15日
金曜日
ウイ、鬼太郎!
フランス語版『ゲゲゲの鬼太郎』。
※K社打ち合わせ 訃報二つ
朝11時起床。
もっとも6時に目が覚め、原稿書きなどいろいろ。
二度寝したらこんな時間に。
朝食はコーヒーのみ。
日記つけ、入浴、洗顔いつもの如し。
映画評論家・双葉十三郎氏旧臘12日死去の報。
99歳。ヒッチコックとは11歳違い、ビリー・ワイルダーとは
4つ違いの同時代人。映画黄金時代を肌で感じて生きてこられた
幸運な人。膨大な数の映画をわかりやすく評価した『ぼくの採点評』
(1〜5巻、別巻1.トパーズ・プレス)は映画マニアのバイブルだが、
ここにおける批評の基本型は、きちんと論理的にその映画の善し悪しを
説明した映画評の後に、一行か二行、
「主役がイモじゃいくら脚本がよくてもネ」
「ヒロインの曲線美さえ見てれば満足、満足」
などという寸評があり、これが実に的を射た金言で、私はもっぱら
そっちの方で、観るべき映画かどうかを判断していた。本文の
方でクサしているのにこっちの一言で褒めていたり、またその逆、
というのもあったからである。映画ファンというのは、教科書的
ないい映画ばかりを好むものではなく、B級C級の安っぽさもまた
愛する。昨今のB級C級マニア評論家のように泥沼の中に首まで
ひたるということなく、A級はA級として別格とし、それを批評の
基準とした上でBC級の面白さもちゃんと理解し評価するといった、
オトナの鑑識眼が何とも頼もしかった。
もうこういう映画評論家は出てこないだろう。
何も今の若い世代の評論家をクサしているわけではない。
映画の黄金時代が過ぎ去ってしまったからである。
その最後の香りを感じさせてくれる人だった。
黙祷。
12時昼食、母の室で。
マグロ山かけ、ワカメのお汁、白菜漬け。
ご飯の上に山かけはぶちまけて、山かけ丼に。
うまくて、かき込むように食べてしまう。
自室のがぶ飲みグラスが割れてしまったので、一個もらう。
自室で原稿書き続き。
3時半、家を出て新宿。
喫茶『らんぶる』でK社打ち合わせ。
去年に出していた某企画のことで編集Aさんと。
Aさんは以前私が連載していたS社の編集長さん。
出版点数縮小で某社でハネられた企画を、K社に
引き取ってもらえないか、去年の秋口に某氏通して
お願いしていたのである。
出版コンセプトを変えてほしいという要望、Aさんから。
私も、出版社が変わればそれは当然のこと、と思う。
いろいろとこの手あの手とこちらからも提案。
まずは出していくこと。
私ひとりのことではない本である。
連絡などもしておきます、と約して別れる。
紀伊國屋などで買い物。京王で駅弁大会をやっていたと思い出し、
立ち寄ってみる。大変な人出。
恒例のながさき鯨カツ弁当を買う。倍くらいの値段で、小どんぶり
に入った『龍馬が愛した望龍碗』というのがあった。坂本龍馬
愛好の飯わんを再現したものだそうな。この駅弁大会限定品らしいが
まあ、普通の鯨カツ弁当の方に。この弁当のファンではあるが、
別に龍馬ファンではないし。
それからも一、二雑用すませて帰宅。
帰宅の車中、Taka@モナぽさんからの連絡で、田の中勇さんの
他界を知る。驚きと落胆と、それから、せめて生前にインタビュー
しておいてよかった、という気持ちとが交錯して、複雑な気持ち。
自室で何はともあれ追悼文を書く。
あっという間にコメントがずらりと。やはり声優さんの訃報は
反応が違う。しかし、今年は何とまあ、訃報が続くことよ。
7月にインタビューさせていただいたとき
http://www.tobunken.com/diary/diary20090702113927.html
には声も衰えておられず、むしろ
「目玉親父の声なんか、この年になってやっとやりやすく
なりましたね」
とおっしゃっていたのに。
登山を愛し、音楽(シャンソン)を愛し、芝居を愛しという、
多才、多趣味な方だった。文化的な家庭に育った恩恵だろう。
だから、声優というお仕事に対しても、“その中のひとつの選択肢”
で、声優が本業と思われたのはつい、最近、と飄々と笑っておられた。
思えば私は田の中さんのお仕事では、目玉親父よりもむしろ
『ウメ星デンカ』の王様が一番役にハマっていたと思っていたのだが、
それは田の中さんご本人のイメージと、あの人のいい王様が重なるから
だったのだ。
「鬼太郎だって、いっぺんにやりすぎるとね。数年にいっぺん、
2クールくらいでいいんですよ。それくらいがこっちも楽だから。
周夫ちゃん(大塚)なんか、もっとやろう、もっとやろうって
言うけど、イヤですよ、そんな頑張ってやるの」
……頑張っていただきたかったけど、そういう生き方が何となく
似合っておられたようにも思う。
お話の中で見えてきたことで、敢て訊かなかったこともある。
『問答有用』で、徳川夢声が“あえて距離を置くことも
インタビューには必要”と言っていたことを履行したまでで、
それは後悔していない。今はただ、ご自分では大した仕事とは
思っておられなかった声優のお仕事における、その“唯一無二の声”
がどれほどわれわれの子供時代を豊かにしてくれたか、そのこと
を生前にお伝えできたことだけを慰めとしたい。
ご冥福をお祈りする。
……しかし、これから目玉親父は誰が演じればいいのだろうか。
仕事不捗、8時ころからもうメシにする。
とにかく寒いので暖まろうと、ニンニクスープを。
ニンニク4片を切って、中の芽はとって捨てる。
オリーブオイルでこれを炒め、生ハムの切ったものも入れて
さらに炒める。炒めタマネギ、皮を剥いたトマトの微塵切りを
加え、水と酒を入れて煮る。コンソメスープの素と塩、胡椒、
パプリカで味付け。固くなったパンを加えてさらに煮る。
味は上出来。飲んだ端から胃の腑がポカポカしてくる。
ただし、パンがフランスパンでなくハードロールだったので、
皮が麩みたいになって舌触りがちょっとダメ。
それと、鯨カツ弁当。ご飯も鯨の脂身を加えて炊いてある、
というが本当かな。
DVDで『ハリウッドランド』。テレビのヒーロー、スーパーマン
を1950年代に演じたジョージ・リーヴスの自殺の謎を追った
映画界の裏側バクロドラマ。アメリカ人にとってはジョージ・リーヴスは
すでに伝説で説明の必要もないのかもしれないが、もう少し、
当時のスーパーマン人気が(子供に対してのそれは描かれて
いるが、社会現象として)どれほどのものだったか、を描いて
欲しかった気がする。これだと、成功しなかった映画スターの
悲劇、という風に(スーパーマンショーなどの描写がショボいので)
見えてしまう。ハリウッドはテレビを恐れ、憎んでいたが
すでに映画は凋落の文化。逆にテレビは新興ではあるが着実に
家庭に浸透し、現実にはリーヴスの得た名声と金は大変なものがあった
はずだ。
いわば、リーヴスはハリウッドにとって、テレビという、自らを
おびやかす怪物のアナロジーそのものだったわけであり、映画界が彼を
敬遠したのもそういう心理が下敷きにあったはずだ。
変にエイドリアン・ブロディ演ずる私立探偵のしなびた私生活と
ダブらせなくても、そっちの方で深く切り込んでくれたらなア、
と思うのである。
ベン・アフレック演ずるリーヴスの運命の女で、中年になった
ダイアン・レインが出てくる。顔のシワなど年齢を隠せない、というか
敢て役として隠してないのだろうが、しかしそのあふれる色気、
中年美女の肉体の迫力は大したもの。
われわれの世代は彼女が『リトル・ロマンス』で天才少女として
(そういう役だった)デビューしたときから知っているのだよなあ、
と思うと、我が身のトシをつくづく感じる。
そう言えば双葉十三郎さんが、クリストファー・リーブの
『スーパーマン』を評していたのを思い出した。地球を反転させて
時間まで戻してしまうのを“何でもできちゃう七徳ナイフ”と
表現していて、ラストのスタッフロールのやたら長いのを
皮肉っていたっけ。