裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

12日

月曜日

ルネ・バンデール・ワタナベ

 キャプテン・ウルトラ、貴様の今日の運勢は悪いぞ! ぐっすり寝たせいか、5時に目が覚める。寝床で開田さんの同人誌『特撮が来た4』GMK特集号を読む。私の原稿はあれだけ何回もチェックしたのに誤字、言葉の誤用、代名詞のあいまい、主語と述語の関係の不明瞭、単語選択のミスなどがぼろぼろ目について、落ち込んでしまう。読みつつウトウト。起きがけに、うら寂れた田舎町で漁師さんたちと話しているうちに、彼らが戦時中に大陸で大量虐殺をしてきた戦犯たちの、世をあざむいて隠れている仮の姿だということに気がついて、愕然とするという夢を見た。起きたらまだ6時。いくつか仕事関係のメールなどを出す。朝食はカニ缶の残りでスパゲッティ。 果物はプラム。新聞休刊日なので手持ちぶさた。

 昨日の日記、コミケブースに来てくれた人たち付け加え。もとE社で担当だったKくん(現在はK書店)。美好沖野さん。ベギちゃんにまろん。それからS出版のSさん。堪能倶楽部に非常に興味を持っているとのメールを事前にいただいていたので、一冊進呈。まだまだ多数の人が来てくださったが、いちいち書ききれない。感謝、である。このことを日記に記していたら、早くも昨日宅配に回した荷物が届く。恵贈された同人誌等、パラパラとだが目を通す。傍見頼路氏の『笑芸に関するいくつかの考察』、両面コピー・ホチキス綴じ本文15P足らずのものだが、興味深い考察がいくつも成されている。落語やコントの“落ち”は観客を虚構から現実に戻すシステムであり、落ちをなくしたモンティ・パイソンのギャグは終わらない虚構を構築した、という指摘にはちょっと目から鱗の思いがした。私のブースのトイメンのブースの方から頂戴した『架空地名小事典』の“とらの穴本部”の項目で、虎の穴維持の資金が出身プロレスラーの稼ぎの五割だけで成り立っているとは考えられず、賭博や麻薬などのアガリが主な資金源であり、プロレスは犯罪シンジケートのイメージ戦略なのではないか、という解説の後に“(オリックスが球団を持つようなものか)”とあるのに吹き出した。

 ベギちゃんの持ってきてくれた『赤牙』、執筆者の無茶苦茶な豪華さに絶句。これは同人誌の範疇を超えてる。ベギちゃんのマンガ、ねじくれてるなあ。東大の院生で東浩紀氏が日記で罵倒していた(?)転叫院という人主体の『月猫通り』(岡田さんにも渡して欲しいと2冊、いただいた)は、オタク・サブカル系の創作と評論がやや脈絡なくつまっている本。“東浩紀批判座談会を是非、読んでもらいたい”と勧められたが、正直、同類項のようにしか思えない。私への批判も、ほんのちょっとだけ記載されていて、“マニアックなことがカッコイイ時代はもうとっくに終わっているのに”とあって笑う。私はおんなじことをもう三十年前、15歳の頃から言われ続けてきているのである。マニアック的生き方はカッコいいからそれを選択するというものでもないだろうし、何にせよ自分の生き方を“カッコイイから”、“時代の先端だから”という基準にとらわれてしか選べないことを、私は“カッコ悪い”こと、“時代 遅れ”なこと、と認識しながら育ってきたのである。

 一方で、学習院大学の人からいただいたサブカルチャー研究会誌第一号は、冒頭に
「当サークルは『サブカルチャー研究会』と銘打っておりますが、基本的にはB級&裏物を扱う唐沢俊一先生の活動的なサークルを理想としています」
 と銘打っており、皇族も通う大学でこんなことを表明して大丈夫か、と、これまた心配になる。唐沢先生や鶴岡法斎先生のスタンスに非常に魅力を感じる、と簡単に明言していいのかなあ。少なくとも、そういうスタンスをとるからには、上記のような“カッコ悪い”という評価(それがとるに足らない者たちからの言であっても)を、ずっと受け続ける覚悟をきちんと表明する必要がありはしないか。この会での講演にこの秋、招かれるという(それでこの会誌をたぶん受け取って目を通すと思う)斎藤環さんの表情がちょっと見てみたい、と思い、意地の悪い笑いを浮かべてしまった。

 某国営放送局Yくんから電話。明日、新潟に赴任で出発するとか。じゃあ急遽だが晩に送別会を、とK子と話す。マッサージ予約を変更し、1時半に新宿に出て、モリソバ一枚。銀行でちょっと手続き。それからいくつか雑用。2時半、マッサージしてもらって昨日の疲れ(肉体より主に精神)をほぐす。終わって帰宅、仕事少し。晩の店を予約しようとネットで検索して電話かけるが、ここは、と思った店がみな満席であったり、“冷房が故障してまして、扇風機でよければ……”などという有様であったりして、なかなか決まらず。結局、能登だらぼちにする。Yくんは酒が飲めないの で、ちょっと適当ではない選択だが。

 7時に三越前で待ち合わせ、だらぼちへ。4年間の東京勤務ご苦労様でした、と乾杯。4年後帰ってきたら少しは偉くなってますので、とYくん言う。こっちは偉くならないぞ、とまた思ったり、どうも最近屈託していることである。マッサージで揉み違えられたか、脚がちょっとつった。10時過ぎ、明日出立の彼のことを考えて解散し、タクシーで帰宅する。

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