裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

5日

月曜日

ア・バオア・クー恋唄

 赤い星流れる宇宙 想い出は 帰らず。朝、クレージーキャッツ主演の、飛行船を使った大空中レビュー映画の夢を見る。起床7時半。ゆうべ、K子がささきさんにトウモロコシ2本をあげて、お返しにメロンを貰った。どちらもお中元で貰ったもの。とはいえ値段から言えばエビでタイをつったというところか。しかし、今朝の果物はスイカの残り。あとはいつもと変わらず。K子は毎日同じものを食べるのが嫌いであるが、私は朝は決まり切ったものの方がいい。もちろん、数ヶ月のサイクルで変わるけれど。

 昨日の日記、書いても書いても終わらない。アップして読み返して、まだつけ落としていたこと。血祭さんがウルトラマンのプラモの箱に黒部進の、セブンの箱に森次晃司のサインを貰って控室に帰ってきた(今回は血祭さんの奥さんは露出の少ない服だったが、普通の女子中学生ぽいミニスカート姿だったのでかえって凄い迫力があった)。私と額田さんとでそれを見ながら、さてこれで今、いくらになるかと話しているところに実相寺監督が到着、血祭さん、さっそく箱の裏に監督のサインをもらい、嬉々としていた。

 鶯谷町のY技研から、テープのシールの校正がFAXされる。明日には出来上がるので取りに来いとのこと。そのテープにはさむチラシをしこしこと作る。コピー機置いてある書庫の空調、こないだ動かなくなり、ありゃ、壊れたかと思ったが今日は動く。と、いうか、書斎のより効く。書庫の空調はときおり動かしておかないと、こういう季節には黴を生ずる危険性がある。床に積まれている本の山、一度整理しないとなあ、と思いつつも、横目でにらむばかり。

 昼はおとついの残りのトウモロコシごはんに、昨日のアブラゲと豆腐の残りで飯。『男の部屋』原稿を書き出す。昨日の疲れが出たか、体調奮わず、書いていて頭の言う通り指が動かない。途中から極端に眠くなり、何度も落ちそうになる。気圧がよほど変調しているらしい。どうにかこうにか仕上げて、メールしたあと、しばらく寝転がって気を落ち着かせる。

 ふと気がつくと寝入ってしまっていたらしい。急いで外出、夕飯の材料を買って帰る。で、とって返してという感じで新宿、サウナ&マッサージ。最近頻繁すぎるような気がするが、夏の体調維持のための、これは投資と思うことにする。汗を流して体重を落としても、すぐまた夜にビールなど飲めば同じなのだが、体の細胞内に同じ水が留まっているよりは、汗で外に出してまた補充して、と循環させた方がいい。溜まる水は濁るのである。冷房の効いた室内で仕事する身にとってはこうやって無理にも汗を絞ることが必要なのである。マッサージ、今日は新しい顔の女性。純日本人顔で小柄のM先生と違い、だいぶバタくさい、大柄な美人だが、顔に似合って、マッサージも極めて大胆、息をつく間もなく全身をギュウと揉まれる。今日くらいバテている肉体には、こっちの方が刺激になってよろしい。

 帰宅、料理しだす。と、言っても今日は出来合の焼き鳥と魚ゾウメンがあるので、そんなに手間はかからない。甘唐辛子と厚揚げの煮物、それから焼きそばを、今日は自家製シーフードあんかけで。魚ゾウメンは要するに糸コンニャクならぬ糸カマボコで、それをそうめんダシで食べる。どうということのない食い物だが、関西では夏はこれが定番らしく、私もいつの頃からか、これがないと夏の酒が物足りないと思うよ うになった。焼き鳥はレバがおいしい。

 NHKニュースで住基ネットの話。ここでは素直に“初日の今日は大きなトラブルもなく終わりました”と言っていたが、民放(ザッピングだったのでどこの局か確認しなかったが)では、なんとしても自民党を悪者にしたいらしく、あちこちで回線不良、ネットにつながらない、入力エラーがあったと伝え、こんなに(新聞報道によると9件)トラブルがあったのに、福田官房長官が記者会見で、
「さしたる障害もなくホッとしている」
 などと言ってごまかしている、と伝えていた。……ネットにおける大規模トラブルというものがいったいどういうものか、この局のスタッフたちは知らないのか。大がかりなハッカー、クラッカーたちが世界じゅうから乗り込んで来て、システムが完全クラッシュされる(またはデータをそっくり北朝鮮などに持ってかれる)可能性だって、あったのである。回線トラブル程度ですんだのはまさしくホッとする事態であった。わたしも現在の状況でいきなり住民基本台帳をネット化するのが勇み足ではないかという意見に賛成である。とはいえ、敵を叩くためとは言い条、こんな無知・的はずれなことを言っていては、反対運動にマイナスにしか働くまい。推進派から“反対派はこんな何もわからぬことを言ってこちらを誹謗しようとしている”とツッ込まれかねないではないか。

 情報化時代に適応しないと21世紀を生き残れない、と一昔前までの評論家たちは右の人も左の人も、お題目のように言っていた。それは正しい意見だったろう。しかし、彼らは敢えて語らなかったが、それはプライバシーの無効化と表裏一体、いや、表表一体的なものであった。ネット時代になってそれはますます顕在化している。というより、せざるを得ない。データとして存在するものは必ず漏れる。絶対漏れる。どうガードしようと、どうしたって漏れるのである。それが情報化時代というものなのだ。政府が管理すれば政府の中に漏らすものが出てくる、警察が管理すれば警察の中に漏らすものが出てくる、民間が管理すればなおのこと、民間人で漏らすものが出てくるのである。漏らすことのできるものは間違いなく漏れる。それがいいとか、悪いとかではなく、これが情報化時代の持つ特性なのである。ネットの至便性を享受する代償のようなものだ。ネットの便利さだけを喜んでいて、その不都合さを嫌うのはネットというものをよくわかっていない証拠である。こんなもの、なくたってわれわれは結構楽しく、不都合もなくやってきた。しかし、いま、現実にネットというものは出現し、すでにわれわれはその便利さを知ってしまった。もう、後戻りは出来ないのである。こんなことになってしまった時代に生きるわれわれに出来ることは、プライバシー漏れに対するその状況に慣れること、または自分で自分のプライバシー公開を上手にやって、本当に知られたくない部分をカムフラージュすること、くらいしかあるまい。つまりは個人々々が情報操作のプロになることである。杉並区も横浜市も無駄な抵抗である、と私は思う。真に住民のことを考える自治体ならば、この状況下でいかに自分のプライバシーを守るか、そのノウハウを専門家にまとめさせてパンフレットにでもし、住民に配布させるべきではないか。

 さらにその後もNHKを見続ける。“視点・論点”とか言う番組では明治大学教授の越智道雄氏がヒッピー(Bohemian)とブルジョア(Bourgeois)の双方の特長を合わせ持った“ボボ(BO−BO)”なる新社会層がアメリカでは主導権を握りはじめている、という話をしていた。学者の世界ではアチラで流行りの新語をいち早く日本に持ち込んで流行らせた人が勝ち、という例がよくあるが、こりゃ流行らんだろうなあ、と苦笑。越智氏も、も少しマスコミ慣れしている人かと思ったら、ずっと視線がモニタの方を見っぱなしで、カメラ目線にならず。これじゃいけない。自信なさげに見える。NHKでボボ、と繰り返すのに照れていたのかも知れないが。その後が人間講座で、『終戦日記を読む』。講師は野坂昭如。顔が何か佐川一政氏に似てきたような気がする。顔ばかりじゃなく、怒りの感情が論理を超越してしまうところも。結局。感情論でしかものを言えないのは、年をとったんだなあ、という印象。缶ビール小2カン、焼酎ソーダ割り2ハイ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa