裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

日曜日

ナイタ ナイタ サクラ ガ ナイタ

 え、坊やどうしたい? 工場が火事で焼けて? 失業だって? お母ちゃんは病気お父ちゃんは戦死? それでこの万年筆を? うーん、泣けてくるねえ。どれ、その万年筆見せてごらん。おや、こりゃ泥で汚れちゃいるが高級品じゃないか。朝7時半起床。朝食、スモークト・サーモン、スイカ。午前中に週アス一本。原稿用紙5枚分1時間強というのはまあ、モノカキとして平均的ペースか。それから弁当作り。シャケ粕漬け焼きと、炒り豆腐。裏モノ会議室でアウトサイダーが自分の発言スタイルについて“そうか。アタマ悪く見られていたのか”と書き込んでいた。世の中にこれくらい“しかり”と言明できる問いかけもないであろう。

 風呂入り、茄子と茗荷の味噌汁、シャケで飯。立川昭二『江戸病草紙』など読み、少し気分が滅入る。これを読むと江戸パラダイス論などはまさに論外だよな。他に河原萬吉『猥談奇考』(昭和3年潮文閣)。江戸時代の奇談雑文集からの抜き書き本。兎園小説、甲子夜話、耳袋、白石紳書などの魅力は、その内容が整理されずに、まさに未開の宝の山としてそこに雑然としてあるトコロだろう。読む者は自分の頭の中で自分だけの知識大系をそこに編むことが出来るわけだ。南方熊楠などがブームなのもソコに大きな理由があるような気がする。21世紀の知のキーワードは“雑然”になることを断言するものである。

 幡ヶ谷チャイナハウスに電話、飲み会の人数確認。電話番号を書いたメモ帳に、京王幡ヶ谷駅の地下広場に掲げられている、“幡ヶ谷賛歌”の歌詞が書き留められていた。“幡ヶ谷駅前防災建築造成組合”作詞で、
「明けた明けた 旭光輝くあさ
 大きな希望はよみがえる幡ヶ谷の街
 新たな息吹さわやか
 はてしない大空のように」
 てな歌詞だが、何か幡ヶ谷というのは大災害から立ち直った街なのか?
 この歌、二番以降にも“陽光のもと宇宙にひらく友愛の情”とか“無限の彩 りに目覚めるその感情”とか、やたら大仰な歌詞が出てくる。幡ヶ谷じゃん。

 最近、知った名前の業界人の離婚情報が相次ぐが、さらに一人追加。書いてるもので中睦まじい様子をしらされているだけに、なんで、という気。私はめんどくさがりやだから離婚なんてクダクダしいもの、よほどのことがないと切り出せない。めんどくさい、というのは実は人生を平穏にすごすキーワードかも知れない。こまめな奴はすぐ別れる手続きに取り掛かれるから、それが現実になるのである。私の場合、結婚だって、相手が実家と縁を切っているから挨拶の必要もなく、結婚式もせず、子供も作らず、という条件に合致したからどうにか出来たようなものである。

 9時、夕食。ネギ鳥(鳥のカラ揚げネギソースがけ)、ジャコサラダ、ピータン豆腐。ジャコサラダに生のカブを用いるが、何か練物を思わせる歯触りで美味。こないだの『フジリコ』から送られたビデオでK子の回を見て大笑い。本人もはしゃぎ過ぎて、自著の宣伝を忘れていたそうだ。

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