裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

25日

木曜日

ドナードナードナードナーはかない命

 ドナーカードを用いることなく逝った小淵総理。もしも意識があったならば〜。朝7時起き。朝食、目玉焼サンド、タンカン。薬服用、いつもの小青竜湯と百草胃腸薬に、桂枝加苓朮附湯をしばらく用いる。“少陰の病たる、ただただ居寝んと欲す”と文献にあるそうで、昨日の状態などまさにそうであった。

 海拓舎用資料としてFくんが送ってくれた幸田露伴『一国の首都』(岩波文庫版。品切れなので岩波本社まで探しに行ってもらった)、読み込みにかかるが、露伴の文章は漢語を駆使した読本調。テンポがよすぎて、頭に右から入って左に抜けていく。赤ペン持ちながら必死になって読み飛ばさぬよう読む。K子に弁当、豚肉とホタテのカレー炒め。世界文化社ゲラチェックして、昼飯はタコの塩辛で茶漬け一杯半、外出し、イーストプレス(ここ、ロコツな新興宗教本をこないだ出していたが大丈夫だろか)に資料宅急便で送付。

 そのまま山手線で新橋へ。ニュー新橋ビル4階広場の骨董展に顔を出す。骨董展と言ってもフリマに毛の生えたようなもの。外人がやってる骨董屋で、和田誠のコレクションで見たエッチ栓抜きとか、鼻眼鏡とか買う。鼻眼鏡というの、映画とかで見たことはあるが実物は初めてである。

 東京駅の方まで足をのばし、ヤエスブックセンター。『トンデモ本男の世界』用の本で探書中のもの、その関係の棚を見るが2だけあって1がなし。海拓舎用の資料をまた何冊か買って帰る。帰ったら『創』から電話。“あの、連載、いつまでと認識しているでしょう?”とか言うから、“エ? 前回で終わりじゃなかったんですか?”と言ったが、むこうは今月まで、と思っていたらしい。あわてて、月曜までにもう一回、書くことにする。

『一国の首都』、読了。この論文の最もユニークなところと言うとなんといっても、締めくくりの部分が露伴一流の博識を究めた花街論、つまり日本淫売論になっていることだろう。この著をして凡百の都市論と一線を画するところ、まさにこれである。昔、露伴全集で読んだときはなにしろこっちも若く、ここらは印象に残らなかった。と、言うより、最後まで読み通せなかったのだろうか、まったく記憶にない。若いう ちに背伸びして読書してもあまりイミはないということか。それにしても
「予は実に世の士君子等が芸娼妓等の世に及ぼす影響の甚だ大なるにもかゝはらず、これを論議することを避くるが如き情態あるを怪しまずんば非ざるなり。我豈痴に過ぐるか、世の士君子の智に過ぐるか。何ぞ風俗の改良を説き社会の改良を説くの士多くして、芸妓、娼妓、待合茶屋、遊廓等を論議するの士少なきや。そも々々世の論議を為すの士、多くはこれらのものを論議するには不適当なる何らかの関係をや有すらん。いといぶかしき事どもなり」
 という露伴のインテリ罵倒のタンカの小気味いいこと。一般知識人の多くが“こういうものを語るとインテリとしての自分の名に傷がつく”と思って敬遠している対象にズイとせまるのが文人露伴の真骨頂である。もちろん、売春を語ったからといって露伴が最近流行りの売春肯定論者や売春愛好者の先駆者ないことは言うまでもない。ある対象を論ずる、ということと肯定の立場につく、ということを混同することの愚かさは、売春論を語るにあたり、露伴も字数を費やして説いている。しかし、現在でもそういう短絡に走る痴輩がまだまだ多い。露伴のともすれば過剰ともとれる自己正当化的前説は、決して無駄ではないのである。

 固いもの読んで頭がキシキシしてきたので方向を変えよう、と東良美季『アダルトビデオジェネレーション』をひろい読み。卯月妙子はまだダンナ自殺の前。潮さんの葬儀にも来てくれた大野剣友会出身のAV男優(レディース雑誌で撮影現場取材したこともある)栗原良は、なんとモモレンジャーの中に入っていたとか。山本竜二もいるし、中野貴雄もまだ太っていた顔を見せている。彼が小・中学校時代は常に学校でトップの優等生だったという話を読んで、なるほど、とうなづく。そういう図抜けてアタマのいい奴でないと、空手アマゾネスだの徳川女系図だのといったアホなものには飛びつけない。自分の判断に絶対的自信がない者には、世の基準と異なる価値観は保持できず、なにか正統な権威をバックにモノを語りたがるからなあ。彼豈痴に過ぐるか、世の士君子の智に過ぐるか。

 9時、夕食。ワラサと大根の鍋、蒸し豚肉。ビデオで『日本沈没』、ひさしぶり。出演者たちのオーバーアクトと演出のカミ合わないこと、カミ合わないこと。大笑いしながら見る。しかし、森谷司郎という監督は、後の『八甲田山』や『小説・吉田学校』でもこのオーバーアクト演出を捨ててない。大味になりがちの大作映画に、俳優陣の怪演でメリハリをつける、というのが彼の演出プランなのかもしれない。チーフ助監督についているのが橋本幸治で、この人、森谷監督のいいところも悪いところもそのまま引き継いでいるが、オーバーアクトをわざと引き出して映画に個性を持たせる、という力技をやらかすにはちと、監督自身のアクが不足していた。見ている最中に、もう一度『創』から電話。明日じゅうに最終回の原稿、入れることになる。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa