裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

水曜日

丘をギョエテ行こよ

 古賀メロディとはこれのことかとゲーテいい。朝7時半起床。天気晴朗、体調良好である。朝食、ドーナツ3ヶ。K子からダイエットに気をつけろと言われるが、朝のエネルギー補給に小さいドーナツ3ヶくらいは体にたまらぬ。その代わり、今朝は果物は省略。食ってエネルギー補給して、ちょっとめんどくさいメール書き込み。イベント関連のことである。イベントは大好き人間であるが、それをまとめるという立場を引き受けると、どうしてもそれに関連する人間関係の複雑なものも背負い込まねばならない。落ち込みがちな心をなんとか励まして長文のものを書き込んで送る。

 落ち込むと言えば今月は本当に懐に金がない。まあ、主なる理由は貯蓄に回す分を多くしなければならなくなったからなのだが、これも気分を落ち込ませる。仕事のみは先に十冊以上控えて、金が欲しければ早くやれとそれぞれの担当編集が口にこそ出さないが目で急かしている。とはいえ、何せこの業界、仕事先、金あと。夏のイベント連続でちょいといくつかの原稿が先のばしになったとたんに、ポッカリと収入に穴があいた。つらいことである。某社の本が原稿預けっぱなしで宙ぶらりん、これが非常に響いた。どうにかならんものか。

 落ち込んでばかりはいられず、急いで手紙を書く。大衆文化研究の先達であるK氏に、ちくま文庫の次の刊行物の後書きを書いてもらおうとお願いする手紙である。氏には別件でご厚意をいただいていることもあり、もっと早く礼状を出さねばならないのだが、こういうことでもないとなかなか書けない。困ったものだとは思うが、しかし、やっとこうして義理を果たせるというのは、便秘が解消したようなもので、書い ていていくぶん、気持ちも高まる。

 1時、時間割、河出書房Aくん。実にうれしそうな表情で、画集『藤野一友=中川彩子作品集』を渡してくれる。装丁が実に凝っていて、イコールで結ばれた藤野、中川の名前を透かしてみると、それぞれの字の背後にもう一つの名前が重なって見える趣向になっている。3400円と値は張る本だが、持っていて家宝になる一冊であると、これはお勧め。畸人研究の今さんの解説も藤野の周辺の雰囲気を伝聞の中から見事に甦らせていて、肩肘張らずにいい感じである。それに比べると、私の序文はまた悪い癖で、美術アカデミズムに毒づいているのが大人げない、苦笑ものかも知れぬ。とはいえ、オビ表4には、その私の序文から文章が大胆に採られている。河出もそういう権威主義に、ガチンコで喧嘩を売る心づもりでいるらしい。これは頼もしい。

 実際問題として、シュールレアリズムの藤野一友と、SM幻想画の中川彩子が同一人物であると正式に認め、その双方の絵を一本の中に同時に収録した画集が刊行されるまで、本人の没後二十年を要した。二科展にもたびたび出品した正当な画家の作品と、SM画(しかも挿絵)を並べて本に仕立てるなど、これまでの美術界の常識では許し難いことであったのである(しかし、コレクターの間では、実は藤野作品より中川作品の方がずっと、人気があった。研究家や評論家より、収集家の方がきちんとものを見ていたのである)。同じシュールレアリスティックでも理知的・未来的画風の藤野名義作品と、幻想的・中世的画風の中川名義作品を並べて見ることで初めて、この隠れた天才の持っていた世界の広さが、やっとパースペクティブを持って認識されるだろう。

 私の蔵書から採られた中川作品、若干原本より濃淡のアクセントが強まっている感じはするが、まあ、よくコピーでこれだけの解像度を出せた、と感心する。頁の継ぎ目のところも、最近はコンピューターで1ミリ単位で補修できるとのこと。ただ、最終的に継ぎ目や原本の頁による色変わりは残したようだ。そこまで印刷所が手を入れると、これは改変にあたる、という判断だろう。難しいところだ。しかし、本を一旦バラすことを許したおかげで、画集のタイトルにもなっている鳥の姿の女性の緊縛画の股間の、陰毛の代わりに羽が描き込まれている部分(原本ではちょうどここが境目になっていた)の描写が判然とした。

 Aくんと二人、いささか興奮気味に今後の展開を打ち合わせする。話がポンポンと飛んで錯綜し、四つくらいの企画がひとつの話の中で同時進行し、コンガラかって、途中で“いっぺん整理しましょう”と私がいい、メモをとってもらうほどだった。その前の夢ムックの澁澤特集、そしてこの画集という発展にかんがみ(考えてみれば、中川彩子について文章を書いてくださいと依頼が来てから、まだ四ヶ月しかたっていないのに、もう、人生のひとつの夢であった中川の画集が完成して目の前にある、というのが信じられない)。社内でいま、またカラサワの企画で行こうという空気が高まっているので、この勢いで通してしまいましょう、とAくん鼻息荒し。現在私の出している企画は二つ(それをさらに割って四つ)あるのだが、年内のものとして、そのうちのひとつをやりましょう、と担当レベルでGOサインが出る。SM官能画に並ぶ、もうひとつの、陽の当たらない美術の流れに目を向けるもの。この二つがカタチになって揃えば、私の中で、何か長年うずまいてきた大きな環が(ウルトラQのオー プニングのように)ドン、と閉じるような気がする。

 Aくんと別れ、チャーリーハウスの隣のソバ屋でカレー南蛮。ここのツユはあまりに甘くて閉口なのだが、カレーものはまあ、食える。1000円したのに驚いたが。帰宅して、さっきの企画について、協力要請者向けのメールを書く。しかし、これでまた、先行きの予定本が増えたなあ。手をつけているものがさっぱり、完成していないというのに。

 3時、今度は東武ホテルロビー。出版社『メタローグ』の『レコレコ』編集部Kさん。隔月刊のこの文芸誌は毎回“街”特集をやっていて、今回は神保町特集だそうで私の神保町歩き記を掲載したいという。いくつか注文を出す。

 また仕事場に戻り、書き物をしたり、電話したり。なをきに電話、ちょっと用事を頼み、それから雑談。メカゴジラは首が回って初めてメカゴジラだ、というような話で、まあそれだけをとれば単なるオタ話なのだが、そこにかかわって、モノを見る位置の取り方、とか、世代別アイデンティティの確保の仕方、などというポイントにまで、そこはまあ、唐沢商会であるから、話題は深くもぐる。

 6時、渋谷の街へ。西武デパート地下で買い物。秋の気配濃厚なれど、このあたりはやはりまだムンとする。気候ばかりでなく、人の様子も。帰宅してメールチェックをする。いくつか気がかりだったことが解決した報告あり、心がパッと、という程ではないがほんわりと明るくなった。朝のイベントの件はまだまだ。

 8時半、食事の支度にかかり、9時晩飯。アナゴと豆腐の関西風煮物、サンマ塩焼き、サンマ梅煮。豚肉とモヤシの蒸しもの。だだちゃ豆。サンマは安いのを買ったらほとんど脂なし。まあ、その分煮物はうまくいった。ビデオで『必殺! ブラウン館の怪人たち』。パロディ的色合いが強く、やれ時代設定も無茶苦茶なトンデモ時代劇だ、やれ散漫な駄作だとワルクチを聞かされ続けていたので敬遠して今まで見ないできたのだが、見てみると意外や脚本もしっかりしていて、映画ならではの大仕掛けも配され、多彩なゲストを全編に散りばめて、それこそ狸御殿やひばり・チエミものの沢島忠映画などバラエティ時代劇の伝統を継ぐ、結構な娯楽大作だった。徳川家康が江戸幕府開設時、京に残した最終兵器の秘密をめぐって、江戸を追われた仕事人一党と沖田浩之・塩澤ときらその秘密を代々守る黒谷屋敷の住人たち、それに幕府打倒を策する武闘派公家の笑福亭鶴瓶一派、悪徳商人金田龍之介とブラウン館の異人一味、加えて新撰組(土方歳三が西川のりお、沖田総司が明石家さんま)の五組の集団がそれぞれの思惑で複雑にからみあい、さらにその間を単独行動の藤田まこと、謎の不動産屋中井貴恵、伊賀のさわやか青春忍者カップル柏原芳恵と森田健作がウロチョロする。吉本喜劇人たちと藤田まこととのからみはまったく『てなもんや三度笠』の再現だし、アーネスト・サトウ役のケント・ギルバートが実はチャック・ウィルソンより胸毛が濃いことを発見して驚いたり、黒谷一族がらみのエピソードのオチが司馬遼太郎の『ああ、大砲』だったりして、まず飽きずに(最後の異人館での対決でそれまでのテンポが逆にダレるのが難点だが)見られる。必殺ファンの間ではこの映画は必殺シリーズの歴史から消してしまおう、という意見もあるそうであるが、さりとは狭量な。と、いうより、若い必殺ファンたちは日本にバラエティ時代劇、という伝統があることを知らないのだろうなあ、と思った。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa