裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

16日

金曜日

みんなで渡れば北区内

 赤羽の開かずの踏切。朝、6時に起床。かなり深い眠りだったが、寝覚めに、これまたヘビーな夢を見る。自分がテレビの地震取材クルーの一員で、他のスタッフと大ゲンカする夢。起き出してすぐ、パソコンの前に座り、7時までの一時間でモノマガジン原稿5枚半、だっと書き上げる。やはり朝の集中度は違う。これが毎度出来ればいいんだが、というより、受験勉強などやっていた時代にこういうことが出来ていれば、あんな苦労はしなくてすんだんだが。

 朝食、ボイルシーフード、あのつさん家のミニトマト。完熟するまで木に成らしていたものなので、甘さが普通のトマトの三倍くらいはある。K子には、青トマトとクレソンの炒め物。サプリメントとしてスピルリナ錠剤、蛎殻カルシウム、亜鉛錠剤。果物は今年初物の二十世紀梨。二十世紀が食えるのは一年で一ヶ月半程度だ。これからしばらく、鬼のように食う予定。

 食い終わってまたパソコンの前に座ったのが8時半。それから12時半までの4時間の間にやったこと。
(1)日記つけ。『怪談蚊喰鳥』の感想がちょっと長くなった。リトルフランキー死亡の件で、“これで小人レスラーはブッタマン一人だけになった”と書いてアップしたら、速攻で東京在住になったテリー天野氏から、“まだ角掛留造がいるのでは?”とのご指摘、角掛は小人じゃないらしいので、と説明を書き足して再アップ。
(2)入浴、浴槽の中でわが内部にある小野栄一的なものと決別しよう、と改めて決意する。いや、ずっと前からそう思っていても、血と言うものは恐ろしいもので、まだそういう部分が自分にはかなりある。
(3)モノマガジンの図版用ブツをワールドフォトプレスにバイク便で出す。お盆時期なのでバイク便出すときも、編集部にいちいち電話して“今日、編集部ってやってますか?”と確認とらないといけない。
(4)SFマガジン用の図版キャプションを書いてメール。ついでに、図版用ブツの受け渡しの段取りの件もメールする。
(5)好美のぼる本の最後の原稿(あとがき)を書く。1500文字。書いているうちに最近のマンガに対する個人的な不満が噴出してきてしまったので、これはだいぶ薄める。
(6)それから講談社Web現代の9月からの新連載の、ネタ出しのメモを作成。こ れはプリントアウトする。

 書き上げたところで12時半、外に出て食事。相変わらず暑いが、残暑のイヤらしい暑さで、真夏のカッとした暑さはすでに峠を越したか、という感じ。昨日は外出時に脱ぎ捨てたバミューダパンツが、踏んだらグショッという感覚があったくらい汗をかいていたが、今日はそれほどでもなし。盆だからどこも休みかと思っていたら、街はそんなこともなし。キッチンジローでカツめし(カツライスだが、ロッパ日記で覚 えたカツめしという表記がうまそうだったので)。

 1時、時間割(ここも今年は盆に休まない)でWeb現代Yくんと打ち合わせ。同人誌2冊、進呈。好美本はこれで私の担当の仕事は題名の決定だけとなる。月曜に井上デザインと打ち合わせらしい。出来れば同席します、と言っておく。新連載も、大体こちらの出した案でGOサイン。9月からまた、毎週忙しくなる。思えば週刊連載が途切れたというのはほとんど十年ぶりで、こんなに体が楽なものとは、という感じだった。もっとも、家計にも阪神・淡路沖地震なみの大被害だったが。

 一旦家に帰り、一時間ほど仮眠。3時、また時間割にとってかえして、世界文化社Dさんと打ち合わせ。Dさんにも同人誌2冊(ジャック・チック本と堪能倶楽部)を進呈。お返し、というわけではないがDさんの編集した書籍『ユカリューシャ』をいただく。棚上げになっていた『世界征服』本、『怪獣論』『戦争論』と並べて『世界征服論』という感じにして、三部作のようにしたい、と話す。叩き台になる原稿を、9月あたまに世界文化社で語り下ろすことに。Dさんは9月末には世界パズル選手権でフィンランドに行かねばならない(K子もついてく、と言っている)。いまDさん が関わっている雑誌の数が十誌、と聞いて仰天。

 打ち合わせ二件はさすがにバテるが、今日は何か元気である。帰宅して、と学会の運営スタッフML用に、来年のトンデモ本大賞選考・授賞式東京開催の件についての企画案を書き出す。すでにと学会も結成以来10年を閲し、主要企画であるトンデモ本大賞を、SF大会というワクに閉じこめることが難しくなってきた。と学会会員の中で、SF大会に基本的に参加しないメンバーの方がはるかに多くなってしまったのである。もちろん、と学会メンバーはこれからもSF大会に参加し続けるし、それがらみの企画も持ち込むであろうが、トンデモ本大賞は見たいが地方に泊まり込みで行くわけにいかない、という人たちのために、そろそろ公開でこういうものは企画すべきだろう。閉鎖性故の楽しさや、密度の高さということももちろん、考慮しなければいけないが、それはそれでそういう企画を別途、立てればいい話である。名ばかり高くなって閉鎖性にかたくなにこだわっていると、フリーメーソンみたいに無責任な噂が一人歩きしはじめる。

 6時、渋谷駅まで歩いて、半蔵門線で神保町。岩波ホール前で談之助夫妻、K子と待ち合わせて、カスミ書房へ。米沢嘉博さんもいて、雑談しばし。近くの新世界飯店で食事会。主に古書の話。SF大会でのメシの格差の話も出る。SF業界の古手のうわさ話、いろいろ。コミケ運営の裏話も聞くが、聞くだにそのスケールに仰天する。まあ、規模が大きくなる、というのは素人からすると怖いものだが、実際に最初からやっていると、単に数字のケタが増えていくだけ、という感じなのかも知れない。三日間のビックサイトの使用料、1億1千万。ただし、それは会場費だけで、空調や照明等の使用料は別途請求。さらに警備の費用が5000万という話に、ただただうなる。それを別に誇るでもなく普通に話す米沢さんはカッコよかった。料理はまあ、普通の中華だが、さすがに新世界飯店だけあってどれもうまい。鶏のピリ唐揚げというのを頼んで、出てきたのを見てみると、バスケットの中に赤トンボの唐揚げがぎっしりか、と一瞬思ったほど、赤唐辛子の揚げたのが盛られている。鶏の唐揚げが、この中に埋まっているのであった。もちろん、唐辛子は単に味付けと飾りなのだが、これはスゴい。山下さんから、古書業界の苦労話などもうかがって、ひさしぶりに濃い本の話にひたれた。9時半、解散。半蔵門線で帰る。何か充実した感のあった一日。出がけにSFマガジン用の図版ブツをドアのところにテープで貼っておいたが、無事、取っていった模様。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa