裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

15日

月曜日

道三、道三、いくさが強いのね

 そうよ国盗りもうまいのよ。朝7時半起き。朝食8時。黒パンサンド、イチゴ。テレビで小渕首相死去のニュースいろいろ。ゆうべ二朝庵で二次会やっているときにこのニュース流れて、さて“誰がスイッチ切った”で盛り上がった。SFマガジン残り一気に書き上げてメールする。

 ドリフト道場の鈴之助氏からメール、鶴岡は金曜日の私の日記読んで驚いた各編集部が原稿料早めに振り込んでくれたりして、なんとか助かりそうな具合だということである。援助感謝。さすがに東京でメリケン粉はインパクト十分であったと見える。大阪なら“普通やん”になるかもしれない。

 電話鳴ったので取ると“白山です!”との声、、白山雅一先生。おとついの軍歌会で、私が小野栄一の甥だと聞き、昨日小野ちゃんと電話したんだよ、と報告してクダサル。オノプロ時代、楽屋では何べんも会っているんだが、そう言えば甥だとは話さなかったな。軍歌会で鶴田浩二の話が出たとき先生が“あれ、本名は小野栄一というんだ”とおっしゃったんで、“ええ、うちの事務所によく、小包が間違って届きました”と言ったんで、オヤ、と思ったらしい。
「あのとき、甥だと言ってくれてれば、もっと小野ちゃんのことを褒めて、小野ちゃんはボクの後輩だが、ボクにとても出来ない美空ひばりの真似で一世を風靡した”と言ったんだけれど、知らなかったので言えなかったんだよ。すまないねえ」
 と、さすが律儀でいらっしゃる。あの会が大変に気にいった、すばらしい、と1時間ほどおつきあい。

 電話終わって急いで外へ出て、チャイナハウスで定食。パルコブックセンターに寄る。さしたる新刊なし。帰宅してみると催促電話数件。催促されるうちが花であると思わないといけません。エンターブレイン(旧アスキー)Nくんと打ち合わせ日程決める。沖縄の中笈氏からも電話。ゆうべの二次会で挨拶した加藤家の親戚で、沖縄でキジムナーという居酒屋をやっている人がいたけど、知ってる? と訊いたが、
「沖縄の居酒屋の三軒に一軒が“キジムナー”って名前です」
 とのこと。2時にまた出て、神南デンタルオフィス。奥歯に冠かぶせる。このあたりから空雲ってきて、また気圧ぐんと下がる。もう梅雨かな。

 帰って原稿書かねばならんのだが、気圧のせいで体の自由が効かなくなる。なんとかちょこちょことメモ程度のもの書き、4時、時間割で海拓舎Fくん。材料がないので世間話になる。もっとも、向こうもあまり今日は期待してなかったらしい。だんだんどこも私のペースを了解しはじめているな。帰ってしばらく死んだようになっている。創元双書『美食の歴史』(アントニー・ローリー著)寝ころびながら読了。監修の池上俊一氏の前書きの文章、まだ若い(私より二つ年上)のに実にエラそうなのにオドロく。エラそうと言えば、このあいだから大西信行『芸人もしくはエンターテイナー語録』を読み返して(二十年ぶり?)いるのだが、私はこの人の落語評論が大のキライだった。なんでこいつはこんなエラそうな口調で断定的にものを言うのだ、と落語ファン、というよりは落語家ファンとして私はフンガイした。何かにつけて自分の師匠の正岡容の名を持ち出すのも嫌味であったし、その師匠の正岡や安藤鶴夫などの、落語が血肉となっているからこそ許される暴言に比べ、近代演劇評の手法で伝統芸としての落語を裁断するそのインテリ的物言いが鼻についたのだ。
「落語における演出のあり方を、もう一度確認してみたく思う。(中略)歌舞伎もそうであったごとく、落語を演ずることがあまりに落語家まかせであり過ぎたことへの反省はうながしておきたいと考えるのである。(中略)落語家まかせであったためにしがってという弊害が生まれたのは確かだ。演者自身が演出者であることのために、なにかをやりたいためのはなしになってしまったという例が、歴然と生じているのである」
 などという高みから言うモノイイが、これは二十年たった今読み返してみても何ョ 言ってやんでえという反感を誘う。

 ・・・・・・しかしながら、今、自分がマンガだの映画だのに対し、その現場の人間でもないくせにああだこうだと評論めいたことを口にしているとき、そして、そのマンガや映画という世界を愛するが故に傍目八目で見える欠陥、不足点を指摘するとき、たぶん、欠点や不足もひッくるめてその世界を愛している人たちには、私がこの著者に感じたのと同じ、何ョ言ってやんでえ感を覚えるのだろうなあと思う。この著者が病気で目を悪くしたとき、常に辛口批評の対象にされていた金原亭馬生が“人の悪口ばかり書くから・・・・・・”と言ったそうである。顧みると、評論家なんて人種は、倒れたとき、現場の人間に喝采を叫ばれるくらいで丁度いいのかもしれない、とも思う。それにしても、あれだけ反発を感じた人の本なのに、
「枕詞の約束を重視することによっての束縛を強いられた和歌への、衰退への道を、落語がたどろうとするには、しあわせなことに落語は野卑で俗な、それだけにたくま しい生命をもった生きものだった」
 などという件りに、自分と同じモノイイを見つけたときの気分といったら。

 8時半、雨の中渋谷『九州』。馬刺し絶品。K子が撮った結婚式の写真を見せてもらう。やはり一般客と私含めた業界人客というのには、歴然とした差がある。どこがどうというのではないが、一種のクズレなのだな。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa