14日
日曜日
風の谷の噺家
タイトルに意味はない。朝7時半までグッスリ眠る。“昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういうわけだ”という井上陽水の歌はあれはウソだな。朝食、黒パンに目玉焼きはさんで。サクランボ。母から電話。親父は好調のよう。足の手術以来、眠くて仕方ない、と言ったら、いい薬が今度出来て、ウチで売ろうと思っているんで効くかどうか試しにのんでごらん、とモルモットにされる。
午前中から『SFマガジン』書きにかかる。書庫の床を整理したので、資料取りにスイスイと奥まで入れる(一部だが)。これが快感。従って、ついいろんな資料を使用する、手間のかかる原稿になる。筆は進まないが、書いていてギュウギュウ内容を詰め込めるのはキモチいい。K子は今日の加藤礼次朗の結婚式のカメラマンを、やまだしげるさんと共同で頼まれているので、昼すぎにもう出かける。
昼は送ってきたカレーを食べる。青山にちょいと昨日の続きでフリマをのぞきに行く。今日は晴天で人出もすごい。紀ノ国屋で明日の朝食の材料を買って帰る。仕事続き。週アケに渡すから、と言った原稿いくつかあるのだが、土曜が軍歌会、日曜が結婚式というのをコロリと忘れていた。まただいぶ不義理をしなければならんなあ。
3時半、切り上げて支度し、タクシーで新宿南口。雨ポツリポツリ。山手線で高田馬場、そこからタクシーで早稲田リーガロイヤルホテル。リーガロイヤルは数年前、小倉のSF大会で使用したが、そこでのオープニングパーティの料理がセコかった、というイメージだったので、大したことのない田舎ホテルだろうとタカくくっていたら、やたら立派なホテルだったので仰天した。立派なホテルらしく、自動ドアも上品にゆっくり開く。時間ギリギリについたので急いで入ろうとして、鼻をしたたかぶつけてしばしうずくまる。
なんとか間に合う。式場前ロビーでビデオ係の中野監督とK子、それに伊藤伸平、阿部能丸、薮中博章、一本木蛮なんてメンツと久闊を辞す。コスプレか、でないときはボロボロのジーンズ姿以外の蛮ちゃんは初めて見るが、さすが、本質はいいとこのお嬢さんだけあって(髪の毛は真っ黄ぃ黄ぃだが)ドレスも似合う。ここらギョーカイ人は同じテーブル。ひと固まりにされているらしい。隣のテーブルには河崎実、実相寺昭雄といった面々、さらにその隣が日野日出志、御茶漬海苔、千之ナイフなどホラー系のお歴々。日野先生のところへ挨拶に回る。
今回の式場音楽、全部式次第のスケジュールに合わせて新郎が選曲、ダビングしたとか。最初に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ天地大乱』が流れ、新郎新婦入場のときは大河ドラマ『花神』のテーマ、お色直しからキャンドルサービスのときが『スター・ウォーズ』エンディング、両親に花束贈呈のときが『宇宙からのメッセージ』エメラリーダのテーマ、お開きで、最初親類たちが退出する際は天地真理『虹を渡って』で、オタク勢のときが『親父マン』というのがなかなか結構。こういうことができるなら、結婚式も悪くないな、と思った。
新郎のお母さんがもう大ハリキリで会場を仕切る。料理がフレンチのフルコースなので飲物も順序よくシャンパン、ビール、ワインと出てくるのだが、ボーイさんたちに“テーブルに全然飲物がわたってないじゃないの! どんどん出してよ!”と大声で文句を言い、“礼次朗の指示? そんなの聞かないでいいから、私の言うことを聞きなさいよ!”と強制して、テーブル上にビンを林立させる。お兄さん夫妻というのもオタクらしく、わざわざご夫婦で“週刊アスキー読ませてもらってます”と挨拶に来られた。
挨拶に来たと言えば、河崎実監督が“カラサワさん、ちょっと実相寺さんが”と言うので、挨拶にうかがおうと思ったら、なんとご本人がこっちのテーブルまで来られて、“『フィギュア王』の連載、いつも楽しみに読んでます。ご著書もファンで、いつも買わせてもらっております”とおっしゃったのには、生まれてから人怖じということをしたことのない私だが、大恐縮して汗ダクになった。怪獣世代にとってはどうすることもできない生理反応である。“こんど一緒に飲みましょう”と言われ、へへえっ、と平伏。中野監督は実相寺監督の方を撮影するときは、カメラの手前に仏像のオモチャなどをかかげ、それをナメて“実相寺風画面”を演出。当人にその仏像を見られ、“これは何?”と訊かれて往生していた。礼服がダブつくくらい痩せたが、
「カラサワさん、ショッカーの怪人で“東男”“京女”ってのはどうですかね」
などと、中味は変わらず。
その実相寺監督、担当編集者、蛮ちゃんなどオタクサイドのシャレのキツいスピーチと、一般客のピアノ演奏、黒田節、自作の祝い歌、パフィーの歌などのコントラストがまた珍。K子は昨日開田あやさんに借りた“寿”模様のイッセイミヤケのドレスで、写真撮影に会場を走り回っていた。私もバカチョンでいろいろ写す。やまださんを撮ったら、“うれしいなあ、撮られることってあまりないんですよ”とのこと。阿部能丸はなんと、ヤンマガの(以下、ちょっと削除)。大笑い。
式が終わって、なにしろ暑いのですぐ着替え、二次会に礼次朗の実家『三朝庵』まで。ここは創業明治時代で、二階で押川春浪が『海底軍艦』を寝転がって書いたとか731部隊の石井中将が若いころ下宿していたとかいう伝説がある店らしい。お兄さんの話だと、爺さんの代に、やたら食い物のウンチクを垂れる嫌味な客が来ていて、あとでそれが江戸川乱歩とわかった、などという話も。
二次会と言っても店は閉まってるのでただ酒とオツマミのみだったのが、お父さんが張り切ってしまい、みんなにソバを茹でてくれる。後から帰ってきたお母さんが、さらにまたソバを出す。酒もビールもどんどん注がれ、みんなも無下に辞退できず、いささか閉口。昔のお祝い事には“強い振舞”てのがあったそうだが、さすが老舗、伝統が残っている。お母さんは九州の人だとかで、“なかけん”“するとです”などというディープな博多弁も親戚のあいだで飛び交う。“しぇからしか”などもよく出るらしい。加藤礼次朗のあの性格は江戸っ子と博多っ子のカクテルであったか。お父さんの実の弟さんというのが来て、なぜかムッとした表情ですぐ帰ったのだが、それについてのお母さんの品評というのが、いや、ここでは書けないが笑った笑った。いささか狂騒的な状態のまま、11時、辞去。