裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

28日

水曜日

君マチズモ

 諦めましょう諦めましょう私はフェミニスト。朝8時起床。何故か軍隊に入って、そこでものを食いまくる夢を見た。私のトラウママンガのひとつに、田河水泡の『のらくろ』で、のらくろが胃拡張になって無闇にものを食べたがり、汁粉の食いくらをやって入院し、そこでも腹が減って病院の池の緋鯉を釣って焼いて同室の奴と一緒にぺろりと食ってしまう、というエピソードがある。それが出たか? 朝食、K子にはモヤシ炒め、私はサバのスモーク。梨を半分づつ。

 編集部とメールやりとり。早川書房から、全ての承認が通ったから『キッチュワールド事典(妄想通)』を早くまとめろ、と催促。タイトルの“事典”というのが誤解を招かないか、という意見が会議で出たそうなので、“ガイド”ではどうか、という案をメールする。あと、こういう企画はどうですかと打診したもの、すでにA氏、指 示して動いているそうである。さすが。

 今日は講談社の原稿をアゲて、と思っていたら電話。“永瀬です〜ふにゃふにゃ”と。調子悪そうな声だったので体調を気遣おうとしたら、逆に励まされてしまった。あれの件これの件、フリーの職業という立場の“板子一枚下は地獄”的状況をお互いに傷を舐め合うように話す。ちょうど永瀬氏には原稿依頼をしようと思っていたところだったので、その話もする。品田氏といい永瀬氏といい、私にはどうもそういうところがあって、何か人を集めてモノを作ろうというときには、自然にそういう人たちの方からコンタクトをとってくる。

 久しぶりに永瀬唯節を堪能して楽しかったが、しかし午前11時半から2時半まで3時間。今日一日の予定が全部狂う。昼は昨日寿司屋でもらった稲荷寿司6ヶ。ネギとモヤシの炒めたのもつけてビタミンを補う。稲荷寿司と言っても6ヶ一気に食うと腹が苦しくなり(さては今朝の夢はこの前兆なりしよな)、手近の本を持って横になり、しばらく休む。本は加太こうじ『言葉は世につれ』(創拓社、1991年)だったが、著者の雑学的知識の展示会という感の本。展示会というよりは香具師がお祭りで台の上にものを並べ立てているという感じがある、と言っては著者に失礼か。しかし、ここまで立て並べられると、どうもコケオドカシという感が否めないのである。日本語における七五調の伝統について話していて、歌舞伎の台詞の話から声色の話になるとつい、戦前の流しの声色屋の話から古川ロッパの声帯模写の説明、また声色屋のことでしばし、という脱線がまる三ページも続く。大学での講義ならこういう脱線は喜ばれるだろうが、本の中では“七五調の話はどうなるんだ”と、読んでいて心配になる。枝葉の話は別に項目を分けるとかいう、配列の工夫がない。これは著者より編集者の責任か。中に漢語についての話で、
「江戸時代後期に、漢語の〈残念閔子騫〉という言葉が流行した。新しがり屋の知ったかぶりが使ったのだが、戯作者式亭三馬はそれを『浮世床』のなかで、日本語もろくにわからないのに、気取って新しがっているとして笑いものにしている」
 とあるが、残念閔子騫(ざんねんびんしけん)は漢語などではない。閔子騫は孔子十傑と言われた高弟の一人で、顔淵、冉伯牛などと共に、徳行に秀でていた。孔子が弟子たちの優れているところを指摘した論語の先進編の“徳行顔淵閔子騫(徳行で優れているのは顔淵、閔子騫……)”というくだりの“がんえんびんしけん”をしゃれて江戸っ子がエエ、残念というときに、“ざんねん閔子騫”と言った、つまりはただのダジャレである。そのことについての言及がないことからみて、著者は本当に残念閔子騫を漢語だと思っていたフシがある。私なども第一の実例であるが、市井の町人学者にはときおり、こういうポカがあるものだ。独学故のオリジナリティや努力はあるが、同窓の連中と切磋琢磨して勘違いなどをチェックするシステムの中にいなかったため、基本的な部分に知識の大きな欠落があったりするのである。

 5時半、散歩がてら青山に出かけ、買い物。夏物一掃で安かったジュース類などまとめ買いし、荷物が二つ、無闇に重くなったのでタクシー使う。やたらに人が出て、道が込み合っていた。6時半、また家を出て半蔵門線で神保町。アスペクトから年末に出る、この裏モノ日記本(解説、裏話つき)の打ち合わせを兼ねた接待。K子と岩 波ホールの前で待ち合わせ、すずらん通りの『ろしあ亭』。

 いつもの担当二人と、アスペクト社長のT氏。挨拶して、さて、という感じでT氏が持ち出したのは、ちょっと意外な書き下ろしの企画。実はアスペクト、これからの進出分野として……を考えており、その分野でのかつての……のような、総合的ガイドブックがいま、ないということで、それをサブカルの視点から語れる私に書いてもらいたい、ということだった。T社長はこの日記の愛読者であり、……についての私の言及などを読んで思いついたらしい。これまで、本の企画というのは大抵、どんなものでも“まあ、これがオレに来るのは順当というところだろう”という性質のものばかり(露骨な企画先行本は除く)だったが、これは実にどうも、可能性や適性は言われてみると、と思わないでもないが、意外極まる人選という感じでオドロイた。しかしまあ、準備期間もかなり十分にはとれるらしいので、ひとつやってみましょう、と返事をしておく。

 ろしあ亭のコース、前菜(ザクースカ)では、オームリという魚がおいしかった。鱒のような風味だが鱒のような赤身ではなく、透明に近い白身。脂が適度に乗っていて、舌の上でとろける感触がすばらしい。日本名を聞いたらシナノマスとか言うそうである(もうちょっと長かった気もする)。ここはこれに限らず魚料理の魚はほとんど長野県佐久地方から生きたまま取り寄せているとのことで、特別料理のメニューを観たら鯉料理があった。鯉の岩塩焼き、という要予約料理にソソられるものを感じてしまった。今度、ぜひこれを食ってやろう。

 後はボルシチ、壺焼きキノコ、シュシャリクなど、どれもウクライナ地方風の味つけで私風味。ウクライナワインも飲んでいい心持ちになりながら、日記本の打ち合わせ。取捨選択をK田くん、任されていささかメゲているような雰囲気。K子がハッパをかけていた。年末に、村崎さんとの対談集2と合わせて刊行予定。だとすると、早いうちに作業にかからねばなるまい。T社長から谷沢永一氏の鬱ばなしなどを聞く。10時半、解散。ここのシェフさんとちょっと話をする。いま、シェフを二名、グルジア地方に派遣して勉強させているんだとか。タクシーで帰宅、道新のゲラチェックのみ返送して、すぐ就寝。

・この日記を本にまとめるにあたっては、どういう形にするかの選択肢が大変に幅広く、正直言って、私自身、どうすれば一番いいか、の良案がない。『古川ロッパ昭和日記』のように大部な本にするか、あるいは中公文庫の夢声戦争日記のように、一部分のみを引き抜いてまとめるか。“こうした本にしてほしい”というご意見のある方は、Eメール:info@aspect.co.jpまで“『裏モノ日記』形式について”でご意見を。

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