裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

2日

火曜日

梅毒戦士サルバルサン

 タイトルに意味はない。朝6時半起き。今日8時半から室内改装がまた入るので早起き。朝食、バタロールにカニ足バタ炒め、イチゴ。急いで風呂入り、用意していたら時間通りK建設入り、壁紙張りにかかる。K子が猫を動物病院へ預けにいったり、私はのかしておいた棚の裏で今まで死んでいたアンテナ線などを活かすために、棚が戻る前にあわてて接続コード買いに東急ハンズへ走るなどのひと幕あり。

 11時、平塚くん来て、K子の男前の新たな箱作りなどしてくれる。さすがに手慣れてサクサクと1時間半ほどで終わり。連休あけくらいに井上くんと飲もうと計画。書き卸し用原稿、ちょこちょこ書く。昼はコンビニで天重弁当買って食う(工事終わるまで長く家をあけられない)。

 永山薫氏の日記が更新され、以前私の日記で情報願いを出しておいた『美童記』についてのことが(はっきり唐沢の名は出さないものの)記されている。永山氏と私は業界情報に詳しい人ならご案内の通りケンカ状態にあるのだが、そんな相手のためにでも自分の知っている情報はちゃんと提供するというあたり、この世代の人は律儀であるなあと素直に感心。いや、実は私の方でも最初に書名を聞いたとき、これっきゃないよなあ、と思っていたものの、探索願いに“歴史書”とあったので、そっちの方を探していたのです。で、永山氏の書き込み見て、やっぱこれかな、と探索依頼者の女性ライターの電話に、“あれって、ひょっとしてマンガ?”と聞いたら、“あ、そうですそうです”と言うではないか。先にマンガと何故言わない。と、言うわけでピンポンでした。私の書庫ちゅうにもある筈だがタダ仕事でそこまでしてやる義務はない(ここらへん、私の世代の怠惰さだな)ので、早稲田のマンガ図書館を紹介してやる。とまれ、これで肩の荷が降りた。重ねて永山薫氏には感謝いたします。

 永山氏との争いの件については、最初に氏から苦情が来た、氏の文章からの引用の不正確さに関してはその非を私の方でも認め、すでに謝罪済みである。そのあと、氏が謝罪を要求してきた“一派”という用語の使用について(文中、伊藤剛くんを“永山一派”と表記した)は、私の文章用法の中においても辞書的な意味においても何ら侮蔑的意味合いを有する言辞ではないこと、私が伊藤くんを現在永山氏の周辺グループに所属している者と認識していること自体は(いかに永山氏の認識と異なることがあろうとも)事実であること、表現法の幅については書き手の個性に委ねられるべきものであり、それが明らかな社会的不適当さを有する単語でない限り、他者の意思によって制限をそこに加えることは表現の自由を犯す行為であること、ましてや、その内容に対する永山氏の個人的不快表明を、直接私に対してのメールなり手紙なりでなく、発表媒体雑誌の誌面を使って行うなどということを一旦認めたら、雑誌における批評行為というものが成り立たなくなる(その規制事実をタテに、不快の表明を為にして執筆要求を行う輩が出てきた場合、雑誌作りが不可能になる)こと、そしてなに より、こちらからの個人的謝罪・事情説明などを一切拒否し、氏の反論に誌面を提供 する以外の方法を認めない、という強硬主張が出版業界の常識を無視したものであること等にかんがみ、弁護士を通した以外の苦情は受け付けない、と言う状態に現在立 ちいっている。

 永山氏のこの態度と、編集部に繰り返し長時間の電話をかけてくるなどの表明法をいまだに私は非常識なものと考えて腹を立てていることは事実である。ただし、それはそれとして、永山氏の業績を認めていることも事実だし(なにしろ『Billy』のころからの読者だ)、私とは方法論が違うにせよ、表現の自由に対し永山氏が行っている意思表明行動の勇気には率直に尊敬の念を抱くものだ。上記の件以外(まあこれだけで十分だろうけど)で永山氏には何ら含むところはないことを、ことのついでに記しておく。

 3時、時間割にて二見書房Y氏と打ち合わせ。持っていった短編に対し、Y氏、かなり不満そうな様子を示す。・・・・・・実は、その不満は私自身のものでもある。ブンガクを書くことに対するとまどいに、Y氏が背中をポンと押してくれた、ということは4月の日記にも書いたが、そのときに背中を押してくれたが故に、これまで書いて渡してある作品スタイルに、何か“既製の文学スタイルに日和っている”ような不満が出てしまったのである。こないだの日記に書いた、“もっと不吉なものを書くべき”という自戒はこのことを指している。そのことを正直に話すと、Y氏も実は唐沢さんにそのことを今日は言おうと思っていた、と、驚くべきシンクロを見せる。自分の書くべき文学とはナニカ論、かなりリキを入れて論じ合う。仕切なおしで、来週もう一度、その件を打ち合わせ、方針を再決定することを話す。

 帰って原稿書き、メールその他雑事多々。某出版社から“初めてお電話さしあげます。こちらT出版の××と申しますが”と電話。仕事かと思い、共通の知人の話題など出たあと、“実は唐沢なをきさんにお仕事を頼みたいので、電話番号を教えていただけませんか”。教えないわけではないが、いくら兄弟とはいえこれは作家のプライドを大いに傷つけるのでやめた方がよろしい。なをきクラスなら出版社同士で問い合わせればわかるだろうによぉ。その後、青林堂K氏。連載無理なら語り下ろし単行本 出してくれとのこと。考えると言っておく。

 7時、六本木に出てちょっと買い物。タクシーの運転手さん、女性だったが、今朝学生のバイクに追突されたこと、一カ月前も追突されて、それは金持ちのぼんぼんの外車で、こいつが世間知らずの馬鹿でどうしようもなかったこと、子供のPTAの仲間が宗教の勧誘をしてうるさいこと、田舎のお婆あちゃんが、やめてくれというのに子供に小遣いを送ってきて困ることなど、ハナからしまいまでグチりどおしでおもし ろかった。

 8時、花菜で夕食。若あゆてんぷら、野沢菜、とろおち、帰りにモリ。寒竹本醸造お代わりして、それほどでもないつもりだったが記憶アヤフヤなところを見るにかなり酔っ払った模様。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa