裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

30日

金曜日

カンツォネ節

 沖のカモメとイタリア人はどこで死ぬやら果てるやら、カンツォネ。朝8時起き。寝坊々々。屈託して寝込んだあしたが実に目覚めがいいというのも何じゃやら。朝食は冷凍庫にチキンハンバーグの小が2ヶ、残っていたのでトーストにはさんで。新聞に少年チャンピオンの連載漫画家、伯林氏にネットでからんでいた男(高校時代の友人)に慰謝料550万支払えという判決、の記事。この550万という額は原告の訴状で請求された額と同額で、つまりは満額判決。名誉毀損というのは当事者と第三者では受け取り方が異なるもので、まず請求が満額認められるなんてことはないのであるが、この件に関しては被告がどうも徹底してどうしようもない奴であったらしく、この異例の判決となった模様。日本裁判史に残ることになった。そう言えば、いつぞや私を訴えた人物も、周囲に対し“自分は完全勝訴する”とのたまっていたという。そのときはそれを聞いて(彼から聞いた当人が話してくれた)、“こんな、裁判のシステム上あり得ないことを口走るなんて、完全に妄想がかっているなあ、可哀想に”と思ったものだが、こうやってその実例が出てしまうと、あながち妄想とも言いきれない。いや、向後この判決を根拠に、新に別な妄想を発生させる人々もいるだろうけれど。

 ゆうべのメールに関して、もう一度書き込み。これがこの件では最後のものになるだろう(なってほしい)。善意のヒトでいようと心がけてワリを食って自分の精神痛めている状態にはもうもう、ハッキリ言って耐えられない。こちらの精神的健康がおびやかされる。シャワー浴びていたら電話、今日の神保町取材の担当編集者K氏からで、個人的なアクシデントで自分が行かれなくなったので、別のものがつきます、とのこと。唇、こないだろしあ亭で酔っぱらってしゃべりまくったので上唇の端を噛んでしまい、そこが痛む。小鼻の脇に小さな吹き出物も出来ており、写真撮られるとい うのに、とちょっとメゲる。

 1時、半蔵門線で神保町まで。待ち合わせは1時半なのだが、その前にワンダー3さんへ行き、取材の申込みをする。連絡先を書いたメモをどこかに無くしてしまったので電話でなく、直接ということになった。先に買い物したせいか(カバヤ名作文庫『怪人二面相』。どういうタイトルだ、と思って中を見たら、『ジキル博士とハイド氏』だった。その発想に大笑いして購入してしまう)、快くOKしていただいたのは 有り難かった。

 そこから岩波ホール前にとって返し、編集の女性のYさんと落ち合って挨拶。今日は陽射しが盛夏に戻ったよう。みんなが“もう夏が過ぎてしまった、惜しい惜しい”などと言っているんで、そんなに言うなら、と帰ってきたような案配。飲み物が欲しいな、と思ってさっき地下鉄の出口をあがったら、ちょうどそこでサントリーが新製品のグレープフルーツ飲料を無料配布していたのが嬉しかった。

 まず、彼女を引き連れて教育会館の古書市まで。専大前交差点を曲がったところで“ああ、よかった、確認しないで来たけれど、今日は古書展、やってますね”と言ったら、“なんでこんなところからそれがわかるんですか!”と驚嘆される。なに、大きめの“開催中”のカンバンが目に入っただけ。今日はぐろりや会なのでかなり棚揃えは黒っぽい。Yさん、半ば呆れながら“……あの、女性がこれだけの人数がいて私一人なんですけど”と少々ヒキ気味である。この会は仕方がない。カタい品揃えなのであまり私の買うようなものもないが、それでもカストリが数冊、相場よりは安い値であった。それから、ワンダー3さんを再訪。写真撮影。非常に協力的なのは、新しい書店であるからか。さらに大雲堂。こちらはどうぞお勝手に、という態度。常連でこちらの顔も名も知っているだろうに、このソッケなさが老舗らしい。

 あまり金を使うつもりもなかったが、数万、使ってしまう。Yさんと別れ、白山通りで冷やしタヌキを立ち食いで腹に入れ、帰宅。少々休むつもりが休まずいろいろと仕事。使った分は働けという神の声。講談社Web現代、連載再開プレ用の原稿を一本、アゲて6時にメール。

 それから月曜が〆切の『クルー』原稿。日曜がと学会例会なので、今日のうちにと思い、アゲる。ネタ探しの資料本、使えるモノ使えないモノ、選別しながら読んでいると面白くなってとまらない。玉川一郎『たべもの世相史・東京』(1976年、毎日新聞社)に、カキフライのことを“カキフ”と省略する女が出てきて、それが『失われた時を求めて』のマドレーヌ的な働きをし、学生時代に意識が一気にさかのぼってしまった。あの当時阿佐ヶ谷にあった、外食券食堂時代の店舗をそのまま使っているんじゃないかというような、カウンター数席のみの飯屋『だるま屋』(もうないだろうなア)で、こういう言い方で注文していた若い女性客がいたことを唐突に思い出したのである。あの店の奥にはいつも決まってもう80に近い年配の、お召しの着流しの上にトンビを羽織った“先生”と店員に呼ばれている爺さんがいて、片足なのだが松葉杖をついて通っていた。家族もちゃんといるらしいのにここで食事をするのが好きと見えて、店員と雑談をしながら焼き魚定食などを食い、時折、足が痛んで立ち上がれなくなると店員が家族に電話して迎えに来てもらっていた。爺さんはそれを大変に嫌がり、“大丈夫、大丈夫”と言いながら立ち上がろうとし、しかし隻脚では立ち上がれず、何度も木の丸椅子にストンと落っこちるように倒れ込み、やがて迎えにきた、大嫌いなのであろう嫁の背におぶさって、ぶつぶつ言いながら帰っていった。……あのころの私は、天地間に身の置き所がないような不安に四六時中襲われて、自殺用の睡眠薬などを常に懐中していた境遇だったが、しかし、今よりもいろんなもの を“見て”過ごせていたのかもしれない。

 原稿書き出す。途中で構成案が変わり、大半を書き換え。もっとも、面白くなったのでよし。書き上げたのが8時15分前。読み返してチェックの時間がないので、送付は明日のことにする。一気に書いたものは大丈夫だが、途中で構成を変えたものは読み返さないと、前後でないようが矛盾を起こしてしまっている可能性がある。

 タクシーで参宮橋。講談社Yくんと好美のぼる本最終打ち合わせ。15日のトークのことも話す。紙芝居で行くべきか。その晩のエロトークのネタも考えずばならず、いろいろ雑用多し。ワイン、K子が講談社のオゴリだから、と高いの(まあ、クリクリの価格は普通の店の半分だが)を頼む。二本のワインを三人で空けて、K子意気軒昂、私を含め周囲をナデ斬りにする。私は避難してケンさん絵里さんと雑談。『堪能倶楽部』、みんな手にとってながめていくが、1500円と聞くとやはり引くそうである。ルンピア、自家製パスタ、羊のローストなどいつもの。蒸し野菜の中のエリンギが甘くて実に美味。このキノコは蒸すとこんなにおいしくなるものか。11時帰宅して、クルーの原稿もう一度チェックするが、酔眼でのチェックはアテにならず。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa