裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

22日

木曜日

ニフティ・ニフティ

ニフティの歴史:日商岩井と富士通の折半出資会社として発足。

※誕生日 メディアファクトリー原稿 食事会

いかにも夢夢した、脈絡のない夢。
・切れる湯の量が調節できるザル
・なぜかマンションの床という床に綿ぼこりが付着。
 冷蔵庫の中をあけると冷蔵庫の床部にもたまっていて、
 何故だろう、と理由を考える。
・100まで生きられるのと、命を縮めるけど魔法が使えるように
 なるのとどっちがいい? という仮定の質問に、“魔法で100
 まで生きられるようにする”と答える。
・ある大手会社のやり手の若い社長の家に泊まる。そんなやり手なのに
 古下宿みたいな家だが、こういう雰囲気はキライではない。朝、
 下着姿で布団の中にいたら、突如中曽根康弘がはいってきて
 あわてる。中曽根氏は気にせず、畳敷きの床に座っている。
 社長が招いたらしく、社長も下着姿で、服を着ながら
 中曽根氏と雑談している。社長が“若いやつらにちょっと説教して
 くださいよ”と頼むが中曽根氏は“わしくらいの年齢になっちゃうと
 今の2、30代は夢の中に出てくる人間みたいでトリトメがなくって、
 説教も話も出来やせんよ”と笑う。

4時半覚醒。寝返り打ったりストレッチまがいのことしたり
して二度寝、三度寝。8時15分起床。
窓外、ピーピーカンカンの好天気。
本日誕生日で、この好天気が嬉しくなる。
いや、天気と体調は最近さらに深く結びついてきていて、
調子悪いまま誕生日というのは嫌だからねえ。
9時朝食、スイカ二切、ブドー5〜6粒。
アスパラガススープに青汁、漢方薬如例。

朝からmixi。日記コメント、それからメールでハッピー
バースデーのお祝い続々。マイミク、スタッフ、同業者、仕事関係、
いろいろ。
mixiメールの一番乗りは小川さん、携帯には麻衣夢ちゃん、
コメントは黒木隊長。それから電話は乾ちゃん。
最終的には百数十通のお祝いコメントが届く。
うれしいというか、恐縮というか。

半世紀の馬齢を重ねて、まだ自分の中に仕事やいろいろなことへの
活気が残っているというのは本当に幸運なことだと思う。
二年前の誕生日は鬱の最中で、mixiの方への挨拶に
「まだ鬱が残ってますがだいぶ回復しました」
とか書いてあった。実際は回復どころか、先が見えぬままに
(気づかれないよう細心の注意はしていたが)懊悩していた
ものだ。それに比べれば。
人生残りの四半世紀、まだまだ暴れまくるつもりである。

そう言えば、以前、翻訳家の鴻巣友季子さんがご自分の人生設計を
冗談めかして語ったとき、冗談ではあるが当然のように
“90になったら”と語っていたのを思い出す。
今や90歳、100歳という年齢のことを視野に入れて
人生は考えなくてはいけない時代のようだ。

そんな時代に早すぎる退場をする人もいる。
5月13日、俳優ジョン・フィリップ・ロー死去、70歳。
記憶に残る役としては『バーバレラ』(1968)で背中に羽を
はやした宇宙の天使・パイガーを演じている。映画は見ていなくても、
その肉体美はさまざまの媒体により印象に残っている人が多いはず。

さらに、人形アニメの神様レイ・ハリーハウゼンのシン(ド)バッド
ものの第二作『シンドバッド・黄金の航海』(1974)で
ヒーロー・シン(ド)バッドを演じたが、前作のカーウィン・マシューズ
に比べると線の細さはいかんともしがたく、ハリーハウゼン特撮の
最高傑作シーンの呼び声も高いカーリ神とのチャンバラも、
完全にカーリ神に位負けしていた。その他『レッド・バロン』(1971)、
『カサンドラ・クロス』(1976)などに出演しているが
印象に残ったとはお世辞にも言えず、ことに『レッド・バロン』など
主役のフォン・リヒトホーフェンを演じていたにも関わらず、
その存在感のなさは逆に特筆ものだったと言えるかも知れない。

整いすぎた顔立ちが生活感や存在感を薄めているが、かといって
キア・デュリアほどその希薄感がきわだってはおらず(キア・デュリア
は『バニー・レイクは行方不明』で、その存在の希薄を見事に
活かした役で裏返しの存在感を見せていた)、そこそこに
主役芝居もこなせる、というあたりで、逆に特長をわかりにくく
してしまっていたのではないだろうか。
脇に徹して冷酷な美形悪役などを演じていたら、もっと違った
境地を開拓できていたのに、と思わないでもない。
気になる役者ではあった。
ご冥福をお祈りする。

小説原稿書き、なぜか筆が滞っていた部分、視点を変えることで
クリア。書き進むが、電話、メール等雑用の対応も多し。
昼は弁当、焼肉と卵焼き。談笑や木原浩勝さん、二村ヒトシ監督に
スケジュール確認とお仕事依頼のメール。
佳声先生から素敵なデザインの黒シャツ誕生日プレゼントとして
いただく。仙台のファンからは、上品な酒器セット。
“イチゴ模様のパンツ送ります”と言っていたのでそれを
予想していたら、見事フェイクに引っかかった。

50歳を迎えた今日は結局、一歩もマンションの外に出ず、終日
籠って仕事していた。どこに遊びに行くより原稿書いているのが
楽しいのだから仕方ない。
向川圭介から“さぞ盛大なパーティをやるんでしょうね”と
メールが来たので、仕事とイベントでとてもそんなことを
やっている余裕はないので、小分けにして、一年かけて
パーティやろうと思ってる、こんどまた飲もう、と返事。

で、7時から、その小分けパーティの第一弾として、
家で談之助夫妻と開田夫妻をお呼びしてのささやかな食事会。
このメンバーなのは、亭主の方二人とも私より年上という
カップルで、人生の先達として何かご講話を拝聴できれば、と
思ってのこと……だったが、ユウトくんがすでに立って歩けるという
状態にみんなキャアキャアで、いつものバカ話の会に。

母の料理はレバーの八角煮、ローストビーフサンド、
エビすり身揚げパン、エビマヨ、生ハムサラダ、ビーフシチュー。
久しぶりに談之助の毒舌を聞くが、最近アキラメの境地に
なっているような。まだ枯れるには早いぞ、と思う。

快楽亭から受けた仕事、6月の名古屋だけかと思っていたらが、
談之助に指摘されて、5月31日の、浅草ヨーロー堂での会も頼まれて
いたことを思い出す。うわっ、トンデモ本大賞の舞台予行練習日
じゃないか、これはキャンセルか? と思ったが、チェックして
みたら昼仕事だった。よかった、穴あけずに済む。

10時、お開き。次の会はスタッフ・担当編輯などと明後日。
自室に戻り、某人に仕事の依頼メール、及び
いろいろワルダクミのスゝメ。焼酎飲みつつ、ここ数日ずっと
飽きずに繰り返し見ている『ジャッカルの日』。
この中でスコットランド・ヤードの捜査員として膨大な戸籍を
調べ上げ、ジャッカルが名乗るポール・ダガンという偽名を
探り当てる調査チームの現場リーダーを演じていたバーナード・
アーチャードも今月1日、死去。
薄幸の美女と言えばその代表みたいにすぐ頭に浮かぶ、
OASの女スパイ(戦死した恋人のために組織の活動に協力するが、
その恋人の遺影や手紙類は証拠になるからと全て焼かれ、しかも
情報を得るために政府の要人と寝ることを強要される)ドニーズ
役のオルガ・ジョルジュ・ピコは、まさに薄幸を絵に描いたような
表情を見せて印象的だが、彼女本人も1997年、自殺している。
何か、そうなるようなオーラがただよっていたのだな。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa