婆さんにレーザー光線で撃ち殺される夢。
次が森の中でバンビみたいな小鹿と遊ぶ夢。何故かウエハースで
出来たピストルのおもちゃをバンバンと撃つ真似をしていた。
で、三番目の夢がトラウマになるような怖い夢で、腹が減って、
不気味な金属製の人形を餓えに耐えかねて噛る。すると、表は
金属だが非常に薄いので噛み破ることが出来て、中に
カスタードクリームがぎっしりつまっている。
おいしいので食べていると、人形がいきなりこっちを向いて
「よくも食ったな」
という。
幼稚園くらいの頃に見た夢だったか。
その人形は実家の仏間の床の間に飾ってあったものだが、昨日、
仕事で行った浅草で、なんと同型の人形に再開。
横山大観の『無我』を立体化したものだそうだが、
うわー、懐かしい、うわー、怖い、と一人心の中で叫ぶ。
快楽亭は“一人三十分で”と言っていたが、自分の『お血脈』が
なんと1時間近くに延びていた。
そのあと佳声先生の『虹の御殿』、もう爆笑。
初めて聞いた快楽亭も大喜び。
それから私の番、朗読芸をちょいと。
まずまず、ウケていたみたいである。
時間が迫っているので、二十分くらいで降りて、
川柳師匠にバトンタッチ。
ギャラいただいて、来た道を引き返す形で新宿まで。
区役所裏のルノアールで、ちょっと早めについた菊ちゃんと
落語の話など。9月公演に怪談噺の会をやるというのが
凄く楽しみと言っていた。
ところで、場所がら、ついたときに黒服の怖いオニイサンたち
がぞろぞろ出てきて、ややビビる。会議室に上がっていったら
壁に大きく“暴力団追放宣言”のポスターが貼ってあって、
あのオニイサンたちここで会議していたのかね、と菊ちゃんと
大笑い。
やがてと学会メンバー、乾ちゃん、ハッシーも来て、
トンデモ本大賞最終打ち合わせ。
企画部分の台本読み合わせをまず。
いろいろ細かく訂正を入れていく。
菊ちゃんのところは問題なし。
それからS井さんと乾きょんのからみのところ、
ハッシーに演出つけてもらうが、S井さんのキャラに
爆笑して、“いいなあ、いいキャラだなあ!”と。
こういう演出はどうかと思っていたのだが、FKJさん、K谷さん、
K川さん、しら〜なども大爆笑、I矢くんにいたっては“こここうしたら、
ああしたら”といろいろアイデア出しはじめるウケ方に、
ホッとひと安堵。
ひえださんはかなり熱心にハッシーに舞台上での動きの稽古や
発声のコツをレクチャーしてもらっていた。
その後、機材搬入や記録版などの細かい付け合わせ。
正直、“ここまでここで決めないでも、そんなこと現場で常識判断で
やればいいのに”と思うようなこともあるが、なにせと学会は
素人集団である。そういうところまで最初にキチンと決めあわせて
いくのがいわゆる“ウチの方針”。
終わったあと、上海小吃で飲み。
揚げパン、蒸しパンがやはり人気。
マテ貝、酢豚など、おいしいが“頼んでないもの”もいっぱい
出る。何でも来るもの拒まずでバクバク食う客と認識されている
らしい。乾きょん菊ちゃんが大満足の様子だったのが結構。
ひえださんの結婚ばなしをハッシーに一条のモノガタリとして
話してきかせる。隣で聞いていた楽工社のKさんが吹き出していた。
乾きょんはI矢くんやK川さんと、その後スイーツ食べにいった
らしい。私はしら〜、ハッシーと、阿佐ケ谷の吐夢へ。
ジャイアントコーンつまみにワイワイいろんな話をして、
12時過ぎ、さて帰るかと腰をあげたら、なみきたかしがいた。
「何やってんの、最近上映会やってくれないじゃない」
「そうなんだよ、やらないと常連から“あれは自分たちにとって
仲間と顔をあわせる大事な場所なんだからやってくれないと困る”
って叱られんだよ」
などと。連れ合いの女性は何と明日、トツゲキ倶楽部に観に来る
そうである。
タクシーで帰宅。マドから送られたチラシ案など見、
私の体を心配してくれる知人のメールなども読むが、酔余で
返事はアブナイので、明日のこととする。