裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

26日

火曜日

まさおビンラディン

 まったく正夫はこの忙しいのにどこにもぐずりこんでいるんだか……。朝7時ちょいすぎ起床。雨音すでにカーテン閉めきった窓外で繁し。朝食9時。スイカとアスパ ラガススープ。

 昨日の『世界一〜』の視聴率データの話を書いたが、現金なものですぐ日テレから電話。
「先生のところで数字が〜!」
 と。向こうも意外だったのではないかな。次回収録日の件で問い合わせがくるが、自宅ではわからず、スケマネに連絡とってくれと言っておく。

 日記つけ、雨の中、出勤。昼は8番ラーメンのざる。居間の冷房が壊れて使えないと思っていたが、あまりに古くてそんなに効かないが、まあ暑くなくはなる、くらいには動くことが判明。それにしてもここもそろそろ設備など、耐用限界に近くなっているな。渋谷の便利さは捨てがたいので引っ越すにしてもここら近辺で探さずばなる まいが。

 雨、強く降ったり急にやんだり。当然のことながら体調思わしくなし。朝日新聞ベストセラー快読の原稿を書く。ベストセラーを書評しようとするとわれわれ文人はつい、否定に傾きがちである。嫉妬が半分と、大衆の好みなどに迎合しては乃公の面目に関わる、という意地が働くからである。百目鬼恭三郎氏の書評など、ベストセラー いじめで成り立っていた。

 確かに世間の傾向に無批判に迎合しては文人の存在意義はなくなるだろう。しかし新聞(に限らず)読書欄の役割というのは平たく言ってしまえば売れてる本の提灯持ちである。ベストセラーという存在のおかげで書籍市場はうるおい、その余慶でマイナーな文人の書くものも出版が成り立つ、というシステムがそこにはある(売れ筋の ものしか出版されない、というのは業界が不況だからだ)。

 本が売れない時代の文人の役割は、売れている本を否定することでなく、それがなぜ、大衆に受け入れられたかということを客観的に分析し、かつ、その受け入れに
「もっと多様な見方があってもいいのではないか」
 ということを示すことだと私は考える。

 最初に書いた原稿はそんな思いが前に出過ぎ、少しカラサワシュンイチ的にすぎたので半分ほど書き直し。ベストセラー書評というワクの役割に準拠したものに仕立てて、アガり。しかし、台風下の影響恐ろしいもので、この原稿(400字詰め1.8枚)書いただけで今日の仕事時間が終わってしまった。人差し指でキーボード打って いたわけでもなく、いったいナニを私はしていたのか、さっぱり記憶にない。

 5時半、雨の中中野へ。アニドウ上映会。6時半上映開始で、終わるのがだいたい9時半頃。六花マネから
「一番激しい時間帯に出かけるんですね」
 と呆れたような予定表が朝、届いていたな。

 もらったプログラムに『台風直撃のお化けアニメーション大会』とある。今朝あわててつくった、ではない、その時その時の状況にフレキシブルに合わせてプログラムの文章にも意を配る細やかなこころづか(書いていてイヤになったのでやめる)。

 ぎじんさんに某件のお礼。いつもの常連メンバー、まるさん、さざんかQさん、植木不等式さん、新潮社Hさんなどと雑談。さざんか氏からはこのあいだのトンデモ本大賞のレポート原稿のゲラを渡される。これがまたムチャクチャに出来がいい。

 植木氏からはさっき出したばかりの原稿のゲラを。上記で考えたようなこと、植木氏も感想として述べてくださり、ホッと胸をなで下ろす。クライアントと意識が一緒 だというのは心強い。なみきたかし氏例によって例のごとくロビーで大気炎、
「ここの会場(中野芸能小劇場)がなかなかとれなくなったんで頻繁に上映会ができなくなってンだ。だいたい、落語だの浪曲だの謡だのといったあってもなくてもドウデモいいようなもンが多すぎるからダメなンだ。世の中には、アニメの上映会だけありゃアいいンだ!」
 と独演会。
「カラサワの日記はだいたい長すぎる。おまけに最近は更新が遅れてて、ダメじゃないか」
「ミクシィで書いてンだよ。あんたマイミクになってんだから読めるじゃないか」
「読むよ、読ンでるよ、で、オレはその他にちゃんとオモテ日記も読んでンだ、長すぎてあれ読むだけで一日が終わるンだ。オレの人生の半分はカラサワの日記を読むこ とに費やされている!」
 これだけ“意味”とか“内容”というものと隔絶された言語というのは、もはや記号論とかの領域ではないかと時々思う。

 で、上映作品だが詳しくは本人の日記で。 http://mixi.jp/show_friend.pl?id=410570
 個人的に言うと、バート・ジレットの、B級プロダクションでのまったく評価されていない監督作品(1934)と、超有名プロダクションでの、そこでの短編の最高傑作のひとつとされている作品(1937)の両方を併映したのだが、どう見てもヌルい34年の作品の方に愛着を感じてしまう自分をいまさらに確認。でも、32年のアブ・アイワークス作品はやっぱりツマラナイので、これはヌルいだけでなく、やは りその中に何かこっちの琴線に響くものがあるのだろう。

『ベティ博士とハイド』(32)の、例によっての投げっぱなしな終わりが実に実に結構だったし、『バニーとモンスター』(46)のモンスターのデザイン、モスマン(66年から67年にかけてウエストバージニア州で目撃が多発したエイリアン・ア ニマル)のモデルはこれじゃないかと思ったり。

 台風を恐れてか、いつもより30分ほど早く終了。驚いたことに出たらすっきりと雨はやんでいた。植木不等式氏、まる氏、さざんかQ氏と四人で近くの上海・台湾料理の店に。カウンター形式だったが、中国人のおじさんが一人でやっていて、途中でやたら美人の女子大生ぽい客が一人で食べに来て、常連さんらしかったから、そういう客のつく知られざる店なのかも知れず、と思ったり。まあ、ちょいとイケる、という程度だったが、レバ揚げ、シャケの竜田揚げ、ジャガイモのピリ辛炒め、小籠包などいろいろ頼んでワイワイと楽しく無駄話。一切なんのしがらみもない雑談というのは心あらわれる。台風はちょいとかすったのみで太平洋上に抜けた模様。やや拍子抜 けの気分でタクシーで帰宅。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa