裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

火曜日

ぼくドライボーン

 Ezekiel connected dem Draemones。朝、7時半起床。多少ゆうべの酒、残っていて調子悪し。朝食、シーフードサラダにトマト、それとドーナツ一ヶ。二十世紀梨二人で一ヶ。昨日とはうって変わった好天気なれど、風やたらあり。われわれ帽子人には困った日である。河出書房Aさんから電話、例の中川彩子本、完成したので明日、受け渡しに伺う、とのこと。こちらからもお願いの件あるのでちょうどよかった。Aさんの姓はひらがなで書くと“あじま”である。声に出すとアクセントが違うが、メモに書きつける場合、急いでいてひらがなで“あじま”と書いてあるのを見ると、どうも下に“しでお”とつけたくなる。

 K子に安達Oさん文案の、『堪能倶楽部』売り込み文をプリントアウトして渡す。夏コミで作った同人誌類、お知らせのところにも書いてあるが、『ジャック・チックの妖しい世界』『堪能倶楽部』ともに、このサイトで通販の申込みが出来る。ぜひお早めにお買い求めを。ジャック・チック本はタコシェ、まんだらけにも置いてもらえることになった。じゃんくまうすさんにも置いてもらう予定。じゃんくさんと言えば16日の日記のタイトル“みんなで渡れば北区内”のサブコピー“赤羽の開かずの踏切”に対し、K子を通してのメールで、学生のころ十条に住んでいて、赤羽でバイトをしていたので、あの開かずの踏切をいつも渡っていた、懐かしい、とコメントしてくれた。……実は私、赤羽に本当に開かずの踏切があったなんてこと、知らなかったのである。みんなで渡れば、の駄洒落を思いついて、北区なら赤羽だろう、と、いいかげんに考えてサブコピーをつけたのであった。まさか本当に開かずの踏切が赤羽に あって、知り合いがずっとそこを利用していたとは。

 気温は高いが秋の気配濃厚。風呂から上がっても水を欲しない。外に出てみると、陽射しは相変わらずカッと暑いが、日陰は涼しく、風がまことにさわやかである。散歩したくなり、帽子飛ばされないように用心しながら、青山まで。やはりちょっと汗になってしまった。紀ノ国屋で買い物、大荷物になり帰りはタクシー。家で昼飯。アサリの剥き身とネギを味噌仕立ての汁にして、ご飯にぶっかけて食べる“深川飯”を試みる。あっさり仕立てにしたが、もともと下品が身上の食い物なんだから、どぎつ く濃いめにした方がよかったかも。

『小松原一男アニメーション画集』(これが正式な書名だった)、じっくりと読了。私の中の小松原ヒロインは何といっても『グレンダイザー』の牧場ひかる。地味もいいところの徹底した不人気キャラで、番組のファンから“二度と出すな、出したら殺す”と脅迫状が来たらしい。あまりのことにテコ入れで後半、登場してきた荒木伸吾キャラのマリアに食われっぱなしではあったが、マリアのような“アニメのために作られたキャラ”ではない、実際に抱きしめたら髪の香りが嗅げそうな、そんな雰囲気があったヒロインだった。そこらが、二次元キャラの虚構性を愛するアニメオタクの感性に合わなかったんだろう。演出家の勝間田具治が彼女をベタ褒めして、“いい意味での、韓国人の女性の表情”をしている、と言っているのだが、そうそう、と膝は 打たぬものの、なるほど、と首肯してしまった。

 その勝間田の発言は、上映会で画集と一緒についてきた『Komat−chan The Great』という冊子の中の座談会採録(どこに載ったものだか初出記録がない)にあったものだが、ここで、“あえてアラさがしを”という編集部からの誘い水に勝間田は、小松原を“職人に徹しているだけに、作家精神が欠落している。そのために自分本来のキャラクターをまだ持っていない。また、それを追求しようともしないでしょう”と指摘し、それをうけてりん・たろうが、“商業主義とはそういうもんだと思う。かりに、小松ちゃんがオリジナルの絵を持っていても、オレは見たくない”と言い、小松原は“ぼくも見せたくないです。こわい。やっぱり、ある程度のお膳立ての中から、自分のヒラメキを発揮できるような状況にいたいですね”と答えている。確かに、クリエイターとしての小松原一男を語る際に、最も大きな特長がその仕事の驚くべき幅の広さ(メイプルタウン物語からハーロック、デビルマン、ナウシカまで)であり、それが同時に小松原一男という人を非常に語りにくくしていることは確かである。大体、普通に考えて永井豪と松本零士と宮崎駿のキャラを全部描けて動かせる人がいる、などということはまず、想像すらできない。しかし、そういう人が実際にいたのだから非常に困るのである。職人の技を的確に評価する言葉と方法論は、日本ではまだまだ確立しているとは言えないのだ。しかし、逆にそれだからこそ、荒木伸吾・金田伊功などという際だった個性の持ち主が、その個性を武器に一頭地を抜いた作品群を生み出す、あの豊穣にして膨大なアニメ文化のベースを、小松原一男は作り得たのであろうと思う。追悼イラストの中で『ロードス島戦記』の結城信輝(私より5つ下)が、“僕等は皆あなたの息子です”と書いていた。まさに、彼の描くタイガーマスクに、デビルマンに、ゲッターロボに、デュークフリードに、われわれの世代は育てられた。われわれはみな、小松原一男が館長を務める『ちびっこハウス』の子供たちだったのである。

 Web現代Yくんから電話、好美のぼる本オビの件。それから発売(10月初旬)に合わせ、ロフトその他でイベントをやりたい、というので、すぐ電話数件。オビの文章は今をときめく山咲トオルセンセイに直に電話して、快諾を得る。初めて会ったとき(7年前の地下鉄サリン事件当夜)貰った名刺の住所・電話と同じだったので、“稼いでいるからもっといいとこに引っ越したかと思った”と言ったら“ウウン、まだアタシなんか駆け出しアイドルとおンなしギャラで、もうド貧乏よ〜!”とのことで、それでも“こんなこと、一生で一回あるかないかだから、とにかく行くとこまで行ってみる”と決意だけはあるようだ。イベントの件は斎藤さんに電話して、ちょいと無理を言って押し込ませてもらう。

 3時、矢沢企画Oさん(もと風塵舎)来宅。東武ホテルで待ち合わせのはずが、なぜかマンションまで来た。老人ケアとリハビリのための書籍の企画について、このあいだ相談を受け、どこかこういうものに興味を持ってくれるところがないか、というおたずねである。私はそういうツテはまるで知らないが、知り合いの某くんが、そのテの企画に興味を持っている会社などをいろいろ知っているとのことで、その確認はとっているので、そっちに相談を持ちかけては、と、連絡先を書いて渡す。Oさんが帰ったあと、その件で今夜あたり連絡あると思うから、と某くんの事務所に電話をかけたが、“おかけになった電話番号は、現在端末機がつながっておりません”とアナウンスが流れて、ちょっとあせる。メール打ったら、すぐ返事が来て、業務用の電話 の交換機がちょっとハグっていたとのこと。ひと安心。

 そのあと原稿、メール、やたらめたら。疲れてちょいと横になったら、8時まで寝てしまった。涼しくなって寝やすい気候になったためだろう。いかんいかん。すぐ、夕食の準備。サトイモのふかしたのにクルミ醤油かけたもの、大根とあぶらげの湯豆腐、カツオ刺身。ビデオで『怪談鬼火の沼』(1963)。まあ、ごくフツーの怪談だと思って見ているとアッと驚かされる……という、『幽霊小判』にも通ずるサスペンススリラー。こういう映画に需要がちゃんとあった時代はいいなあ。この当時はまだ城健三郎の若山富三郎もそのキャラクターをよくわかって使っている意外性のあるキャスティングだし、お手の物の不良青年役小林勝彦、ちょっと陰のある白塗りの丹羽又三郎、晩年とまるで変わらないぞ、という感じの浦辺粂子、ちゃんと漫才をやってみせてくれる中田ダイマル・ラケットなど地味だがキャスティングがいい。中でもワルなのになかなか殺されない悪徳お茶坊主役の沢村宗之助が、全編にわたってその憎々しげな顔と体躯を目一杯使っての活躍。弟の伊藤雄之助とはまったくタイプが違うが、兄弟揃って日本映画きっての曲者脇役とは、濃い血筋ですなあ。

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