裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

31日

土曜日

開拓地がふさがらない

 我々の先祖伝来の土地を奪いとるのが開拓者魂だって? まったく呆れ返るぜ(ネイティブ・アメリカン一青年の声)。朝7時起床。今日はまた早い。朝食、久しぶりにオートミール。果物は変わらず、二十世紀。昨日、某出版社から振り込まれた印税が間違って私の個人口座に入ってしまったという連絡。振り込みナオシが必要だが、めんどくさいことである。おまけに9月から、私の契約していた銀行の支店がなくなり、別のところに統合される(まあ、そうなれば間違い振り込みもなくなろうが)。その手続きが考えただけでめんどくさい。K子は簡単だと言うが、私はああいう手続 きがなによりめんどくさくて嫌いな男なのである。

 昨日のクルー原稿をチェックしてメールする。なをきから送り返されてきたサイン本の礼もメールしておく。知人に是非、兄弟のサインをと頼まれた本なので、なをきの仕事場に送って、サインして返してくれと頼んでおいたもの。明日のと学会で、依頼者に渡すつもり。依頼者ドリトルなどと口走りながら、自分もサイン。。

 原稿書き。早めに二本アゲて後、すっかりとどこおっていた『愛のトンデモ本』の原稿。ネタはよし、どんどん書き進めるが、やはり土曜とは言え雑用(小包とか、なんだとか)多し。明日の例会用ブツの確認もしなければならず。昼は蕪の味噌汁、それと卵飯。この数日暑くて汗をかいて、塩気に飢えているのか、私には珍しく醤油をかけ足す。どこだったかの映画批評サイトで、『突入せよ! あさま山荘』で役所広司がメシに卵をかけてかきこむシーンの、醤油のかけ方が多すぎる、と文句を言っているところがあったのを思い出して失笑した。いや、その批評自体は大変まじめなものだったのだが、真面目すぎるが故に、何も醤油のかけ方まで、という印象だけが読後残ってしまう。そんなものである。

 途中で外出、明日の例会用の弁当など仕込む。帰宅してシソジュースなるものを飲みながら、休息がわりに日記まとめ。明日はもう9月なのである。8月も諸事多忙なことであった。イベントがらみのことで言えば、こないだ永瀬氏とも電話で話したのだが、われわれはまだそういうオタク関連イベントが一般的でない時代の、会場の椅子運びからやり始めたという経験があり、これが経験値にもなっており、またトラウマにもなっている。若い連中に投げればいいものを、つい、自分でやってしまい、さまざまに起きるトラブルも背負い込むのである。コミケの前日あたりの日記を見てみると、二次会の会場探しに、現地で打ち上げ一次会の会場から実際に自分で歩いて、コミケ疲れの人たちの足に負担にならぬ距離の店を選んでみたり、我ながらやりすぎである。で、私がクソ暑い中、そうやって予約してネットで通知して地図をコピーしてコミケで配ったその会場で酒を飲みながら、私を誹謗中傷する言を吐き散らかす人物もいるのである。考えてみればシュールな状況だ。これをセラヴィと笑ってやり過ごせば私も仏様とか言われるのだろうが、どうもそこまでは修行が足りない。したく もない。

 書き進めて全体の8割くらいまで行くが、残りの時間との兼ね合いでこちらは途中で一時ストップ、もう一本、Web現代の連載再開第一回を書き始める。日記などの資料を参考にしながら、バリバリと9枚。今日は十条和田屋での特撮ファンクラブGの飲み会なので、早めにアゲねばならん。6時には家を出なければと思っていたのだが、5時半にはアガり、やれうれしやと思ってメールしたら、一本、返信を書かねばならぬメールがあった。これを書いているうちに6時15分になってしまう。

 新宿南口から埼京線で十条。十条というとなにか東京の僻地、といった感があったが、いや早い々々。6時45分には会場に到着していた。すでに大にぎわい、中野稔氏、平山亨氏、中島春雄氏、田中文雄氏、中野昭慶氏。和田屋飲み会もすでに19年目という歴史を持つ。私が最初にここに参加させてもらったときは、潮健児さんのマネージャーとして、であった。それももう7年くらい前か。十条、小岩、新小岩など何故か東京の東に固まった場所で飲み会を続け、毎回のポスターも『獣人雪見酒』だの『吐く夫人の妖恋』だのといったわけのわからん傑作揃いで、『糖尿人間と酒男』というのが小岩の楊州飯店に張りっぱなしになっていたときは、翌日にそこでそのポスターを見た南條竹則氏がその作品『酒仙』に取り入れたくらいであった。今回のは何だったか、残念ながらメモしておかなかったので忘れた。あとで作者のおおいとしのぶくんに聞いておかねばならない。

 木村金太氏や福原鉄平氏に挨拶。ゲスト挨拶の中で中野稔氏が、“すでに19年目になり、こういう関係の仕事におつきになって名をあげている方もいらっしゃいますが、まず、見ているとみなさん儲かってらっしゃらない。好きなことをやっていては儲からないんです。いい仕事をして名をあげる、そっちの方に専念してください。私たちもオヤジ(円谷英二)や特撮が好きだったから、こうして貧乏なまま、みなさんと楽しく酒が飲めている”と言っていた。もちろん大意だが、以下みな大意で、中島さん“25の時に初めてゴジラの中に入ったときは、緊張しました。オヤジのスタッフはあのとき80人いたが、彼らがどんなに頑張っても、私が例えば腹をこわして休めば1カットも撮れないんですから。だから健康に留意しました。毎晩酒を飲んで。酒を飲んでるとみなさん、健康になります。乾杯”。平山さん“中島さんのゴジラに対抗して、ウチ(東映)でも巨大モノをやろうとしたけど、東映はぬいぐるみ役者をエキストラとして扱っていたから、もう芝居にもなんにもなりはしなかった。諦めて何か他のものを、と考えて、東映でも忍者ものなら東宝に太刀打ちできるから、と、現代版忍者を、と思いついたのが『仮面ライダー』だった。中島さんはそういう意味で仮面ライダーの間接的な生みの親であります。私も73で、いいかげんライダーみたいなものからは離れろと女房にも言われるが、どうも死ぬまで離れられないようですんで、この中で大会社の社長にでもなって、ひとつもう一度平山に作品を作らせようじゃないか、と思った人がいたらぜひ、声をかけてください。視聴率20パーセントは保証します。いや、昔からスポンサーの前ではそうハッタリをかますことにしているんです。そうすると、不思議に行ってしまうもんなんです”。田中さん“いま、ビデオで『惑星大戦争』を見たけれど、ああやって戦闘シーンだけつなぐとカッコいいねえ。あそこから始めればよかったんだ、あの映画は。最近はもっぱら架空戦記ばかり書いてますが、あれはいかにして太平洋戦争で日本を勝たせるか、というテーマの小説なんだが、調べれば調べるほど、あれは勝てる戦争ではなかったということがわかるばかりです。真珠湾は快挙だったが、やはり失敗だった。山本五十六さんは、西部劇をご覧になってなかったんだと思う。『駅馬車』のジョン・ウェインもそうだが、アメリカ人のヒーローは決して自分から先に手を出さない。先に相手に抜かしておいてから打つ。『駅馬車』の公開が昭和15年、その前年に山本さんは連合艦隊司令長官になっている。司令長官じゃ西部劇を見るのは無理か。痛恨でした”。中野昭慶氏“さっき田中文雄さんが『惑星大戦争』のことをおっしゃったが、あれで轟天の敵をどうしようか、なんかトゲトゲのウニみたいなのにしようか、と話し合っていたとき、この若きプロデューサー氏が持ってきたのがフラゼッタの画集で、そこに宇宙空間を飛ぶガレー船が載っていた。「SFはロマンでいかなくちゃ。科学設定うんぬんじゃないんです」というその言葉に私はしびれてね。当初は、宇宙船の中に奴隷船のタイコを絶対、響かせようと思ってた。まあ、これは実現せずによかったけど。宇宙空間で宇宙船が止まって対峙する、というのが非科学的だと言われたが、そういうこと言う人は『海賊ブラッド』ちゅう映画を見てない。あれで海賊船とフランス軍の軍艦が対峙するあのシーンの緊迫感、あれにオマージュをささげたんです。ただ、宇宙船が爆発して出る炎が赤い。あれだけはどうも。あれは後で稔ちゃんに色を消してもらうつもりだったんだが、時間がなくってそのまんまになってしまったんだね。まあ、SF映画にあまりうるさいことを言わないでください”。いずれも大拍手。

 ほりのぶゆきさんも来ていた。“考えてみれば、こうやって会うのはまだ二回目くらいなんですよね”と、不思議そうに言われる。なるほど、そうかも知れない。もっといろいろお話したかったが、私もほり氏も、サインなど頼まれて忙しく、それきりだったのが残念。今度、酒でもお誘いしてみよう。和気藹々だったが、9時に明日のこともあり辞去。新宿にもどり、タクシーで渋谷。花菜でK子と。サンマ塩焼き、トンポアキャという新製品。豚肉の冷しゃぶを、蒸したキャベツの葉で包み、韓国味噌をつけて食べるもの。生ビールと日本酒。

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